『さよなら妖精』米澤穂信(東京創元社ミステリ・フロンティア)★★★☆☆

 一九九一年四月。雨宿りをするひとりの少女との偶然の出会いが、謎に満ちた日々への扉を開けた。遠い国からはるばるおれたちの街にやって来た少女、マーヤ。彼女と過ごす、謎に満ちた日常。そして彼女が帰国した後、おれたちの最大の謎解きが始まる。覗き込んでくる目、カールがかった黒髪、白い首筋、『哲学的意味がありますか?』、そして紫陽花。謎を解く鍵は記憶のなかに――。忘れ難い余韻をもたらす、出会いと祈りの物語。気鋭の新人が贈る清新な力作。

 この本に関して言えば、ミステリとしては多くの★がつけられないことは、作者も出版社も読者もわかっていることだと思います。その点については作る側も読む側も確信的。わたし自身、タイトルにひかれて何か所かの書評を読み、本書がミステリとしてはともかく青春小説として優れているという評価を目にしてから購入しました。

 では青春小説として楽しめたかというと、残念ながら楽しめなかったというのが実情です。真実一路というか若気の至りというか(どっちも譬えとしては間違ってるかな?)、とにかくいかにも若者らしい一途な頑迷さみたいなものはすごく伝わってきました。けれどそんな若者らしさも、全体を淡く包んでいる雰囲気だけにとどまっているように感じました。主人公の語り口がやたらとおっさんくさいところに違和感がありました。出てくる高校生たち皆が皆、『十角館』のミステリオタク並みにやたらと蘊蓄知識人なのも気になります。

 最初に述べたように、ミステリとしては高い点はつけられないのですが、それが物語そのものにも影響を及ぼしているのも引っかかりました。ミステリ部分が弱いために、推理によって明らかにされる(はずの)天才肌の少女という設定が浮いているのです。彼女は主人公と同じ高校生なのですが、主人公とは違い、すでに一人の大人です。すべてをわかっているけれど、わかっていてもどうすることもできないことがあるということを、わかっている。天才肌というよりは、大人びた少女に過ぎません。けれど無理矢理ミステリにしてしまったがために探偵役が必要になり、本来なら大人びているだけの少女が天才肌の少女として描かれざるを得なかったのでしょう。それでいて、天才が暴く謎というのが、あまりにも……なのです。

 物語は、大学生になった主人公が高校時代を回想するという形を取ります。高校生が現在を語るのでもなく、大人が昔を回想するのでもありません。作者は何の準備もできていない“子ども”に残酷に真相を教えることはしなかったし、完成された大人に優しく真相を明かすこともしませんでした。大人になる準備をしている子どもに向かって、現実を突きつけた。主人公は変われるでしょう。それが大人になるということなのでしょうから。けれど天才肌の少女は、大人びていると言ってもまだ“子ども”の頃に、(大人びているがゆえに)真相を知ってしまいました。何の準備もできていない頃に突きつけられた現実。それに対する少女の反応が、皮肉にも登場人物の中で一番高校生らしく感じられました。なまじミステリであるがために、表向きはエキセントリックな天才少女という役回りになってしまいましたが、実は彼女こそがいちばん少年少女らしい少年少女だったのかもしれません。高校生らしい危うさを紙一重に抱く大人びた少女という役回りを演じて、この物語の中で一番輝いていました。
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