『眼の誕生 カンブリア紀大進化の謎を解く』アンドリュー・パーカー/渡辺政隆・今西康子訳(草思社)★★★★★

 カンブリア紀の大爆発はなぜ起きたのか? この生命進化史の謎に迫るのが本書である。原題『In the Blink of an Eye』Andrew Parker,2003年。読みやすい科学読み物。ノンフィク系って文芸にくらべるとまだまだ訳文が硬いイメージがあったのだけれど、本書はものすごく読みやすい。

 こういう話自体は大好きなのだけれど、小学生のころに学習漫画やテレビなんかで目にして以来、この分野に触れることはほとんどなかった。本書ももしかすると買わなかったかもしれないのだ。実際、早川書房のノンフィクションの場合は、単行本発売=きっと(どうせ)文庫化されるしなあ→文庫化=文庫だからいつでも買えるしなあ、と思ってだらだらと買いそびれてしまい、けっきょく読めずにいたりする。本書を買ったのはだから出版社のおかげ(?)。草思社。文庫化はされないものね。というわけで買いました。

 そんなわけでこのジャンルの本を読むのは久しぶり。だから、「カンブリア紀大進化」と聞いても大まかなイメージしかわかない。恐竜も三葉虫古生代中生代もいっしょくたにして“化石の時代”だと思っているくらいの知識しかない。

 そんなわけだから、〈カンブリア紀の爆発〉についても、本書で指摘されているような誤解をそのまま信じていた。進化がひと息に起こって新種が急劇的に増えたのだ、くらいにおおざっぱに思っていた。これは間違いとは言わないが正確でもないらしい。生物の分類は見た目ではなく内部構造(体制)によって決まるということくらいは、この種のことに疎いわたしでも知っている。ここから先が知らなかったことだ。地球ではこれまで三十八の動物門が進化したのだそうだ。そしてカンブリア紀までのあいだに、これらの動物門の祖先はすでに出揃っていた。つまり体制は、カンブリア紀以前に“ゆるやか”に進化していた。だが外部形態は、どれも似たり寄ったりの蠕虫の姿をしていたと考えられている。ところが、カンブリア紀すなわち5億4300万年前に、すべての動物門が硬い殻を獲得し、さまざまな複雑な形状へ変化するということが、「またたくま」に起こったのだ。これが〈カンブリア紀の爆発〉であるのだという。

 なぜ〈カンブリア紀の爆発〉は起こったのか?

 その謎を解くために、著者はまず化石から何がわかるのか、を丁寧に説く。必然的に、化石からはわからないことも導き出される。それが色だ。そして色が存在するためには光が必要だ。ここで著者は、光がどれだけ進化をうながす外圧となっているのかを、現存する種々の動物を例にして明らかにしてゆく。そして、光を――色を――見るためには、眼が必要なのである。

 タイトルからもわかるとおり(ていうか一目瞭然)、結論は「眼の誕生」だ。著者自身も述べているとおり、言われてみれば「わかりきった話」「あたりまえの答」である。だけどあたりまえのことを「あたりまえ」で済ませられないのが科学だ。それがあたりまえであることを証明しなければならない。それを素人にもわかりやすく、順を追って綿密かつ具体的に例証してゆく過程は圧巻だ。たとえ〈カンブリア紀の爆発〉の謎を追うという大きなゴールがなかったとしても、一つ一つが魅力的な科学的エピソードにあふれている。

 たとえば『ジュラシック・パーク』で有名になったものだが、琥珀に封じ込められた蚊の血液から恐竜のDNAを採取して恐竜を蘇らせる方法。残念ながらこれは不可能なことらしい。

 あるいは――。動植物の保護色や警戒色、擬態についてはよく知られている。銀白色の樹皮にとまっていると隠蔽効果が発揮される灰白色のガが、工場から排出される煤煙によって黒ずんでしまった樹木に適応して黒くなったというのは、なんとも極端な凄い例だ。

 ところが自然界には、そうした特定の目的を果たすためではない体色変化もある。なぜサメの色は黒いのか? これに対する答えは実に意外なもので、あっけないほど単純なのだがそれだけに虚を突かれた。

