『ディオゲネス変奏曲』陳浩基/稲村文吾訳(早川書房 ポケミス1942)★★★★☆

ディオゲネス変奏曲』陳浩基/稲村文吾訳(早川書房 ポケミス1942)

 『第歐根尼變奏曲』陳浩基,2019年。

 香港の作家。部屋に籠って小説を書く物書きを樽のなかのディオゲネスになぞらえ、組曲の形で編纂した自選集です。さまざまなタイプの作品が収められているものの、得意なのは謎解きミステリだと感じました。
 

「藍《あお》を見つめる藍《あお》」(窺伺藍色的藍,2009)★★★★☆
 ――藍宥唯は「群青の家(深藍小屋)」というサイトを見るのが日課だった。「藍」というハンドルネームのこの女を、藍宥唯は愛しているわけではない。愛するのは支配の感覚、陰からのぞき見ることの快感だった。次に藍宥唯はアンダーグラウンド掲示板を訪問した。「ネットにいい女を見つけた」題名は明快で飾り気なく事実を説明していた。ブログを見つけてからもうすぐ一年。家も見つけて、仕事と家族のことも調べた。かなり近づいた。そろそろ手を出す。

 『ミステリマガジン』2019年3月号()の華文ミステリ特集で既読。改めて再読してみると、玄関マットの下の鍵の描写は上手いなあと感心しました。ネットという匿名の媒体を舞台とすることで、叙述トリックでは定番の【ネタバレ*1】がより無理のない形で成立しているのもよく出来ています。
 

「サンタクロース殺し」(聖誕老人謀殺案,2012)★★★☆☆
 ――クリスマスイヴ、橋脚の陰でホームレスたちが暖を取っていた。ジョンと呼ばれた太った男がウヰスキーの差し入れを持ってきた。「クリスマスに酒が飲めるなんてたいしたプレゼントだよ。まるでサンタクロースだ」「サンタで思い出したが、こんな話がある――信じる子供も減ってきて悩んでいたサンタの家に殺害予告が届いたんだ」

 自分殺しを目論んだサンタクロースが信じたい心に触れてもう一度やり直そうとするクリスマス・ストーリーです。子どもではなく、希望もないホームレスだからこそ信じるくらいしか出来ないというのが皮肉です。
 

「頭頂」(頭頂,2018)★★★☆☆
 ――今朝、鏡を見ると、僕の頭の上に顔とそう変わらない大きさの異物が張りついていた。布地が裂けたようにもつれあい、顔の左右に垂れおちていた。もっとよく見てみようと角度をずらすと、そこに爪があった。幻覚だ。エレベーターを出て建物から歩きだしたとき、通行人はひとり残らず頭の上に異物を張りつけていた。

 狂気なのが正気で、正気なのが狂気なホラーです。下手なディストピアよりよっぽど嫌な世の中ですが、誰もが見ないふりをしているものなんて現実にもいくらでもありそうです。
 

「時は金なり」(時間就是金錢,2011)★★★☆☆
 ――同級生の美児との距離を縮めるために立文にはお金が必要だった。時間交易センターで四十二日分の時間を売って二万香港ドルを手に入れた。時間子を操作して個人の意識に働きかけるので、記憶は保たれる。立文はブランドもののバッグを買って美児にプレゼントした。だがそのとき火災が発生し、逃げ遅れた美児を救出した力と美児が付き合い始めた。立文は見返すためにさらに時間を売った。

 この作品で言う四十二日分の時間を売るということはつまり過程をすっ飛ばして四十二日後の結果だけを手に入れるということとほぼ同義です。その見返りに事前に大金が手に入るのであれば、なるほど投資には向いているかもしれません。一つのことだけにこだわり続ける妄念をほかのことに使っていれば、また違った未来もあったでしょうに。立文のその後について「古希の歳にまでなったとしても、ひとがなにかに気づくのに遅すぎることはない」という著者のことばが救いです。
 

「習作 一」(習作・一,2011)★☆☆☆☆
 ――畜生は悲しみを感じるんだろうか。あいつらは死ぬ瞬間、命を失うことに涙を流すんだろうか。手のひらについた血をおれはエプロンになすりつけた。

 その名の通りの習作で、うまく書けないときにいくつかのキーワードをもとにとりとめなく書いた掌篇の一つで、当然未発表です。特にオチがわるわけでもなくほんとうにただの習作です。
 

