『ユリイカ』2008年3月号通巻548号【新しい世界文学】★★★★★

「「世界文学」から「文学世界」へ」若島正×菅啓次郎×桜庭一樹
 お三方のお勧め三作と、「世界文学」についての鼎談。ざっと概説といった感じでちょっと不完全燃焼気味。もっと深い話をしてもらいたかった。
 

 各国作品の研究者や翻訳者による、各国文学事情が掲載されています。

「新しいブーツとすり切れた批評」武田将明
 ほかの執筆者たちが各国の作品紹介&文壇状況の解説といった感じのなかで、武田氏によるイギリス文学の項だけが自説の開陳になっていて何だか場違いなんだけど、今さら英米文学の紹介を個別にしたってしょうがないってことなのかな。「まだ手元にないので、書評やネット上でのインタヴューを参考に、マクドナルドの主張をまとめてみよう」という無責任極まりない文章には、開いた口がふさがらなかったけど*1。もしかして「語りの信憑性」のパロディですか? こういう自殺行為な文章を平気で書くとは。。。

「剥き出しの生」野崎歓
 そのほとんどをジョナサン・リテル『レ・ビヤンヴェイヤント(慈しみの女神たち)』(Jonathan Littell)とミシェル・ウエルベックジャン・アツフェルト『裸の生のさなか』『大鉈の季節』(Jean Hatzfeld)の内容紹介に費やしながら、フランス語小説の変化と現状をまとめた好論。ルワンダの内戦を描いたアッツフェルトの三部作が読みごたえがありそう。

「ポスト〈統一〉のドイツ文学」瀬川裕司
 タイトル通り、東西統一後の文学の特徴をざっと概観なんだけれど、英米以外の作品はほとんど日本に紹介されないだけにありがたい。注目は今春邦訳出版予定のダニエル・ケールマン『世界の測量』。百二十週以上ベストセラーリストに登場しているというのも凄いけど、フンボルトガウスが主人公の〈哲学的冒険小説〉というあたりに、ちょっとスリップ・ストリーム系の匂いがして気になる。

「イタリア文学における非人間中心主義の系譜」堤康徳
 「非人間中心主義」というからアンチ・ロマンとかそういうことなのかと思ったら、なるほど「非・人間中心」か。人間と動物の関係を描く作家たち、についてです。カルヴィーノの話から始まるものだから、もっと知られていない作家を紹介してほしいのになあ……とも思っていたのだけれど、なるほどそこにつながるわけですね。

「物語は続く、それでも、あるいはそれゆえに」小澤英実
 アメリカといえば避けて通れないポスト9・11文学を、「喪失」をキーワードに概説。個別の作品ではジョナサン・サフラン・フォア『めちゃくちゃなやかましさとものすごい近さ』(Extremely Loud & Incredibly Close)の「遊び心に満ちた視覚的仕掛け」が気になった。

「アンソロジー21世紀の世界文学」

「墓違い」ケリー・リンク柴田元幸(The Wrong Grave,Kelly Link,2007)★★★★☆
 ――あんなことになったのも、マイルズ・スペリーという男の子が、死んでまだ一年も経っていないガールフレンドだったベサニーの墓を掘り起こそうなんて気を起こしたからだった。目的は、ベサニーの棺に入れた自作の詩の束を取り戻すこと。

 言うまでもなくアメリカの作家。相変わらずポップで死的で思春期的に切ない。文字通りの意味で死者が主人公の物語です。死者を描くというのにこういう方法もあるのか。クールでかっこいい、とても魅力的な女の子。その一方、そこかしこで見せるマイルズのへっぽこぶりが最高に可笑しい(^_^;。とどめはラストだ。
 

「共同パティオ」ミランダ・ジュライ岸本佐知子(The Shared Patio,Miranda July,2006)★★★★☆
 ――ヴィンセントにはヘレナという奥さんがいる。ヴィンセントは共同のパティオにいた。ここは一階と二階の共用だ。わたしは自分にも権利があることを主張するために、たまにパティオに自分のものを置いておく。

