歌舞伎を再話(?)した幻想小説。歌物語ではなく純粋な小説作品です。
「勧進帳」★★★★★
――富樫という男に会ったのは、銀座の外れの安い小料理屋だった。「富樫さんですね。」「あなたがシオンさん。あなたは一体、」「私はあなたの欲望に応じるために来たんです。」
弁慶と牛若丸のあいだに怪しい関係を勘繰るのは、それ自体すでに定番という感がありますが、富樫の口からその関係を語らせることで、弁慶・牛若の関係を読者に伝えると同時に富樫の牛若に対する思いも明らかにする構成が印象的です。
「伽羅先代萩」★★★★☆
――そのおばさんは八汐と名なのった。「安っぽい肉体関係より、あたしたちの魂の交流のほうがどれだけ素敵かわからないわよ。」「魂、ですか。」「命まで捧げて尽くしたんですもの。」「相手というのは。」「お兄様よ。」
八汐や政岡といったそれぞれ特徴深い登場人物たちの内面をえぐりながらも、何よりも仁木弾正という敵役のかっこよさがひときわ印象に残ります。著者がこの芝居のどこを気に入っているのかがよくわかりますね。大義名分もどこへやら、これでは女同士の恋の鞘当ての犠牲になったような千松ですが、最後の光景は原作よりは救いがあるでしょうか。
「助六」★★★☆☆
――マンションの隣の部屋の住人が、揚巻という夜の女に代わって以来、夜明けの騒音に悩まされ通しだった。その夜、揚巻は真白な髭を生やした老人と一緒だった。「これ揚巻、お前が逢っているあの助六、あいつは盗人だぞ。」「もし意休さん、助六さんとあなたとは、たとえて言えば雪と墨。」
おそらく、著者は助六の姿にマザコンを見ているということなのでしょう。実際の母親は本篇には登場しないのに、揚巻を母に(ママに)重ねて、ママの影の濃い作品になってます。
「鳴神」★★★★★
――ナルカミという科学者が日本に入国し、何と町内に潜伏しているらしい。何でも人間の頭に妙な電波を送る奴だという。「電波送られるとどうなるんでしょうかね。」「そりゃあ、あんた、□□□□の□□□□で、あれ、どうしたんだべ、とりあえず□□□□。」
やられた。叙述トリックだ(^_^;。いやそんな大げさなものではないけれど。□□□□が醸し出すユーモアは「トカトントン」を思わせますが、こちらは文字どおり伏せ字そのものでもあるわけで、こういう技法はオーツの短篇「■」でも効果的に使われていたのを思い出しました(あちらはシビアな作品ですが)。堕落させられた上人の復讐という形を取りながら、最後にいたって、堕落させた姫の側の罪に反転するところに意表をつかれました。
「東海道四谷怪談」★★★★★
――ゼミの先輩だった民谷伊右衛門が、私の父と同じ会社に就職して一年後、結婚の申込みにやって来た。ところが、やって来た伊右衛門を、父はけんもほろろに追い返した。「あいつはパパの敵の一人なんだ。」「パパなんて最低。」
実はお岩も父親殺しの下手人が伊右衛門であることを知っていた――どころか殺しに一枚噛んでいた――そんな衝撃的な設定でありながら、大筋は原作通りに進んでゆきます。そのため「女の業」めいたものが強く感じられ、「色悪」伊右衛門とがっぷり組んで負けないお岩の悪人ぶりがひたすらかっこいい作品です。
「仮名手本忠臣蔵」★★★★☆
――実業家の塩谷氏が、深夜、社長室で、銃撃、射殺された。いちばんの鍵を握るのは、その夜から姿を消した、秘書の早野勘平だった。
ここまで読んできてようやく、本書には「忠義」という言葉は存在しないのだということに気づきました。忠義という死語に沿って、歌舞伎を古典としてカギカッコでくくって楽しむのもよいですが、やはりどこかに現代性、あるいは普遍性を感じられなくては、意味がないもったいない。忠義じゃなければ動機は何?――というところなのでしょうが、本篇の場合はものすごいファンタジーめいたところに昇華していきます。
「野崎村」★★★★☆
――光子と染子は、学園中が認めるカップルだった。しかし二人は、とりわけ秀才の光子は、驚くべき意志を持っていた。キリスト教の最大の奇跡である処女懐胎を自分たちの身に実現させようとしていたのである。
本書のなかでは、これはそうとうにぶっとんだ翻案です。妊娠や尼さんといった共通項はありますが、著者が原作のどこをどう解釈したのかまったくわかりませんでした。見ようによっては原作も、事実上お光とお染の二人の女それぞれの物語といってもいいような気もするし、そこにスポットを当てたのかなあ?
