待望の狩久作品がまとめられました。でもやはりまだ著作権継承者の所在は不明のままなんですね。出来不出来の差が激しい。ロジカルでユーモラスでストレートな謎解き作品よりも、論理を倒叙やサスペンスや幻想でくるんだ作品の方によいものがありました。
次回配本は大阪圭吉。創元や国書に洩れた作品なのかな。
「見えない足跡」(1953)★★☆☆☆
――雨上りの軟かい庭土には第一発見者の女中波多野ユリが往復した足跡しかなかった。殺された高山画伯は少し変っていて、ただひたすらにモデルを凝視し、脳裡に刻みつけてから、その記憶だけでカンヴァスに向う。
これはアンソロジーに収録されていたので再読になります。背折研吉・風呂出亜久子シリーズ第一作。完全にトリックのためのトリック、謎のための謎、で、いかにも苦しいなあ。しかし伏線に傍点を振るというのは、フェアを通り越してネタばらしなんじゃあ……。当時のミステリ界の雰囲気が伝わってくるようです。
「呼ぶと逃げる犬」(1955)★★★☆☆
――殺された我孫子教授の家は変っていた。書斎のスイッチを入れると隣室の電灯が点き、金庫の中には紙屑が匿され、亜久子が犬を「叱、叱!」と追うと嬉しそうにやって来て、研吉が「来い、来い」と呼ぶと、犬は背を向けた。
何もかもが逆になっている家の謎が、枕で言及されていた「死体の周りに家を建てる密室」のヴァリエーションと結びついて解かれるなど、けっこうスマートな作品でした。頭のおかしい教授というのが、逆さの謎をカムフラージュするほかに動機の背景にもなっていて、意外と完成度が高い。まあそうは言っても全体的に強引といえば強引ですが、探偵小説としては許容範囲の強引さでしょう。
「たんぽぽ物語」(1959)★★☆☆☆
――被害者のポケットには『Xの悲劇』、手にはタンポポが握りしめられていた。サロン《たんぽぽ》のマダムでタンポポ好きの江川まゆりが容疑者として浮かび上がった。
どうも著者は本質的に短篇作家であるらしく、長めの作品は間延びして出来が悪い。ダイイング・メッセージの謎をメインに、意外(?)な真相をからめた、素人探偵四人の推理合戦の趣向ですが、ダイイング・メッセージで引っ張るのはかなりキビシイ。本篇には研吉のみ登場。
「虎よ、虎よ、爛爛と――一〇一番目の密室」(1976)★★☆☆☆
――船山巡査が発見した写真家砂村の死体は吹き矢を射られており、傍らには「らんこにやら――」という文字が。船山巡査は推理作家江川蘭子の家を訪れた。門を入るとドアがあり、ドアのうしろは小さな築山で、どこにも建物らしいものは見当らなかった。ドアは鍵穴に刺さった鍵で外側から施錠されていた。なかでは蘭子が必死で虎から身を守ろうとしていた。
以前にアンソロジーで読んだときには面白かった記憶があったのですが。。。よほどほかの収録作がつまらなかったのか……。研吉・亜久子シリーズ最終話。〈犯人〉が密室に閉じ込められ、被害者は密室の外、つまり犯人以外は全員容疑者――という趣向は面白いものの、それを「特殊な建築」でやったのでは面白さも半減以下。そのせいで終盤の仮説合戦も盛り上がりません。
「落石」(1951)★★★★☆
――右腕丈をレールの上に載せ、にっと微笑んだその女は、見事に片腕役の映画の主演を射とめたが、映画完成後に吊橋から身を投げた。女優の妹葉子は、姉が落ちた岩を庭に運ばせ、姉と同じく《杏子》と名付けた。岩は不安定で、手をかけただけでもゆらゆら動いた。
これもアンソロジーで既読。デビュー作。シリアスで幻想的で、作風がだいぶ違います。自分の右腕を列車に轢かせる、というインパクトのある出来事が、ちゃんとミステリとして意味を持った目くらましになっていて、真相の隠し方としては非常に上手いと思います。
「氷山」(1951)★★★☆☆
――これが果して信じられる事であろうか? 昨日まではあれほど美しかった妻が、今は一個の骸と化して、この部屋に横たわっている。淺井青年がまず妻のグラスへ、そして自らのグラスへ冷水を割る。ぐっと呷ったその瞬間、二人の身体が崩れ落ちる。
乱歩の言葉を信じれば、トリックは狩久のオリジナルということになります。今では驚くこともできないトリックですが(おまけにタイトルはネタバレだし)、むしろ日記の構成の方が面白いです(その日記は氷山の一角だよ、みたいな意味もあるのでしょうか)。