 アメリカの作家。というより映画監督なのかな。いかにも最近のアメリカ小説的な、地の文と内的モノローグが交互に語られる構成。こういうのはよっぽど上手くやらないと、「またか」って感じになっちゃうんだけど、なるほど岸本さんが気に入っているらしくシュールな笑いが感じられます。わたしの好みから言うとちょっとシリアス過ぎるけど。
 

『ロシアン・ディスコ』より三篇「ベルリンのロシア人」「愛の園を抜け出して」「わたしの小さなお友達」ヴラディーミル・カミーナー/秋草俊一郎・甲斐濯訳(Russendisko.Russian in Berlin,Garren de Liebe,Mein Kleiner Freund.Wladimir Kaminer,2000)★★★★★
 ――一九九〇年、モスクワである噂が広まった。ホーネッカーがソ連からユダヤ人を受け入れる。ケルンでは、ラビが委託されて、それら新参者のユダヤ人がほんとうにユダヤ的かどうか試験した。「過越祭にユダヤ人は何を食べますか?」「キュウリです」

 ドイツのロシア移民作家。現実ともフィクションともつかない不思議なセカイがマイペースに展開する。ギャグでもシュールでもない「軽み」の域に達してます。わたしみたいなのんしゃらんな日本人には、書かれてあることがオーバーなホラなのか現実に起こっていることなのか判断がつかないんですよね。社会派なのにヘンな作家。こんなとこ見っけた。
 

「ジム」ロベルト・ボラーニョ/久野量一訳(Jim,Roberto Bolaño,2003)★★★★★
 ――ジムほど哀しげなアメリカ人には会ったことがない。あるとき、メキシコ・シティの街路で火吹き男に見とれているジムを見つけたことがある。ジムは両手をポケットに突っ込んでいた。火吹き男は松明を回し、荒々しく笑う。

 チリの作家。ラテンアメリカらしい、だなんてラベルを貼るのはいけないんでしょうけれど、この地域性あふれるワンシーンから突如として立ち上がる恐怖と幻想は、やはりラテンアメリカ文学の十八番です。人が魔に魅入られて囚われる瞬間の鮮やかさ。
 

「動物小寓話」イグナシオ・パディージャ/久野量一訳(Bestiario Mínimo,Ignacio Padilla,2001)★★★★☆
 ――人びとは嬉しそうにやってきた。鉱山の深い裂け目に何が何でも行こうとするので、役所は鉄条網を張り見張りを立てて監視させた。布告には、写真撮影を禁止する、と書かれていた。光が獣に致命的な害を与える恐れがあったからだ。

 メキシコの作家。〈クラック〉のメンバーらしい。詳しくは安藤氏の解説を。「何だかわからないもの」を描かないでいることに眼目のある作品であれば、もっとスマートなものがいくらでもあるのだけれど、これはむしろそれを取り巻く人間たちの野次馬根性っぷりがお澄ましいぢわるに描かれてます。鹿爪らしくもってまわったような文体がぴったりです。
 

「夕暮れの儀式」エドムンド・パス=ソルダン/安藤哲行(Ritual del atardecer,Edmundo Paz Soldán,1998)★★★★☆
 ――娘が恋人と愛し合っているのを見たところだ。娘の秘密を知ってずいぶんたつ。わたしたちの留守をいいことに、自分の部屋を夕暮れの密会の場所にしている。娘の部屋の横にある、バスルームに忍び足で進み、鏡の後ろの穴からのぞくと、リズミカルに動くふたつの肉体が見えた。

 ボリビアの作家。ただの(?)変態親父の話だと思っていたら、最後の最後に狂気に突き抜ける。煽りも改行もなく、それまでの文章と地続きでくるりとひっくり返るのは、相当に怖いというか気持ち悪い。読む人によっては、最初も最後も変態であることに変わりはないじゃん、という感想になると思うし、それが真っ当という気もする。
 