「関の扉」★★★☆☆
――俺の名前は関兵衛。逢坂の関の関守よ。怪しげな車が来やあがった。真赤な振袖着たお姫様がポルシェを運転してるぜ。「おいおい、どこへ行くつもりだね。」「あたしを知らないなんてモグリじゃないの? あたしは百歳の姥よ。よろしくね。」
歌舞伎特有の複雑な人間関係に説得力を持たせるには、恋心というのは一つの手法でしょう。恋愛ものとして話が進みながら、最後に悪人である自分を発見するというところに、現代物として再構成する工夫が見られます。
「鈴ヶ森」★★★★★
――「ご存じ鈴ヶ森」は、長兵衛が権八を、もろに見染めちゃう芝居なの。だから、色っぽくやってもらわないとね。「陰膳すえて、待っておりやす。」言われてみたいわね、一生に一度でも、男の中の男に、こんな台詞をね!
原作もあっさりしたものであるだけに、本篇もすっきりした作品です。結果的に笑いどころが際立ったショート・ショートのような読後感でした。そういえば、現在世界の役どころではぶす・ぶさいくなのに、歌舞伎の役どころでは美男・美女だという設定の話が本書には多いのですが、これは歌舞伎の嘘や約束事のことを表わしているのでしょうか。
「桜姫東文章」★★★☆☆
――日夏さゆりという女が、夫と子どもを殺した事件は、最初、荒涼とした現代の凶悪犯罪の典型と思われた。だが、さゆりはとんでもないことを言いだしたのである。「自らは北白川の神祇官吉田家の息女桜姫じゃわいの。……」
登場人物に「何もかも因縁ずくさ。(中略)どいつもこいつも滅茶苦茶だぜ、南北先生、人間てのはこんなにややこしいもんですかい。」と言わせているように、みんながみんな誰かの生まれ変わりだったり兄弟だったり愛人だったり……いかにも歌舞伎らしいとはいえ、それを現代に移植するとなるとたいへんなことに。
「熊谷陣屋」★★★☆☆
――熊谷小次郎という少年が私たちのホームに飛び込んできたのは、昨日の深夜だった。「助けて下さい。パパに殺されそうなんです。夕食のあとで、僕の部屋にやって来て、死んでくれって言ったんです。」
ほとんどパロディみたいな作品で、「タイラー王国」だなんてそんなのありかよ、とか思っちゃいました。
「一条大蔵譚」★★★★☆
――まろは一条長成でおじゃる。花嫁の名は常盤、きわめつきのええ女でおじゃる。まろを阿呆と呼ぶ人がおじゃって、阿呆、阿呆と言いまする。めでたいという意味でおじゃるかな。……おう、一条だ、盗聴されてねえか気をつけろ、清盛はどこへ行った、何、……
阿呆と呼ばれる大蔵卿だが、それは周りを欺く仮の姿だった――という人物像を、現代風にアレンジしたら、こうなりました(^ ^)。
「籠釣瓶」★★★★☆
――歌舞伎の花は、文字通り花魁だ。お姫様も素敵だが、花魁のエレガンスにはかなわない。さて、その花魁も数ある中で、私にはひとり親友がいるのだ。『籠釣瓶』の八つ橋である。
歌舞伎の演目だけではなく、歌舞伎役者への愛にあふれた作品。八つ橋から抜け出た(?)六代目歌右衛門が語り手の相手をつとめます。
歌舞伎は、生まれて初めて出会った、美しい化け物でした。/今に至るまで、化け物の正体はわかりません。/歌舞伎との出会いの後、私は歌に出会い、魂はいわば伴侶を見つけたのですが、初恋の化け物 歌舞伎へのひそかな一身の衝動は、年を重ねると共に激しくなります、/それは、今のところ、奇妙な散文でしか語るしかないものです。/なにとぞご一読くださいませ。(著者メッセージ)
-----------------
『歌舞伎ゆめがたり』
オンライン書店bk1で詳細を見る。
amazon.co.jp で詳細を見る。