『マジック・フォー・ビギナーズ』ケリー・リンク/柴田元幸訳(早川書房プラチナ・ファンタジイ)★★★★★

 『Magic for Beginners』Kelly Link,2005年。

「妖精のハンドバッグ」(The Faery Handbag,2004)★★★★★
 ――あたしはゾフィアばあちゃんのハンドバッグを探してる。妖精のハンドバッグ。わが家代々の宝だというけれど、そんなに古く見えない。ゾフィアが十九のとき、略奪者から逃れるために村人たちはハンドバッグのなかへ移っていった。

 本当は「精」の字は旧字体。FairyではなくFaery。そんな言葉ない――ように見えて、ちゃんと辞書に載っている言葉。バルデツィヴルレキスタン語と現実のあわいにある言葉。おばあちゃんの嘘が実在していた!という嘘話。祖母の死に揺れる心を恋人の失踪(初恋の不安?)に重ねて描いた、少女の成長物語です。
 

「ザ・ホルトラク(The Hortlak,2003)★★★★☆

 これは『SFマガジン』と『どこにもない国』ですでに読んでいるので今回はさすがにパス。
 

「大砲」(The Cannon,2003)★★★☆☆
 ――Qそして誰が大砲から発射されるのですか。A私の兄が発射されるでしょう。Qそして大砲の名前は何ですか。Aモンズ・メグ。デュレ・グライテ。ニックネームは〈不可避〉。その色合いゆえ、そして多くの男と交合してきたゆえに〈未亡人〉の名で通っています。

 ははあ。わからんね(^_^;。明らかに性的なことを含む何かのメタファーっぽいのに、根っこを掴ませないというか初めから根っこなんかないというか。シェリー・ジャクスンの挿絵のせいもあって、不条理にゴーリーっぽさを感じる。

 Qの初めに書かれた「そして」というのは「And…」の直訳だと思うんだけど、英語では確かにこういう表現をするけれど日本語では普通「そして」とは訳さないですよねえ。。。柴田氏のことだからわざと直訳してるのだろうけれど、何か不思議。
 

「石の動物」(Stone Animals,2004)★★★★☆
 ――彼らは結局その家を買った。兎たちは玄関の両側に座っていた。二匹の石の動物が座っている。「テレビがね、変なの。ちゃんと映ってはいるのに、子供たちが近寄ろうとしないの」ヘンリーが帰ってくると、キャサリンは部屋にペンキを塗っていた。

 マタニティ・ブルーやワーカホリックや転校といったそれぞれの不安を、心の内ではなく“外から来たもの”として幽霊屋敷もののように描いた、ホラーといってもいいような作品。一見すると古典的なスタイルの小説っぽいのだけれど、リンクはこういう書き方はあまり上手くないように感じました(――というかわたしがこういうの苦手なだけか)。
 

「猫の皮」(Catskin,2003)★★★★☆
 ――魔女は死にかけていた。敵に毒を盛られたのだ。三人の子供に資産を与える作業に取りかかった。フローラには自動車とハンドバッグ。ジャックには本、スモールにはヘアブラシと復讐を。猫は言った。「あたしのことは魔女の復讐って呼べばいい」魔女の復讐は猫の皮で服を作り、スモールに着せた。「あんた、見栄えのいい猫だよ」

 わたしのなかでは「リアリズム」と「ファンタジー」と「童話」というジャンルが別々に存在していたんだなあと、この作品を読んでしみじみ感じました。我ながら頭が固いな。。。そのせいで不思議というより脳が揺らぐようなグロテスクな読後感でした。
 

「いくつかのゾンビ不測事態対応策」(Some Zombie Contingency Plans,2005)★★★★★
 ――これは森で迷子になることをめぐる物語である。ソープという男が郊外のパーティに来ている。パーティに知り合いは一人もいない。無断で入ってきたのだ。女の子がキッチンに入ってくる。「何やってんの?」「電話セールス」「ダッサいわねえ」「そうひどくもないよ。人と話すの好きだから。刑務所から出てきたばかりだし」

