『夢みる宝石』シオドア・スタージョン/永井淳訳(ハヤカワ文庫)★★★★★

 ホーティ少年は胸のむかつくような行為の現場を目撃され、こっぴどく叱られた。継父のアーマンドがホーティを衣装戸棚に押し込んとき、少年の指が蝶番に挟まった。ホーティはびっくり箱のジャンキーとともに逃げ、アーマンドは肝に銘じた――指のない男に注意することを。

 友だちのケイに別れを告げたあとで乗り込んだトラックには、太った少年ハバナ、二人の女の子ジーナとバニー、運転手ソーラムが乗っていた。移動見世物《カーニヴァル》の一団だ。子どものように見えた三人も実は大人の団員であった。こうしてホーティはカーニヴァルに加わった。女の子の格好をして、ジーナの妹というふれこみで。

 団長の目を欺くためだ。人食いモネートル。元医者。人間嫌い。ホーティの正体を知ったなら、きっとただではおかないだろう。かつては名医だった。悪い評判を立てられ、酒に溺れ、やがて人間を蔑んだ。そんなときに二本の木を見つけたのだ。まったく同じ二本の木を。片方に傷をつけると、もう片方にも傷ができた。二本の木はオリジナルとコピーであった。やがてモネートルは根元に埋まっている水晶を見つけた……。

 読んでみてまず驚くのは、「夢みる宝石」というのが比喩でも何でもなく、文字どおりの意味であることです。もともとスタージョン作品には、アイデア自体がぶっとんでいるものも多いのですが、ぶっとび具合などこれが最たるものでしょう。あまりに奇想天外すぎて、スタージョン初体験にはちょっとおすすめできないかな、とも思います。まずは短篇集でせうね。

 ただ、『人間以上』なんかと比べると格段に読みやすい。ジェットコースター・ノヴェル、とまではいかないけれど、とんとん話が進むエンターテインメントなので一気に最後まで読んでしまえます。

 面白さの一つは、夢みる宝石という奇想とカーニヴァルカーニヴァル小説といえば反射的に、レイ・ブラッドベリ『何かが道をやってくる』を連想します。そしてカーニヴァルといえばやはり子どもなのです。冒険心に富んだ子どものわくわくどきどき感。で、まあ昨今のファンタジー・ブームにおもねるわけではないけれど、待っているのは悪との戦い。

 奇想とか凝った構成とか過度な麗筆とかとは別に、まず単純に、読んで面白い。

 そうはいっても――です。ストーリーを追っているだけならご都合主義と思われかねない展開なのだけれど、スタージョンの落とした数々の伏線を拾っていくと、ああなるほどなあと納得する部分(と、でもやっぱり都合がいいなと思ってしまう部分)があったりもするので要注意。

 石堂藍氏は解説で、スタージョン作品のキーワードとしてまっさきに「孤独と愛」をあげていらっしゃいます。ナルホドだからこその「美しくも恐ろしい物語」。

 孤児であり家出少年であるホーティにはあまり喪失感は感じられません。それよりも胸を打つのはジーナの孤独と愛慕、恐ろしいのはモネートルやアーマンドの歪んだ求愛と排斥。自立と孤独は紙一重なのかもしれないと教えてくれるケイ。無垢(というか、記憶力は抜群だけれど自分で考えることは苦手)なホーティを取り巻くさまざまな愛憎が、最後にいたって感動的なシーンに集約されます。

 喪失感こそが愛を希求する原動力であり、それがつまり人間であるということ。そしておそらく何年も前からそういう感情を持てるようになっていたからこそ、「縁が切れていた」のでしょう。断言できる根拠が作品中にあるわけではありませんが、少なくともわたしはそう思いました。これはご都合主義ではなく、必然だ、と。

 そしてこれは、失われた半身(?)を探し出す長い長い探求の物語でもあります。物語の源流である物語《ロマン》であり騎士物語《ロマンス》であるからこそ、理屈抜きに心の深いところを穿ち、ほろりときてしまうのでしょう。
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