『ひとりっ子』グレッグ・イーガン/山岸真編訳(ハヤカワ文庫SF)★★★☆☆

 『Singleton and Other Stories』Greg Egan。カバーイラスト田中光

 短篇4篇に中篇3編を収録。どれも“永遠の愛って?”とか“自分とは何か?”とかいう、ごく素朴な疑問を、極めて詳細に論理的に考察しているんだけれど、結末が驚くくらいに当たり前で拍子抜けする。ただしこの“当たり前”というのがクセモノ。当たり前のことを当たり前だと言うだけでは、「オラクル」のジャックが言うとおり、「わたしには自明だったし、みなさんにも自明だろうが、哲学者がいうところの“分析的真実”ではまったくない」からだ。というわけで、当たり前のことを当たり前であると、(比喩的に言えば)数学の証明のように証明しようとしたのが本書収録作。だから驚くべき結末など待ち受けてはいないし、そういうのを期待するような作品でもない。そういう解もあるのか、という過程の面白さ(発想の飛躍だったり、論理の戯れだったり)を味わうべき作品群とでも言えばいいでしょうか。気になるのが、なぜそういう疑問を抱きそれを実行しようとするのか、という動機づけがおしなべて弱いこと。取ってつけでもいいから、そこらへんにももうちょっと力を入れてほしかった。

 ただ、こちらのサイトを覗くいてみると、管理人の方はこれをユーモアだと受け取っていて、なるほどなあと感心しきり。そうかそういうふうに捉えてみるのもありなのか。

「行動原理」(Axiomatic,1990)★★★★☆
 ――〈あなたは大物!〉の製品を買って使用したら、わたしは商品名どおりのことを本気で信じるようになるのだ。わたしの心を変えることは物理的に不可能になる。「特注品をうけとりにきたのだが」この行為が彼女のためだということにはならない。思い出をそんな嘘でけがしはしない。わたし自身を彼女から解き放つための行為なのだ。

 まあネタだけ言えば、早い段階で割れてるわな。人の死を何とも思わなくなるようになれば、こうなるに決まってるわけで。しかしそれにしても、思想的に人を殺せないけれど殺さずにはいられないという極端な状況(この短篇ではそれがうまくいっているとは思えないし不自然)を作ってまで、人間にとって心とか意思って何なの?という問いを投げかけるところに、著者の本気を感じる。
 

「真心」(Fidelity,1991)★★★☆☆
 ――リサが目をあけて微笑んだ。唇をかさねる。気がゆるんだ。「愛してるよ」ぼくはささやいた。リサが身をすくめた。「ほんとうに? ずっと?」〈ロック〉を使うというのは、ジョークとしてなら一級品だ。『ときめかなくなったとお悩みのあなた。もう安心です! ふたりの気持ちはずっと、ずっと、ずうっと……』

 真心を込めたセリフをずっと言い続けていられるのは、インプラントのおかげ。それって真心?というお話。イーガンお得意の強迫観念から生じた疑問と、登場人物が取った血迷った解決策。本書収録作のほとんどはこの手のパターンである。
 

「ルミナス」(Luminous,1995)★★★★★
 ――「数学には、無矛盾性の〈不備〉が、宇宙の始源から散らばっているということか? ある物理的系が、その〈不備〉を超えて定理をつなげようとしたらなにが起こる?」「両方とも真だとしたら、どう――Dも、非Dも。それって数学の終焉みたいに聞こえない? 体系全体がたちまち崩壊するって」

 おお、SFじゃ。いや、まあとんでもSFですが。物理の法則が普遍ではないというのは有名な話ですが、数学ははてさて普遍の真理なのか。われわれとは違う法則の世界がかつて――いや今も存在しているのでは? 細かい理屈はわからなくても、四次元のパラレル・ワールドみたいな話だと思えばよろしい。しかしこれは映画化できないねぇ。クライマックスがコンピュータの画面で勝負!だものね。むかし松っちゃんが、パソコンで悪を倒す『ヒキコモレンジャー』みたいなギャグを言ってたけど、そんなの思い出した。いやしかしケッ作ではあります。
 

「決断者」(Miser Volition,1995)★★☆☆☆
 ――おれは左目にパッチを固定した。おれはいまなにを見たんだ? 何だってできたのに、そうしないことを選択した。おれが選択したのだ。では、どのようにして――? 最終的な行為を選択したのはおれの体だが、そのすべての起点はどこにあったのだろう?

