「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語」エドガー・アラン・ポー原作/金原瑞人翻案(The Narrative of Arthur Gordon Pym of Nantucket,Edgar Allan Poe/Kanehara Mizuhito,1838/2013)★★★☆☆
――ぼくはリチャード。高一で文芸部。リアリティを出したい、というぼくに先生がすすめてくれたのが、ポーの作品だった。主人公のピムが漂流しているときに遭遇したオランダ船の描写があった。その男はこちらにむかって陽気に歯をみせている。だが甲板には数十もの死体が……。
前作に続いて、編者翻案による生徒の創作シリーズ。生徒と先生を案内役に原作の恐怖描写を額縁にすることで、同年配の子どもにも作品内に入りやすくしていると同時に、原作にもうひとひねり加えられていました。
「南から来た男」ロアルド・ダール(Man From the South,Roald Dahl,1953)★★★★☆
――プールサイドの老人が葉巻を取りだすと、アメリカ人の若者がライターを差しだした。「どうぞ火を」「この風だ、うまくつかないんじゃないか」「絶対だいじょうぶです」「じゃあ、賭をしないか。十回連続で火をつけられなければ、小指をもらう」
以前に読んでいるはずなのですが、どうやらあらすじだけ読んだかなにかして読んだ気になっていたようです。今さらながら「ずっとまえに、わたしがすべて取りあげたからです。時間がかかりました」という言葉の意味に気づきました。
「家具つきの部屋」オー・ヘンリー(The Furnished Room,O. Henry,1906)★★★★☆
――空き部屋をさがしていた若者が、女主人にきいていた。「若い女の子で……ミス・ヴァシュナーという名前の子がこの部屋を借りていたことはありませんか?」「覚えはありませんね。演劇関係の方はよく名前を変えますし」
代々の間借人が残した生活の跡。その一つ一つが語りかけてくる……それはありふれた譬喩に過ぎませんが、いなくなった恋人が残したくても残せなかった跡だけは、香りという本当の形を取って姿を現すというのが切なすぎます。
「マジックショップ」H・G・ウェルズ(The Magic Shop,Herbert George Wells,1904)★★★☆☆
――ある日、息子のジップにマジックショップにつれていかれた。店主らしい男が出てきて、頭をかいたかと思うとガラス玉を取りだしてみせた。ジップがほしがったおもちゃの兵隊は高すぎて買えそうにない。「心配ご無用!」男が箱をふると、箱は紙包みに変わり、うちの住所が書かれていた!
ちくま文庫『魔法のお店』「魔法の店」で既読。「本物の」魔法を見せられてなお、まったく何の疑問も持たずにただただ感嘆して魔法の世界に没入する子どもと、金額やトリックを気にする現実的な大人との対比が面白い。
「不思議な話」ウォルター・デ・ラ・メア(The Riddle,Walter J. de la Mare,1923)★★★★☆
――こうして七人の子どもは、おばあさんの家に引き取られることになった。「学校が終わったら好きなようにすればいい。ただひとつだけ覚えておいておくれ。寝室の衣装箱《チェスト》のところにははいっちゃだめだからね」
従来「なぞ」の邦題で知られる作品です。この作品は高野文子が漫画化しているのですが、今回読み返してみて高野文子の絵で脳内再生されてしまい、驚きました。七人の子どもが名前まで書かれているのに没個性で、一人一人順番に約束のように消えてゆく展開が、極度に単純化されたそのころの高野さんの絵と完璧にマッチしていたのだと思います。
「まぼろしの少年」アルジャーノン・ブラックウッド(The Little Beggar,Algernon Henry Blackwood,1924)★★★★☆
――男が駅にむかっていると、前を歩いているひとりの少年に気を引かれた。少年のバッグは破裂寸前にまでふくれ、大きく重そうで、みるからに大変そうだ。