「ひまつぶし」(1952)★★☆☆☆
――電灯をつけた瞬間、弓子の身体は硬直した。直ぐ眼の前に、全身黒ずくめの男が、ピストルを擬して立っていたのだ。
これはどちらかといえば艶笑譚でした。
「すとりっぷと・まい・しん」(1952)★★★★☆
――幼い頃両親を失って、祖父の許に厳格な少年時代を送った私にとって、性は一つの禁忌であった。祖父が死に、戦争が終り、大学を卒業しようとする二十三の年に、私は突然喀血した。唯一の親戚に当る叔母の樫村未亡人の許で、療養生活を開始した。絶対安静の病床の中で、心の中を何物かが動いて行った。私は叔母を愛している――。
病気で床に伏しているからこそできる犯罪というトリッキーな趣向が、いかにも狩久らしい。医者に薬をもらうほどの重病でなければ成立しないのである(というか、そうでないと成立しても面白くない)。さすがに結末は偶然にもほどがあるのですが、偶然についての弁明があらかじめ作中で為されていることを考えるとおそらく確信的なのでしょう。タイトルが秀逸。
「山女魚」(1952)★★★☆☆
――麗子夫人はもともと茶目で悪戯好きの性質で、結婚一カ月目の四月一日には、巧妙な偽手紙で山村氏を脅迫し、もう少しで警察沙汰になる所だったので、位探偵小説のファンとなってからは、山村家では月に一度や二度は不思議な事件が起る。浴室から麗子夫人の叫び声の如きものが聞こえた。山村氏が浴室に急ぐとガラス戸に錠が降りていた。ガラスを破って中へ飛び込むと、麗子はどこにもいない。鍵のかかった窓、網蓋の開いた排水口! 直径一〇糎に足らぬ排水口から妻が流れ去ったと云うのか?
やはり著者は謎造りのセンスに頭抜けたものがあります。トリックも真相もたいしたことがないにしても、真相である行為が発生するにいたった動機と機転が利いています。
「佐渡冗話」(1952)★★☆☆☆
――船上で発生した殺人事件に、作家狩久が挑む。
比較的手堅い謎解きもの。新聞連載のため短いいくつもの章から成っているのですが、ほとんど引きのようなものもなく、読みづらい。
「恋囚」(1953)★★★★☆
――砂村氏は若い頃の豪遊が祟って心臓発作に襲われ、主治医からは房事を禁止された。由加利夫人は息子裕一の家庭教師である鷹村和也を初めて見て以来、初恋のことを思い出していた。砂村はやはりあの人を殺害したに違いない……。
一つの描写が二つの真相の伏線になっているところ、その伏線が活かされた密室と見せかけたアリバイ・トリック、著者らしいエロティシズムが単なる雰囲気づくりではなくプロットに関わっているところ、等々、なかなかの完成度。やはりネタとしても謎解きとしてもたいしたことはないのだけれど、アイデアと構成力にセンスが光ります。
「訣別――第二のラヴ・レター」(1953)★★★☆☆
――「久智さん」耳許にかかる熱い呼吸を意識して、ふと眼をあげると、比崎えま子が立っていた。「しかし、えまちゃん、よく僕の居場所がわかったね」「あなたの最初の小説を偶然眼にしたその瞬間から、あたくしには狩久って作者が久智さんの事だと判っていたのよ」
これは怪作。「落石」「ひまつぶし」「すとりっぷと・まい・しん」など過去の自作を取り込んで私小説ふうに料理したうえで、トンデモ本ふうの“推理”を駆使した作品です。
「共犯者」(1954)★★★☆☆
――鍵のかかった窓から覗き込んだまゆりは息を呑んだ。ドアに回ってノッブを握ったときには恐怖がしのびよった。そんなはずはないのだ。背にナイフを突き立てられ、鮮血にまみれて倒れ伏した人間に、内側からドアに鍵をかけられるはずはないのだ。
研吉・亜久子シリーズに顕著だけれど、やはり初期のものと比べると、無駄に複雑怪奇です。
「女神の下着」「《すとりっぷと・まい・しん》について」「料理の上手な妻」「微小作家の弁」「匿された本質」「酷暑冗言」「ゆきずりの巨人」「楽しき哉! 探偵小説」
「評論・随筆篇」とはあるけれど、評論ではなく随筆のみです。
----------------
『狩久探偵小説選 論創ミステリ叢書』
オンライン書店bk1で詳細を見る。
amazon.co.jp で詳細を見る。