『儚い羊たちの祝宴』米澤穂信(新潮文庫)★★★★★

 フィニッシング・ストロークものの短篇集。収録作はどれも読書クラブ「バベルの会」にまつわるという共通点があります。

「身内に不幸がありまして」
 ――わたしは吹子お嬢さまの秘密の書棚にある本を読ませていただいておりました。やがてお嬢さまは大学に入学されましたが、帰省中に、勘当されたお兄様の宗太様がライフル銃を手にお屋敷を襲ったのです。

 難易度は高いが美しい伏線。その伏線の先にある八百屋お七の変奏である動機。伏線が難しいだけに、その先の真相にたどり着くのは容易ではありません。
 

「北の館の罪人」
 ――わたしは六綱家の旦那様の庶子でした。母の死後、六綱の家を頼ったわたしは、北の館に通されました。そこには早太郎様というご長男が幽閉されていらっしゃいました。

 前の「身内に不幸が……」にしても、本篇にしても、フィニッシング・ストロークどころか読み終えてみれば実はタイトル出落ちだったことに気づかされて愕然とします。伏線どころではありませんでした。
 

「山荘秘聞」
 ――わたしは辰野様の別荘に雇い入れられました。いつ辰野様がいらっしゃってもいいように準備は怠りません。一年も過ぎたころでしょうか、冬山で遭難した方を見つけ、別荘に運び入れました。幸い意識を取り戻され、登山仲間の方も見えられました。

 これだけあからさまに伏線が張られているのに、その意味するところにまったく気づくことができませんでした。もちろん作者が誤導するように企んでいるのですが。
 

「玉野五十鈴の誉れ」
 ――小栗家はお祖母さまが支配していました。そろそろ人を使うことを覚えた方がいい。そう言ってわたしにつけたのが、五十鈴でした。わたしは五十鈴にすすめられて、何冊も本を読みました。五十鈴、わたしの五十鈴。わたしの使用人。わたしの、たったひとりのともだち。

 この作品の、理屈を越えた最後の一文の衝撃度にまさるものはありません。いちばん大切なものから引き離されてしまい信じていたものからも手を引っ込められてしまう、そんな寂しさすらも、かすんでしまう破壊度です。
 

儚い羊たちの祝宴
 ――わたしはもう、バベルの会の会員ではない。パパが会費を払ってくれなかったのだ。パパは厨娘という最高級の料理人を手に入れて満足げだった。羊頭十二個、葱十瓩……どうしてそんなに材料がいるのかわからない。

 アミルスタン羊にまつわる物語。この手の話のつねとして、あのこと自体ははっきりとは書かれません。冒頭に「バベルの会はこうして消滅した」とあることから推測は可能ですが。「はっきり書かれない」こと自体をこういう形で活かして額縁にするとは。

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