「悪魔の日記」セサル・アイラ/久野量一訳(Diario de un demonio,César Aira,1998?)★★★★☆
 ――いつか将来、ぼくはこんな風に言える――「自分が善人であることに疲れ、悪人になる日があった」と。今日がその日だ。今日、ぼくは善人であることに終止符を打つ。善人でいることより悪人でいるほうがよっぽど価値があることは、まったく客観的に明らかだ。

 アルゼンチンのベテラン作家。映画『ある日、突然。』の原作者。四十六歳にして青臭い思想に目覚めちゃった父っちゃんぼうやの話だけど、ところどころで良識と悪意に対する諷刺めいた発想も楽しめる。やっぱり語り手が四十六歳というのがポイントかな。これが少年ならありきたりのところを、おっさんであることでミスマッチが馬鹿らしくて哀れにも笑える話になっています。その点「ぼく」という一人称もGJ。
 

ベトナム。木曜日。」ヨハン・ハルスター/西田英恵訳(Vietnam.Thursday.,Johan Harstad,2007?)★★★★☆
 ――自分を傷つけなければならない、と想像してみて。安全カミソリでも普通のカミソリの刃でもいい、それをやわらかな桃色の歯ぐきに当て、ぐいぐいと力を込めて削いでいくところを想像してみて。どう、痛い? 紙のふちをしゅっとまぶたに走らせるところを思い浮かべてみて。

 ノルウェイの作家。う〜ん。。。ハルキ・ムラカミ的というか、この作品自体『Words Without Borders(国境なき言葉たち)』というアンソロジー収録作なのだけれど、ノルウェイというよりはなんだかアメリカっぽい雰囲気がある。ベトナムの痛みと語り手の不安(とそれからの克服?)が対話形式で徐々に明らかになってくる、残酷だけど静かで暖かい作品。「ベトナムという言葉そのものが擦り切れて、損なわれてしまっているから。それはチャック・ノリスを示す言葉になってしまった。」とか悪口のセンスもある。
 

「七年」アニー・ベイビー/泉京鹿訳(七年,安妮宝貝,2000)★★★☆☆
 ――どうして愛し合っているときでも、心は孤独なのだろう。リン、わたし魚になったのよ。彼女がつぶやく。暗闇の中、彼は黙って彼女を抱き起こす。ふたりは、暗闇の中の孤独な野獣。その年の八月、彼は彼女を病院に連れて行った。

 中国の作家。たぶん今の中国では周回遅れでこういうのが求められているのだろうけれど、村上春樹アメリカ文学を水で薄めたような印象は否めない。やりきれない思いや行為を、小説として昇華し切れてないような。Yoshiとかセカチューとか。男の子に向かって、「見つめてばかりいたら、チュウしちゃうから」というシーンだけが印象に残りました。
 

ロシア文学「亡命」第五の波、あるいは二一世紀の宇宙犬たち」秋草俊一郎
 ロシア系移民による、ロシア文学の系譜。秋草氏の文章を読むかぎりでは、作家たちにとってロシアという存在はかなり大きなもののようです。本書掲載『ロシアン・ディスコ』のカミーナーについても詳しく筆が割かれています。カミーナーの作品はもっと読んでみたいんだけれど、邦訳はもちろん英訳も『Russian Disco』しかないみたいです。仏訳だと『Musique militaire』と『Voyage à Trulala』があるんだけど。ドイツ語勉強しようかなあ。。。でもドイツ語って無駄に一単語が長いから見てるだけで頭が痛くなるんだよなあ。。。

「マッコンドとクラック」安藤哲行
 マッコンドというのは誤植じゃあありません。「ブーム」以後の若いラテンアメリカ作家たちが出したアンソロジーのタイトル。本書にも登場のパス=ソルダンも参加している模様。若手作家特集といった感じの『マッコンド』に対して、ちょっと思想性の強そうなのが〈クラック〉と呼ばれるムーブメント。いろいろ書かれていますが、本書掲載のパディージャの作品を読んだだけでは実体がよくわからない。それでもラテンアメリカ文学が活きがよさそうなのは確かなようです。

