『村のエトランジェ』小沼丹(講談社文芸文庫)★★★★☆

「紅い花」★★★★★
 ――僕等は驚いた。女独りで山小屋に住みたいと云うのである。黒い服の胸に、オスカア・ワイルドのように真紅のダリヤを一輪飾った女が立去ってから、僕等は大いに憶測を恣にした。

 ……という魅力的な一文から始まる作品です。それが「嘗て花だったと覚しきもの」に変わるのは、リアリズムであれば当然のことなのだけれど、何かいつまでも紅いままでいるような気がしていました。ロマンチシズム過多なこの冒頭に引きずられて。紅い花の女はとりたててヒロイックに特別視されることもなく、ただの元お妾さんの隣人に過ぎません。語り手の視線は必要以上に淡泊にも感じられるけれど、そんな淡々としてるところが小沼丹らしいのでしょう。興味はあるけど詮索しないという距離感がたまらなく現代風。
 

「汽船」★★★★☆
 ――中学生のとき、僕は何人かの外人教師に英会話を習った。その一人は女で、ミス・ダニエルズと云った。――わあっ、凄い婆さんだなあ。そんな白毛の婆さんは見たことがなかった。

 「紅い花」では隣人観察だったけれど、今度の観察対象は日本語の下手な英語教師。対象を外から見つめる語り手の視点は変わりませんが、こうなるともはや、どこか実験対象に対する観察記録のようで、一方的なカメラアイです。観察対象は何か言っている。でも意味はカメラからこぼれ落ちる。けっこう(文体が)ハードボイルド?
 

バルセロナの書盗」★★★★☆
 ――バルセロナにその名を知られたドン・マティヤスなる富豪の邸宅が火焔に席巻され灰燼に帰してしまった。警察は直ちに、出火の原因の調査を開始した。出火の夜、ドン・マティヤスは世に一冊しか無いという書物の自慢話をして頗る上機嫌であった。

 書物に取り憑かれた人間たちを描く、ミステリ・タッチの作品。結末といい、寝取り寝取られの図式といい、寓話の型を借りたようななかに、姿の見えない殺人者の影が舞い飛びます。小沼丹のあっさりとした文章にかかると、殺人すらも「ただ死んでいる」ように感じられて、いっそうお伽噺めいています。
 

「白い機影」★★★★☆
 ――床屋の二階で大きな音がした。――空襲警報だってさ。しかし、その后変った物音は聞えなかった。僕は隣の男と何となく話を交し出した。やがて、僕等は一緒に店を出た。――好かったら寄ってらっしゃい。彼はタキという画家であった。すると華やかな笑声が聞え、一人の女がアトリエに這入って来た。

 白い機影を見て「七つの機影を型取る窓が碧空に切開かれた」と感じる非現実感、その直後に見た機影からは「恐怖しか覚えさせなかった」という現実感。急激に近づいて来た戦争に、現実との折り合いをつけかねているようなところに重ねて、画家とその元カノに振り回され、ボードレールの詩が効果的に使われています。
 

「登仙譚」★★★★★
 ――人間が五穀を食うのは習慣上の惰性に過ぎない。例えば松の葉を食うことも出来る筈なのである。ただ、松の葉は食い難いが、これを食うことが出来るとすると、最早それは唯者ではない。仙人になることが出来る。

 五穀を断って松の葉を食せば仙人になれるらしい……と聞いたお坊さんが、仙人を目指して修行を開始します。ですが当然、周りから見れば怪しげな行動ばかり……。雪のなか、来客の前で、木から木に飛び移る訓練をするのが笑えます。びびりますよ、そりゃ普通。最後の一言がいいですね。当たり前すぎてかえってわたしも気づきませんでした。
 

「白孔雀のいるホテル」★★★★★
 ――僕はひと夏、宿屋の管理人を勤めたことがある。驚くことばかりだった。客はまだ一人もいない。しかし、使用人が一人もいないのだから、客は食事をするにも入浴するにも山の上の店迄登って行かねばならなかった。

 客がちっとも来ないのに、白いホテルを建てる構想だけは着々と進んでいくどうしようもなさ。客自体ほんの数人だというのに、来る客来る客おかしな人ばかり。静寂を求めて閑散とした旅館を選んだ受験生、婀娜なバアの女と頼りなげな男のカップル、なかでもオルゴオルのいわくが馬鹿らしくって最高です。
 

「ニコデモ」★★★☆☆
 ――当時、エルサレムにニコデモという男がいた。説教師のイエスと云う男がいる、と告げた一人の友人があった。「イエス?」「自らクリスト、神の子と云い触らしているらしい」

 ニコデモの見たイエスエルサレム人やパリサイ派たち。イエスのことを若いなあとスルーしつつ、美男子だから気になる――とか何とか。
 

「村のエトランジェ」★★★★☆
 ――降り続いた雨のお蔭で、河の水が増水していた。「へえ、足滑らしたらお駄仏だぞ」二、三分すると、一人の男と二人の女が土堤に上って来るのを認めた。汽車が動いて行くのが見えた。僕は間も無く村を去る。あの三人も――僕は思わず息を呑んだ。姉の白い手が伸びた。その手が男の肩を突いたのである。男は、両腕で大きく空気を掻きながら水に落ちた。

 本書にはいくつか、近所の男女に対して好奇心があるんだかないんだかよくわからない不思議な傍観者の語りがありましたが、それが最終的にこういう形にまとまったんですね。子ども視点というならよくわかる。その分ふつう過ぎてものたりませんが。
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