 虚を突かれたといえば深海動物の色だ。水深が二百メートルを超えると赤い色の動物が多くなる。太陽の光は海中にも届いている。けれど海が深くなるにつれて光は吸収され、二百メートルを超えると赤い光は届かなくなり、届くのは青い光だけ。ものが赤く見えるのは、赤い色素が赤い光を反射しているからだ。そして赤い色素は青い光を吸収する。だから赤い光の届かない深海では、赤い動物は見えなくなる(保護色になる)。何だか詭弁のような話ではあるが、なるほどと感心した。

 ほかに、銀色の体を反射させて相手の目をくらますエンゼルフィッシュや、色素ではなく構造色によって“輝く”動物、過去一万年あまりの気温が推定できる海洋地球化学や過去三億年間の気温の変動がわかる酸素同位体のデータ、などなど、わたしにとっては新鮮で驚きに満ちたエピソードばかりだった。

 構造色の話なんて、生物というよりほとんど物理の話なんだけれど、物理の苦手なわたしでも楽しめた。色には、色素による色のほかに、構造色というのがある。いちばん有名なのがプリズム。プリズムは複雑精巧すぎて生物の身体には現れていないんだけれど、プリズム意外にも構造色にはいくつかタイプがある。たとえば虹色に光る昆虫の翅とか貝殻の内側なんかがそうだ。そしてこれが大事なことなのだけれど、色素と違って構造(色)は、化石にも保存されている。ということは、化石から、当時の生物の色がわかってしまうのである! 実際はそう単純なことでもなくって、いろいろ判断しなきゃならないことがあるみたいなんだけれど、難しいことや細かいことは措いといてただただ興奮した。色づけされて再生された古代の動物たちの姿には感動しました。

 そんなことくらいはとっくに知ってる、という科学の猛者であったとしても、たとえば図版につけられた説明文からわかる著者の人柄には、にんまりしてしまうのではないだろうか。ニュートンの自筆スケッチにつけられた説明文には、「残念ながらニュートンにはレオナルドのような芸術的才能には恵まれていなかった。」とある。確かに絵は下手だ。幼稚園児〜小学校低学年並みだと思う。でもたったひとつの説明文の内容がそれのみであるばかりか、そもそもその図版が絶対に不可欠であるとはいえないのだから、ちょっと息抜きといおうか読者をできるかぎり楽しませようという著者の心意気が伝わってきて微笑ましい。衝撃的なオオトカゲのカラー図版も、著者の説明文にかかると衝撃度よりも愚か者度が強くなる。

 オオグソクムシの頭部を『スター・ウォーズ』の帝国軍兵士のヘルメットにたとえたり(そっくり!)、エンゼルフィッシュの攻撃を同じく『スター・ウォーズ』の戦闘にたとえたりと、随所に一般向けを意識してくれている。

 訳者が選んだ「ぼく」という一人称も、そんな内容にぴったりだった。

 むろん、単なるおもしろエピソードがおもろかしく語られているだけではなくって、各々のエピソードが最後には収まるところにぴたりと収まる。長い長い証拠固めにつきあってきたからこそ、最後に明かされる(というか明かされ直す)答えを「あたりまえ」だと心から思えた。

 ひとつだけ疑問が残ったこと。ヨナグニサンの羽根を紫外線光で撮影すると、ヘビ(模様)が現れた!と書かれてあったけれど、カラー図版を見てもイマイチわからなかった……。太い棒状のてっぺんに鎌首に見えなくもない出っ張り。これのことなのだろうか。言われりゃそうかもしれないけれど、言われてもしぶしぶ納得かな。人間の精密な目にはその程度でも、鳥の目にはモロに蛇に見えるのかもしれん。というか、これを見て「おお! ヘビじゃ!」と即断できるとは、科学者には想像力というものが大事なんだなーと素直に感心しますた。科学にかぎらずだけど。
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眼の誕生
アンドリュー・パーカー著 / 渡辺 政隆訳 / 今西 康子訳
草思社 (2006.3)
ISBN : 4794214782
価格 : ¥2,310
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