 いかにもアメリカ人の好きそうな、くっだらないジョークから広がる世界。「もしゾンビが〜したら」というあり得ない不測事態に対する対応策――そもそもがあり得ないことなんだから、そんなの無意味な仮定に対する無意味な答えなんだけれど、そういう言葉にはできないもやもやした感じを形にしたリンク十八番の作品かと思いきや、ないものはやっぱり初めからないんだよという現実的な落ちが待っていました。
 

「大いなる離婚」(The Great Divorce,2005)★★★★★
 ――昔々、妻が死んでいる男がいた。男が妻を恋したとき彼女は死んでいたし、一緒に暮らした、やはりみんな死んでいる子供が三人生まれた十二年のあいだも死んでいた。妻が不倫をしているのではないかと夫が疑いはじめた時期にも、彼女はやはり死んでいた。

 これはもうほんとに、犬も食わない痴話話。ただそれだけ。ただそれだけ、なんだけれども、結婚しているのが生者と死者のカップルになるだけで、こんなフシギでおかしな話になってしまう。男の言い分、女の言い分、調停役の取り持ち業者の言い分、誰の言葉もごもっとも、と痴話コメディみたいに楽しんでもいいし、死者はやっぱり死んでいるのだから、死者は語らず、死者の意思や言葉を持ち出すのは生者だけ――というのを皮肉ったようにも思えます。

 C・S・ルイス『天国と地獄の離婚』(The Great Divorce)と同じタイトルなんだけれど、タイトル以上に何か関連はあるのかな?
 

「マジック・フォー・ビギナーズ」(Magic for Beginners,2005)★★★★★
 ――アメリ東海岸に住むジェレミー・マーズは、巨大蜘蛛もの専門の人気ホラー作家を父に持つ15歳の少年。毎回キャストが変わり放送局も変わる、予測不可能で神出鬼没のテレビ番組「図書館」の大ファンだ。大おばからラスベガスのウェディングチャペルと電話ボックスを相続した母親とジェレミーは、そこに向けての大陸横断旅行を計画している。自分の電話ボックスに誰も出るはずのない電話を何度もかけていたジェレミーは、ある晩、耳慣れた声を聞く。「図書館」の腫瘍キャラのフォックスだった。番組内で絶体絶命の窮地に立たされている彼女は、ある3冊の本を盗んで届けてほしいというのだ。フォックスは画面中の人物のはず。いったい、どうやって? ジェレミーはフォックスを救うため、自分の電話ボックスを探す旅に出る……爽やかな詩情を残す異色の青春小説である表題作(ネビュラ賞他受賞)。(カバー袖あらすじより)

 作中作と作中現実が互いに入れ子になって混じり合う、奇跡のような傑作。こういう作品世界であればこそ、自作の小説に息子を登場させるということの意味も、よりいっそう大きくなってきます。万引きの手並みが奇術の技術にも似ているような気がして、タイトルは「奇術入門」にも掛けているのかなと思ってもみたり。「妖精のハンドバッグ」もそうでしたが、『図書館』が一つのキーワードになっているのは、『はてしない物語』(これは書店ですが)や『何かが道をやってくる』以来の伝統なのです。すでに生まれてきた物語と、これから生まれてくる物語がすべて詰まった場所なのだから。現実を物語化することで希望が開けるのなら、まずは物語ってみよう……ということで、Beginnersに贈る物語という魔法でした。
 

「しばしの沈黙」(Lull,2002)★★★★★
 ――俺たちは地下室でカードをしていた。さっきから、前ではなく後ろに進むものの話をしていた。タイムトラベラー。俺たちみたいにドツボにはまっていない連中。回文の音楽が流れ続ける。エドテレフォンセックスにダイヤルした。セクシーな話だけじゃない、何でも頼んだ話をしてくれるんだ。エドが言う。「チアリーダーと悪魔の話が聞きたい」

 『S-Fマガジン』2006年10月号に掲載のものなので再読。入れ子構造と逆回しで綴られる、別居している妻への思い。『火の鳥』異形編や『リプレイ』じゃないけどさ、何度も繰り返せば、どうなるかをすでに知っていれば、どうにもならないことだってどうにかなりそうな気がするんですよね。
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