落語調の翻訳だなんて狙い過ぎだと思ってましたが、けっこうはまっていて驚きました。
『Нос/Ревизор/Шинель』Николай Васильевич Гоголь。
「鼻」(Нос)★★★★★
――なんでも、三月二十五日にペテルブルクで奇妙きてれつな事件が起こったそうであります。床屋のイワン・ヤーコヴレヴィチが朝パンを切り分けてみると、何だか白っぽいものがある。引っぱり出してみるってえと、……これがなんと、鼻。
何度読んでも、鼻が制服を着て歩いているシーンがビジュアル的にどうなっているのか気になってしょうがない(^^;。
文体によって全然印象が違うものなんだなあ。これまでは真面目な顔で大ボラ吹いている印象だったのに、本書で読んだらハナからホラ丸出しだった(^^)。
訳者の方は(たぶんとっつきやすさを考えて)いろいろおっしゃってますが、やはり小役人・小市民の悲哀みたいなものが全編にわたって漂ってます。そもそも噺家ってそういうものだもの。ユーモアとペーソス。落とし噺と人情噺。
しかし「外套」や「査察官」ならまだしも「鼻」のセンスはすごい。凡人には思いつけないもの。思いついても書けないもの。床屋のことは途中でほったらかしにしちゃう超絶技巧のストーリーテリングの持ち主かと思えば、佐官夫人とは絵に描いたようにベタな手紙のやり取りをして笑わせてくれるし、今でいうと誰だろうなあ……。
「外套」(Шинель)★★★★★
――お役人と申しましても大それた人物じゃない。これが万年九等官。彼の外套もまた役人仲間の笑いの種になっておりました。襟はぐんぐん縮小して、ほかの箇所のツギ当てに使われている。そこで仕立屋のところに行きますと、「無理です、直しじゃききません。新調なさいまし」と法外な値段を吹っかけられます。
おかしな話ではあるものの、「鼻」と比べればまだまとも。なぜかこの世で一番鼻が大事、外套が大事、という理解しがたいこだわりこそ共通するものの、まあ物ですからね。宝石が大事とか絵画が大事とかいうのと(鼻よりは)近い。わけのわからないまま作品世界に放り出されて、コワリョフ少佐と一緒に鼻っ面を引っぱり回されたのが「鼻」だとすると、本篇は外套に対するこだわりを外野からにやにや笑って見ていられるので、奇想天外さこそ控えめなものの、やっぱりね的な笑いと悲しみは「鼻」よりも楽しめる。控えめとは言ったが最後になって奇想が爆発するんですけどね。
「査察官」(Ревизор)★★★★★
――みなさんをお呼びだてしたのはほかでもない、きわめて不愉快な知らせをお伝えするためです。この町に査察官がやって来る。万事ぬかりがないように。病院の患者がかぶる帽子は清潔なものにしておいて下さいよ。それから判事、守衛が副業に手を出すのも結構なことですが、職場でやるのはいかがなものでしょうね。それから……。
これは初めて読んだ。お互いに誤解し合ったまますれ違う会話とか、どたばたの掛け合いとか、驚くほどに今のコメディのスタイルそのまま。ゴーゴリって天然系というか何というか、奇想の結果として期せずして笑いを生み出しているのかと思っていたのだが、狙って書いていたんだ。無から有を作りあげてしまう町人の勘違いと想像力の、無尽蔵な力に笑いと親しみを覚える。この空想力はもはやファンタジーです。
『鼻/外套/査察官』
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