「中国の村上チルドレンと村上春樹小説の「家族の不在」藤井省三
 『世界は村上春樹をどう読むか』を読んだときにも思ったのだけれど、高度成長後の喪失感たら何たらはともかく、春樹文学がプチブルのステータスというのが出来の悪いジョークとしか思えない(^_^;。一部の人間だけじゃなく国自体が豊かになって、ハルキ的な雰囲気だけじゃなく技術も伴いはじめるには、もうちょっとかかりそうです。
 

「わが世界文学けもの道」岸本佐知子×山崎まどか
 未訳の面白そうな小説がいっぱい。アメリカの女子文学と言ったときに、必ずドロシー・パーカーシルヴィア・プラスとエミリー・ディキンスンが出てきますよね」「その三人だと苦しいよね(笑)」とかいう会話が無性におかしかったりするんですが、そんな流れでリディア・デイヴィス、ダイアン・ウィリアムズ、ケリー・リンクジュディ・バドニッツジーン・リースドロシー・パーカーマーガレット・アトウッドジョイス・キャロル・オーツの名前が挙がってました。まったくの未知の作家だけど、Diane Williams は読んでみたいな。

 レイ・ヴクサビッチでググってみたら、『エソラ』Vol.4に岸本訳が掲載されているらしい。「綺麗なジャケット」の方も確かめねばなるまいとamazonRay Vukcevich を見てみると、騙し絵というかマグリットみたいなシュールレアリスムな感じ。『Meet Me in the Moon Room』というタイトルもよさげ。ほかにモーリーン・F・マクヒューやA・M・ホームズ(『群像』07年12月号所収)など。『McSWEENEY's』という雑誌があって、アリソン・スミス「The Specialist」とその短編映画化「The Big Empty」が紹介されてました。短篇の方は雑誌のホームページで読めます。短篇映画の方は『Wholphin』という姉妹雑誌に収録されてて、日本版もあるみたいです。米版でよければyoutubeとかで見れる。

 へえ。バドニッツって漫画家なのか。読んでみたいな。アメリカの女流文学と少女マンガについての話もあります。

 最後はジャケ買い作品について。小さな国の領土問題(しかも登場人物が空缶とかガラクタ)というジョージ・ソウンダース『The Brief and Frightening Reign of Phil』とか、一目惚れした男の子にキスした拍子に飲み込んじゃってそのまま暮らす話など収録のジュリア・スラヴィン『The Woman Who Cut Off Her Leg at the Maidstone Club』とか、見知らぬ言語の本一冊だけを与えられた終身刑囚がそのうちにオリジナルな言語体系を作り出すリン・ディン「Prisoner with a Dictionary」(『本の時間』第1号に柴田元幸訳あり)とか、無人島に何を持っていくか聞かれて適当に答えたらその通りにされてしまった話とかB型肝炎になった少女がギャル文字で綴った話とか収録のサイモン・リッチ『Ant Farm』あたりが面白そうでした。
 

「では、圖書室で逢ひませう!」千野帽子
 絶版本や未訳本も含め、存在は知っているけれど読んだことのない本を「読まず嫌い」と名づけて紹介。

「翻訳小説とふたりのハウザー」海猫沢めろん
 翻訳小説に対する過去の偏見と、ミルハウザーについてのエッセイ。

グローバリズムのかげで、祈ること」江南亜美子
 九・一一を切り口に「テロについての直接的な言及のない(中略)作品のいくつかをとらえて、あえてその文脈を導入してみる試み」。

「チャイニーズ・イノセンス福嶋亮大
 中国ラノベ事情。アニメやゲームより今中国ではラノベが熱いらしい。

「新しい世界文学の作家たち」藤井光
 本書のヨハン・ハルスター「ベトナム。木曜日。」も掲載されてるアンソロジー『Words Without Borders』からつまんで紹介。
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  『ユリイカ』2008年3月号
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*1:コメント欄を参照


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