『壁抜け男 異色作家短篇集17』マルセル・エイメ/中村真一郎訳(早川書房)★★★★★

 『Le Passe-Muraille et Le Vin de Paris』Marcel Aymé。

 収録作七編中四編は、他の出版社から出ている文庫にも収録されているので新味はないけれど、中村真一郎の訳もよい。

「壁抜け男」(Le Passe-Muraille)★★★★★
 ――モンマルトルのオルシャン街七五番地乙の四階に、デュチユールという名前のすぐれた男が住んでいた。この男は不思議な才能の持ち主で、何の苦もなく壁を通り抜けることができるのだった。

 問答無用の大名作。ひょうひょうと人を食った出だしから、さりげなく描かれながらもストレートに突きつけられる人間性の本質、物悲しさ漂う雰囲気、全編を覆うユーモアに至るまで、これぞエーメの真骨頂。エーメには“人間の業”を生真面目に描いてしまったような作品もある。それはそれでずしりと重い読後感を味わえるのだが、やはり業のようなものを描くにしても本篇のように軽妙な筆致を選んだ作品こそがエーメの本領だと思う。

 クライマックスなんてありゃしない。日常エッセイのごとくに淡々と進んでゆきます。事実、日常、なんですよね。誰もが、嫌な上司に一泡吹かせたり、スリルを味わってみたり、顕示欲を抱いてみたり、手に入れられないものを手に入れたり、したがっている。否、している。心の中で。
 

「カード」(La Carte)★★★★★
 ――食料の不足に備え、また国民の労働要素の高能率を確保するために、非生産的な消費者たち、つまり老人、退職者、年金生活者、失業者、その他の無用な連中を死に至らしめる方法が考えられている。根本的には、私はこの処置をかなり正当であると考えている。

 自分が有用な人間だと思い込んで無用の人間を憐れんでいたのに、無用の人間扱いされていたと知った途端に手のひらを返して有用な人間をこき下ろすという、ギャグのお手本のような場面から幕を開けます。一時的に死ぬという法律を作ったら、実際に一時的に死ねるのがエーメ作品です。まるで言葉のあとから事実はついてくるとでも言いたげな、各種エピソードが小気味よい。何のために生きてるんだろう?という問題意識、そして勇気と切なさを与えてくれる。

「よい絵」(La bonne peinture)★★★★☆
 ――モンマルトルのサン・ヴァンサン街のアトリエに、ラフルールという名前の画家が住んでいた。三十五歳の年齢に達したとき、彼の絵は極めて豊かで、実質的なものになった。精神にとってばかりでなく、肉体の栄養物になったのである。

 「カード」から「サビーヌたち」に至るまで、登場する〈芸術家〉たちはみんな純粋で傲慢。名声は望んでないけど評価はされたいというアンビバレントな(考えようによっては幼稚で都合の良い)気持を持ち合わせている。「カード」の設定をひっくり返したような「有効芸術」なる概念が秀逸。↓「パリ横断」でも対比されていた聖と俗が、こんなふうに幸せな結合を果たせば(もしかしたら)この世は幸せになれるのだ。
 

「パリ横断」(Traversée de Paris)★★★★☆
 ――その犠牲はすでに小間切れにされて、地下室に横たえられていた。マルタングランジルは、夜中の十二時までにその豚肉を秘密裡に肉屋まで運ばなくてはならない。ところが、グランジルははっきりと言った。「これじゃ二千フランはいただきたいな」

 大げさに言えば聖と俗。日常に埋没して真摯に生きていくことと、そんな凡人を嘲笑して芸術に生きていくこと。どちらも彼らなりに一生懸命に生きているのでしょう。己の信念を揺るがすような人間を殺してさえも、“人間とは正直なものだ”という信念を信じていられる――ものなのでしょうか。ドイツ占領下のパリが舞台になってはいるけれど、いつの時代どこの世界でも通じる物語。
 

「サビーヌたち」(Les Sabines)★★★★☆
 ――昔、モンマルトルのアブルヴォワール街にサビーヌという名前の若い女が住んでいた。この女は同時存在の才能の持ち主で、自分を好きな数だけ増やすことができると同時に、肉体と精神を望む場所に存在させることができるのだった。

 これまたアンビバレントな感情を絵に描いたような形で表現した作品です。気の遠くなるような輪廻転生を、縦軸ではなく横軸で描いたような快作。忍法帖以外で分身の術が見られるとは思わなかった(^^)。
 

「パリのぶどう酒」(Le vin de Paris)★★★★☆
 ――アルボア地方のある村に、フェリシアン・ゲリヨという、ぶどう酒嫌いのぶどう作りがいた。しかしぶどう酒の嫌いな人なぞアルボア地方では一人もいなかったのである。フェリシアンは、ぶどう酒を好かないなぞとは口が裂けても言えなかった。

 これはエーメにしてはそれほど突飛な物語ではありません。いや普通の基準に照らせば充分突飛なんだけど。義父の姿が酒壜に見えてしまって追っかけ回すという強迫観念に囚われた男の話。ぶどう酒嫌いのぶどう作りという冒頭からどこに連れて行かれるのかと思ったら、こんな話になりました。
 

「七里の靴」(Les bottes de sept lieues)★★★★★
 ――小さな貼札には、簡単な言葉が書かれていた。「七里の靴」。その文句は、歴史上の大人物と変わりない権威をその靴に与えていた。が、子供たちのだれ一人として、この靴を履けば一跳びで七里行けると、信じていたわけではない。

 これまでの作品では、物語の冒頭からあり得ない世界が同居していたんだけれど、これは比較的まっとうな腕白少年ものとして幕を開け、そのまま物語は進んでゆく。ところが最後の最後にファンタジーに昇華します。これまでの作品と同じように、突然。ごく当たり前のように。偵察ごっことか、怪しげな古道具屋だとか、いかにも男の子が惹かれそうな輝きに満ちていて楽しいし、子どもゆえの苦さにも満ちている。そんな現実に、ほんのちょっぴり救いがあってもいい。
 ---------------

 『壁抜け男』
  オンライン書店bk1で詳細を見る。
 amazon.co.jp amazon.co.jp で詳細を見る。


防犯カメラ