「だいあろおぐあきらめに似て照る月は言葉の海を笑つてゐるのさ」紀野恵

 昔のフォークソングには、英単語をひらがなで表記したものがありました。中島みゆき「りばいばる」、井上陽水「はーばーらいと」……。この歌が歌っているのも、そんな時代の景色でしょうか。果てしない対話を、月があきらめ顔で笑っております。あるいは、あきらめたような対話を、月が笑っています。

「ダイアローグ」とは、『広辞苑』によれば「話。問答。特に、劇・小説などの対話部分。」とのこと。であれば月とはペーパー・ムーン。言葉の海とは台詞の海。作り物の月が、作り物の言葉を笑っています。

 フォークソングの時代とは、メッセージの時代。メッセージはあふれ、でも変えようとして変えられなかった時代。やがて言葉だけが残り……。


「だいあろおぐ」「あきらめ」とひらがなが続くせいで、上の句には得体の知れない気色悪さがあります。見知らぬ国の呪文のような、意味の解らぬ不思議な言葉。さらに、続く「に似て照る」の部分もひらがなに直してみると、「ににててる」と「に」と「て」がダブっていっそう異様な感じがします。すべてつなげると「だいあろおぐあきらめににててる」。ますます呪文めいてきました。

 けれど実際には、「ににててる」の部分は漢字です。呪文ではなく意味の通る言葉。「だいあろおぐあきらめに似て照る」という文字列が――「だいあろおぐあきらめ」という呪文から、「ににててる」という呪文に続くかと思いきや、「に似て照る」という意味の通る文章へ――と変幻してゆきます。

 呪文のような言葉の海のなかで、紙の月だけが、月としての意味を持って存在しています。あたかも笑っているかのように。

〈同時代〉としての女性短歌

河出書房新社 (1992.9)
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