 決定する自己を探る可能性のあるソフトという設定は面白いのだが、いかんせんそれを最良の形で描いているとは言い難い。「ルミナス」くらい希有壮大だと楽しいんだけど。これはちょっと内省クンな話なので。「行動原理」にしても「真心」にしてもそうだったんだけれど、結末も安易というかわかりきってるというか。わかりきっているはずのことを形を変えて繰り返し問い続けるのが著者の持ち味なのかもしれないが、何かあっけないよね。
 

「ふたりの距離」(Closer,1992)★★★☆☆
 ――ひとりきりで永遠を生きたいとは、だれも思わない。まず最初に、わたしたちは体を交換した。三ヶ月経って飽きがきた。次にシーアンがクローンを作らせ、わたしたち両方が女性になるようにした。三種類目の身体置換は、シーアンが体験したことを自分も知るためでもあったと思う。もともとの姿に戻った翌日には、両性具有の一卵性双生児のニュースを目にした。

 これも発想は面白いんだけれど、「決断者」と同じく内省的な一人称で思想的なことをわたし語りさせるのは、理屈っぽいオタクじみていていまいち乗れない。同じ一人称でも「行動原理」のように妻の死というやむにやまれぬ要因に根づいていたり、「ルミナス」みたいなワトスン役であればすんなり楽しめるのだが。やはりあっけにとられるくらいあたりまえな結末。“相手の気持を理解したい”というこれも例によって素朴な発想をハードSF的にふくらませているのだけれど、本書収録作の多くは“なぜそうしたいと思うのか”という動機づけが全般的に弱い。
 

「オラクル」Oracle,2000)★★★★☆
 ――檻の中のロバートはぎょっとした。檻の格子がなくなっていた。「あの檻をどこへやったんだ?」ロバートはヘレンにたずねた。「時間反転したの」ヘレンは別のエヴェレット分岐の未来から来たのだ。「あたしの分岐にあった落とし穴を、あなたがたが避けるのは手伝えるはず」やがてロバートの最先端の研究は、敬虔なキリスト教徒でもあるジャックの反発を招くことになった。

 別の多世界宇宙から別の多世界宇宙に遡ればパラドックスはない、という発想は面白いけど、そこはまあ理屈づけというか、あんまり物語自体とは関係ない。読みどころはむしろ、「機械は思考できるか?」についてのロバートとジャックの一騎打ちの議論。クリスチャンと科学者の議論だけど神学VS科学にはならないところがミソ。ただし、理論の部分はともかく、根っこの部分が例によって“演算に関する言説を演算だけでは証明できない”という単純なものなので、どこかちぐはぐ感がある。「ルミナス」みたいにイクとこまでイっちゃってくれるといいんだけどな。物語《ロマン》の部分と科学《ハード》の部分がうまく噛み合ってない。分岐しない存在というほとんど反則技オールマイティな存在が、物語のなかで一つの役割を担っていてなかなか面白かったのだけれど、むしろこの分岐しない存在についてもうちょっと丁寧に筆を割いてほしかった。しかし「ルミナス」もそうだったけど、冒頭のクライムっぽい場面は単なる作者の趣味なのかねえ(^_^ ;。なんだなんだ何が起こってるんだ!?と引き込まれはするんだけど、本文とあんまり関係ないんだよね。
 

「ひとりっ子」(Singleton,2002)★★★☆☆
 ――「この子がわたしの娘なの。生まれるのがほんの何年か遅くなったけれど」――待望の第一子となるはずだった女の子を失った科学者夫婦が選択した行動とは!? 子どもへの“無償の愛”を量子論と絡めて描く衝撃の表題作(裏表紙あらすじより)

 もし自分がそうしていなかったら(そうしていたら)――という可能性を恐れるあまり、多世界宇宙に分岐しない単一のAIを我が子とする。「オラクル」の設定世界を、「ルミナス」みたいな壮大な法螺を使って書き起こしたようなユニークな作品。例のごとく、主人公がそこまで多世界宇宙を恐れる理由に説得力がないのが玉に瑕。というか、この作品の場合は大きな瑕。家族の愛情というのが題材の一つでもあるわけだから、もうちょっとそっち方面の葛藤もほしい。「オラクル」に書かれていた“分岐しない存在”についてさらに詳しく説明されているので、「オラクル」でピンと来なかった部分を補う役目も負っています。
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