「作家デビュー殺人事件」(作家出道殺人事件,2011)★★★★☆
 ――「推理作家になるなら、人を殺さないと」。青年は目の前の中年男を困惑の目で見つめた。「編集さん、それは――」「C氏の作品に魂があるのはなぜだと思う?」。ではだれを殺すべきか――。個人的な恨みでは動機から特定されてしまう。事故? 爆殺? いや、編集者に賞賛されるようなトリックでないと。書店で姉妹が話しているのが聞こえてきた。演劇部の姉は推理小説を見下しているらしい――。やがてR大学の物置で絞殺体が見つかった。練習中の演劇部のだれも、物置に出入りする人間を見ていない。

 とことん推理小説のパロディになっています。「ジョン・ディクスン・カーを読んだ男」に代表されるように、こういうタイプのパロディはたいていの場合は犯人の凡ミスがあったりするものなのですが、本作品の場合はもっと辛辣で、すべてが完璧に行っても所詮はフィクションであり現実には勝てません――と思ったら、さらにひとひねりありましたが。頑張った肝心のトリックがしょぼいのが哀しい。不可能犯罪の魅力あふれるCとはカーがモデルで、天馬空を行くような犯行方法のSとは島田荘司がモデルかな、と思ったりもしましたが、中国語読みだとSじゃなさそうです。
 

「沈黙は必要だ」(必要的沉默,2014)★★★☆☆
 ――こんなところに押し込められてからもう十一年になる。先週は周のやつが看守に殴り殺された。生きのびたいのなら、黙っていたほうがいい。黙ってつるはしで採掘をつづけていると、坑道を支えていた柱が倒れて、王さんが岩の下敷きになっている。あわてて助けにいったが、看守は「持ち場に戻れ!」と言って拳銃を取りだした。

 書かれた経緯が香港の政治的な事情によるもので、あとがきの文章を読んだだけだと過剰反応じゃないのかと勘繰ってしまいますが、現実に香港のデモや中国の圧政が起こったのを見ると当時の反応は正しかったのでしょう。ミステリ作家なので殺人を描くのは当然にしても、作家からのアンサーがこの作品だというのは面白い。
 

「今年の大晦日は、ひときわ寒かった」(今年的跨年夜,特別冷,2011)★★☆☆☆
 ――今年の大晦日はひときわ寒かった。けれどもぼくの心は暖まっている。ぼくの胸に抱かれた恩が、つややかな両のまなざしでぼくを見つめている。近くの広場ではカウントダウンのイベントをやっている。「寒いかい?」。恩は首を振って、ふたたび顔をぼくの胸にあずけた。

 ショート・ショート。フィニッシング・ストロークっぽくするため、新聞記事を伏せ字にして最後にデスクにその事情を言わせるのは、上手いというかずるいというか。しかもせっかくの苦労にもかかわらずあまり効果が上がっていません。
 

「カーラ星第九号事件」(加拉星第九號事件,2012)★★★☆☆
 ――カーラ星に向かった探査機に異変が起き、三名の乗組員が命を落とした。宇宙探査に対し保守派の船長が最期に残した言葉から、発展派のモムク司令が疑われていた。いま総督会議室では、保守派のマキラ総督が連れてきた前時代的な“探偵”デュパパンが事件を推理しようとしていた。

 SFミステリ。現実とのリンクのさせ方に洒落っ気があり、事件そのものの解決よりもオチの方が面白い。どのように事件を起こしたのかが謎であり、コンピュータ検査をどうやってすり抜けたのかが、アナログとデジタルの違いとでもいうのか人間とコンピュータの認識方法の違いに起因しているところに意外性があります。
 

いとしのエリー(Ellie, My Love,2012)★★★☆☆
 ――わたしはエリーとの旅行中に起きた笑い話をスーとトニーに話していた。エリーはわたしの妻、スーはエリーの妹で、トニーはスーの結婚相手だ。「エリーはどうして顔を見せないんだ?」「すこし気分が悪いから上階で寝ているよ」。死体となったエリーはそうなる前よりも魅力的だった。わたしはエリーの肩を揺するふりをして、寝返りを打ったかのように見せた。

 本書収録の「習作」「沈黙は必要だ」「姉妹」などでも使われていた、対象を誤認させる叙述が用いられています。それだけの作品ですが、スマートな小品です。
 

「習作 二」(習作・二,2018)★☆☆☆☆
 ――僕は病にかかっている。孤独という病に。ふたたび訪れたこの街は、なにもかもが変わりはてていた。かつての賑わいは蜃気楼のように消えうせていた。試着室の前でようやく満足いくものが見つかった。真新しい靴に履きかえたときには思わず首を振って失笑した。