空っぽの未来。自分の未来が空っぽだった=待っているのは死だったという恐怖譚なら読んだことがありますし、亡くなった者を忘れられずに生きていたらという仮定を夢想するまでなら予想の範囲内でしたが、死者とのあいだに育まれたかもしれない存在の将来にまで思いを馳せてしまう本篇には愕然としました。それほどまでの思いの強さとやりきれない悔しさ・悲しさに頭がぼうっとなります。(子どもというのはそのまんま子どもではなく「時間」の譬喩であるのかもしれないにしても。)
「エミリーにバラを一輪」ウィリアム・フォークナー(A Rose for Emily,William Faulkner,1931)★★★★☆
――ミス・エミリー・グリアソンが亡くなったとき、町中の人びとが葬儀に参列しました。エミリーはほとんど外出をしませんでしたが、あるとき歩道を舗装することになり、現場監督のホーマーとエミリーがいっしょに出かけるのをみかけるようになりました。
訳者曰く、語り手を女性にしてみたとのこと。ということは、語り手にあるのは「好奇心」でしょうか。それにしてもエミリー、改めて絵にされると、惨めなくらいに醜くて、あまりにも救いがなさ過ぎます。
「悪魔の恋人」エリザベス・ボウエン(The Demon Lover,Elizabeth Bowen,1945)★★★★★
――キャスリンは留守にしていたロンドンの家に寄ってみることにした。手紙だ。閉めきってある家の郵便受けに手紙を入れていくなんて。「今日はふたりの記念日だ。約束の時間に会おう。K」もう二十五年も前のことなのに。従軍して行方不明になった婚約者……。
初めから終わりまで持続する焦燥感と不安感。それに加えてニューロティック・ホラーなのか幽霊譚なのかサイコ・ホラーなのかわからない緊迫感。そして畳みかけるようなラスト。緊張で息苦しくなるような恐怖を久々に味わいました。
「湖」レイ・ブラッドベリ(The Lake,Ray Bradbury,1947)★★★☆☆
――九月だった。湖の砂浜でひとりきりになったぼくは、あの名前を呼んだ。「タリー! 帰ってきて、タリー!」タリーが湖に入ったままもどってこなかったのは、五月のことだった。まだ十二歳だったが、ぼくはタリーを愛していた。
改めて読んでみると、砂の城が半分だけ作られていた、というのが尋常ではなく怖いです。確かに語り手のハロルドが湖に向かってそう約束したのですが、十年越しにその約束を叶えるという、融通の利かない幽霊の怖さみたいなものを感じました。本来ならセンチメンタリズムを感じるべきかもしれないのですが、ブラッドベリは時機を逃してしまうと素直に読めなくなってしまいます。。。
「小瓶の悪魔」ロバート・ルイス・スティーヴンソン(The Bottle Imp,Robert Louis Stevenson,1893)★★★★☆
――これはハワイ島に住むハワイ人の話だ。ケアヴェとでも呼んでおこう。サンフランシスコの金持ちから、望むことがなんでもかなう瓶を売ってもらった。中には悪魔がいて、死ぬまで瓶を持っていると永遠に地獄の業火に焼かれることになる。ただし買値より安く売らねばならない。
願い事には条件がつきものですが、こういうゲーム・タイプの条件だと、話がひとりでにどんどん転がってゆくから面白いです。深刻に考えていたのが馬鹿みたいな結末が爽快でした。
「隣の男の子」エレン・エマーソン・ホワイト(The Boy Next Door,Ellen Emerson White,1991)★★★☆☆
――あたしがアイスクリーム屋でバイトしていると、マット・ウィルソンが入ってきた。いやな予感がした。妙な目つきだ。きらきらしすぎている。「レジを開けろ」マットはポケットから銃を取りだした。「人を殺したらどんな感じかなって思ってたんだ」
時代がぐっと新しくなって、アメリカの児童文学作家です。絵に描いたようなアメリカ人のバカな男の子が登場します。小説や映画ではお馴染みですが、現実もこんななのでしょうか。素朴な疑問です。身を守るために口にした出まかせ……冒頭にちゃんと伏線がありました。
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