「鳥語不同」勝山海百合
――欧相岩が遠い異郷の珍しい風物や習慣について書き記した『鳥語不同録』――書かれている場所の多くは「二度は行かれぬ在郷」だ。女ばかりの村、よそ者との接触を忌避している村……。
『さざなみの国』番外編。「イチコさん」で新境地を開いた著者ですが、原点回帰の中国もの。ユートピア文学のようでいて、その実、描かれている村がこの世ならざる場所だとも言い切れません。みぎわの村に行けないのには道が隠されているという現実的な理由があるし、女ばかりである理由も示唆されており、何より「女人村」という響きから来る幻想をばっさり。だけどそもそも額縁の外の中国がファンタジーなのだから、作中の「現実」が読者には「ファンタジー」でもある、というその揺らぎが魅力。
「少女が重みを返すとき」小田雅久仁
――少女はあの人と同じ“息”を持っていた。といっても少女は未だに“息”をうまく使えない。少女は転校の常習犯だ。“鳥”に見つかるたびに逃げてきた。
特殊能力らしき記述は出てくるものの、前半ではむしろ母親を憎み周囲に溶け込めず妙に理屈っぽい思春期の少女の内面描写に費やされており、ファンタジーという感じはしません。“鳥”に見つかってからは――つまり「あっちの世界の人」に見つかってからは――非現実の世界となり、そこではただただ耽美な景色が描かれます。そのいずれの「気持ち悪さ」も少女に特有のもの。
「邦子さんのチャンピオン」里見蘭
――楽な仕事だった。依頼人を数日間観察するだけ。――邦子さんが仕事から帰ったところでその男を見つけた。「ごめんネー、クニコ! ボクわるかったよ」自分が詐欺やぺてんのたぐいに引っかかるような人間と思われていることに傷ついた。「あなたは、だれ?」「アルディン――あなたのしもべ」
現実と地続きのものばかりが続く。多良見という探偵の視点を導入することで、ただのメルヘンチックなファンタジーにはしないことに自覚的でありながら、結局はメルヘンを選ぶところが、救いか/甘さか。
「スノーボール」石野晶
――母に連れられて新しい父の実家を訪れたとき、スノーボールの木を揺らして雪のような花びらを散らしてくれたのは、父の弟の英輔さんだった。それから英輔おじさんは毎年誕生日にドールハウスの家具をくれるようになった。
少女の目から見た大人の世界。現実の意味をまだわかっていない――という意味では子どもの世界はファンタジーです。少女漫画的な男性性のない男性との心の惹かれ合いは、大人になれば消えてしまう――はずでしたが。
「熄《き》えた祭り」岩下悠子
――夜が怖いのは先天性夜盲症のせいだけではなかった。子どものころ、祭りで上映されていた幻灯機を悪戯で消してしまったら、世界が闇に包まれたのだ。
著者はテレビの脚本家。苦手な同僚との関係性と、トラウマの克服。そんないかにもな話ではありますが、テレビという身近な素材を用いてファンタジー&ミステリを作りあげているのは武器です。
「嵯峨野線レイルローデッド」日野俊太郎
――写真部に所属しているものの撮影の下手な僕は、線路脇で聞こえた「今や、ハイ!」という声に合わせて出来のいい写真を撮ることができた。トクーと名乗るそれはどうやら幽霊らしい。
『吉田キグルマレナイト』で日本ファンタジー大賞優秀賞を受賞した方。人情怪談といった趣。
「桜の森の満開の島」宇月原晴明
――神龍国は絶海の孤島でありながら白殊貝の産地として栄えておりました。独立自尊の気風が強く、本朝に通交の使者を送ったこともなかったのです。それが、仏法を招来したいという商人たちの願いにより、良恵上人が島に渡りましたのです。
芥川の短篇を下敷きにした無理難題(龍が出ても出なくても相手の勝ち)に、どういう決着がつけられるのかと心配しましたが、理屈ではないさらなる奇蹟で圧倒されました。
満開の桜を海に喩え、一方で水を司る龍を海そのものとして描くスケールは、一つの国、一つの世界を描くに相応しい大きさです。