『繭の夏』佐々木俊介(創元推理文庫)★★★★☆

 佳多山大地新本格ミステリの話をしよう』でちらっと触れられていたので読んでみました。第六回鮎川賞佳作のデビュー作(にして第二作は九年後という……)

 父母を亡くした大学生の並木祥子・高校生の敬太郎姉弟は、八年前に死んだ従姉・咲江が暮らしていたアパートに引っ越して来た。引っ越し初日、天井裏から見つかった人形劇の人形。それにには、「ゆきちゃんはじさつしたんじゃない。まおうのばつでしんだんだ」というメモが隠されていた。人形とメモは大学で児童文化研究会に所属していた咲江さんのものなのだろうか。だとしたら、咲江さんは自殺したのではなく、「ゆきちゃん」事件の真相を知って、犯人に殺されたのでは……。大好きだった咲江さんの死の真相を探るべく、姉弟は当時の児文研メンバーを訪問する。果たして「ゆきちゃん」は実在し、咲江さんと同じく首を吊って自殺していた……。

 〈スリーピング・マーダー〉……ウン、凄くいい言葉じゃないの。

 いみじくも児文研メンバーの一人が祥子と敬太郎をトミーとタペンスになぞらえますが、祥子が放つこの言葉からもわかるように、二人とも当初のノリはそうした好奇心に近いものでした。とはいえわたしがスリーピング・マーダーに惹かれる理由も同じようなものかもしれません。時間のなかに埋もれた真実に、掻き立てられる探求心とロマンチシズム。

 ただし……創元推理文庫ではお馴染みの扉裏にある英題は『LET SLEEPING MURDER LIE』。眠れる殺人は眠れるままに……。突き止められる結末は揺り起こすべきではなかった苦いものであろうことは予想できます。

 青春小説といえば輝きにしろ苦さにしろ、青春真っ直中――本書であれば祥子と敬太郎の現在が扱われるのが普通であろうと思います。ところが本書で描かれるのは、青春時代から見た幼年時代の輝き――そしてかつての若者たちが過ごした青春の苦さ――との齟齬――これが解決への重大なきっかけとなっていました。【※ネタバレあらすじ*1

 藤森咲江はみんなの迷惑になるのに部室で自殺するような人間ではない――。いかにもスリーピング・マーダーを掘り起こすに相応しい、些細な引っかかり。そしてさらなる疑惑。十歳の子が自殺するのに首つりを選ぶだろうか――。似て非なる疑惑の持つそれぞれの真相は、どちらも残酷なものでした。

 結末はかなり慌ただしくたたまれます。けれど回想シーンかと思われた章が、真相を知った姉弟の見た悪夢であったことがわかるにつけ、慌ただしいと思われた展開にも納得できました。そう、飽くまでこれは生きている祥子・敬太郎の物語であって、そのためには過去の回想にどっぷり浸るべきではないのです。真相は悪夢の断片として明らかにされるだけで充分です。祥子のあげる獣のような泣き声だけで、真相が二人に与えた衝撃も関係者の心の闇もしっかりと伝わって来ました。

 タイトルになっている「繭」とは、「アオイマユ」という言葉に潜む三つの意味(人形の名前・子どものつかまえた蛾の繭・真相)であると同時に、ラストシーンをも示唆しています。

 デビュー作とは思えないほど文章が上手くて読みやすいことに驚きました。

  


 

 

 

 

ネタバレ*1子どものころは笑顔の素敵な従姉のお姉さんだと思っていたのに、関係者から聞かされるのは「自信がなさすぎるという感じ」という言葉であり、見せられた写真から姉弟自身も同じ印象を受けた。自信のない咲江は文通相手の施設の子どもに、友人の写真を送っていた。それが子どもにばれないようにするために、施設訪問の際にはメンバーそれぞれ名前の入れ換えごっこをしていた。これは真相というより叙述トリックに類する仕掛け。人形劇で魔王役のメンバーにゆきちゃんが殺されるのを目撃した誠ちゃんが、「咲江さん」にメモを残し、殺害トリック(ビニールシートの口を人形を縛った鉄線で縛っておき、目を覚ました少女が人形を引っ張るとシートの口が開いて下に落ち、予め回してあったロープで少女の首が吊られる)の見た目を「青い繭」とうわごとで表現していた。犯人は宮沢賢治の不殺生に同調する会長であり、生き物を殺す残酷なゆきちゃんのことが許せなかった。咲江さんは誠ちゃんからの手紙で真相を知った。けれどもともと自信のない咲江さんは、自分が優しくされるのは同情からだとヒステリーを起こし、犯人を前に自殺してしまう。

 


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