 一や三と違い対象の逆転劇があるわけではなく、単にオチのあるだけの作品でした。
 

「珈琲と煙草」(咖啡與香菸,2009)★☆☆☆☆
 ――水曜日以後の記憶がない。ひとまず家に帰ろう。きんと冷えたコーヒーが飲みたい。コンビニに入ると、十五、六歳の少年がふたり、煙草を吸っている。おれはきつい眼で睨みつけ、冷蔵庫のガラス戸を開け、ブルーマウンテンに手を伸ばそうとして啞然とした。冷蔵庫の中に煙草の箱がぎっしり詰まっている。

 SF賞で二次選考までしか進まなかった未発表作ですが、それも納得の出来でした。こういう強引な話は筒井康隆あたりが書けば面白くなっても、普通に書かれては説得力がありません。不自然なほどコーヒーにこだわるのにもきちんと理由があったことが判明するものの、さすがにその先の脳のエラーはご都合主義にもほどがあります。
 

「姉妹」(姊妹,2015)★★★☆☆
 ――電話で雪のうろたえた声を聞いて、まずいことが起きたのを察した。家まで駆けつけると、雪が居間にへたりこんで両手が真っ赤に染まっていた。雪の姉の心が血だまりに倒れ、ナイフも落ちていた。おれは二年前に雪と知り合い、つきあっていた。支配欲のかたまりの心はあれこれ注文をつけてばかりだったが、姉妹同士で殺意が生まれるとまでは誰が予想できるものか。

 言ってみれば「いとしのエリー」とは語り手の立場が逆になっているわけですが、やはり本作の立場【ネタバレ*2】の方がアンフェア感が強いです。
 

「悪魔団殺(怪)人事件」(惡魔黨殺(怪)人事件,2009)★☆☆☆☆
 ――地球征服を企む悪魔団首領バタル大王が思案していると、タマネギ怪人が駆け込んできた。「ジャガ兄が死んでいるのであります、大王さま!」「なんだと!」。ジャガイモ怪人は首を切られていた。あるはずの頭はなく、身体の横にはマッシュポテトが山になっていた。

 仮面ライダーのパロディ。おふざけではあるものの、被害者がジャガイモ怪人でなければ成立しない【※ネタバレ*3】という、作品世界ならではのトリックであるところは見事です。首領が馬鹿だというのはおふざけにしてもご都合主義でいただけません。
 

「霊視」(靈視,2018)★★★☆☆
 ――ベンチで煙草を味わっていると、みすぼらしい老人が近づいてきた。わたしは機嫌がよかったので一本差し出した。「また煙草税が上がって嫌になるね」「ちくしょうめ……あのとき道を間違えなければ……わしは霊媒だった。あのころは何百という事件を解決していたんだ」「なんだって落ちぶれたんだ」「三十年前、技師Aの女房が殺された。女房の幽霊に犯人をたずねると、Aを指さした。凶器の指紋からAは死刑になった。ところが――」

 これもある意味で思い込み【※ネタバレ*4】を利用した錯誤トリックです。死者も人間なのだということを、特にミステリの読者やオカルトの愛好者は忘れがちです。
 

「習作 三」(習作・三,2018)★☆☆☆☆
 ――やつらは人間ではない。悪魔だ。やつらがジープと装甲車に乗り、短機関銃を振りまわしてこの村へ踏みこんできたときには、もはや自分たちに未来のないことを悟った。

 ミステリとかどんでん返しとかいうほどのこともないような、立場違えばの物語ですが、ショートショートふうにしたせいで陳腐に。
 

「見えないX」(隱身的X,2011)★★★★☆
 ――大雨が降って帰れなくなったため教養の教室に潜り込んだ。「推理小説鑑賞 創作と分析」。「この中に混ざっている助手のXを見つけ出したら、その時点でAの成績が確定する」。フェアネスのため会話はすべて公開され、噓をつくことも許されている。Xを見つけだすだけではなく、ほかの学生が先にXを見つけることも防がなくてはならない。

 額縁のなかの推理ゲームでありながら、額縁の講義という形式にちゃんと伏線も必然性もあり、単なる遊戯のための遊戯には終わっていません。仕掛けとしては平凡ですが、ミステリとしてのお約束に対して講義のなかのお遊びという形でリアリティを持たせているのも好きです。

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*1 性別誤認

*2 犯人

*3 別人の身体の傍らに本物のジャガイモをつぶしたものを置いてジャガイモ怪人自身が殺怪人を偽装した――という偽装をした。

*4 死者は嘘をつかない。被害者は殺人犯を恨んでいる。


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