『私刑《リンチ》 大坪砂男全集3』日下三蔵編(創元推理文庫)★★★★☆

「私刑」(1949)★★★★★
 ――瀬戸がぽっかり口を明けて、一人の男を放り出した。十年ぶりに娑婆に出てきた野師の清吉は、私刑を恐れるようにびくびくしていた。わたしがそれを望遠鏡で眺めていることに、当人はもとより、血桜組の奴らだって知りはしない。

 著者自身は「ハードボイルド」を意識していたようですが、ヤクザだとどうしても話が湿っぽくなりますね。生きる死ぬのチンピラの世界を描きながら、最後にはまるで歌舞伎のような因果の巡りに収斂してゆくさまは、あたかも高速で移り変わる騙し絵を見ているような眩暈感に満ちていました。
 

「夢路を辿る」(1949)★★★☆☆
 ――骨董の十一面観音像が、事もあろうに推理小説家の目の下を潜って紛失してしまった。その御尊顔は、終戦前に隣家に住んでいた宮本の細君を髣髴とさせる。石川重音が鑑定のため仏像を借り出したのも、戦災で死んだ細君に思いを寄せていたからに違いあるまい。

 夢の絵解き自体はミステリとは言えないほどに「そのまんま」なのですが、重音が秘めていた真実と戦災の体験は生半可な夢や謎や真相よりも衝撃的で、それに比べれば偶然や奇跡など何するものぞ、あっさりとした大団円も相応しいと言えるでしょう。
 

「花売娘」(1950)★★★★☆
 ――安ホテルの換気用廻転窓に写ったのは、隣室にいる若き男女の抱擁の図であった。「これで役ずみなんだな?」「この黒スミレを胸につけてって」娘に惹かれたわたしがあとをつけて行くと、バー・エトアールに先ほどの青年が現れた。このくるわの実権者だった青年が、巻き上げられた財産を取り返しに来たのだ。

 知らぬは青年ばかりなり、の騙し合い化かし合い。かくてライバルは消え、主人公は欲しいものを手に入れられそうです。「私刑」にあったようなセンチメンタリズムや湿っぽさの排された、非情なハードボイルドでした。
 

「茨の目」(1951)★★★★☆
 ――家の横から這っている茨の垣。そこに抜け道を通したら、秘密の覗き場所ができるのだ。安達教授はウズウズとして望遠鏡の焦点を合わせた。見れば近所の中年紳士が、若い娘の裾をたくし上げている。期待していた全裸の女体、人魚の図。と、女体の頸筋にベルトがまきついているのだった。

 覗き魔にして犯人いじめと、コンプレックスの塊みたいな教授なので、当然に完全「犯罪」などできるわけもなく、だからこそのクライマックスではあります。三者が一堂に会してすべてが一瞬にして終わる、衝撃的で切れ味のいい結末が光っていました。
 

「街かどの貞操(1953)★★★★☆
 ――「兄さん、タバコ持ってる?」砂利置場の横で呼びかけられたのがきっかけだった。「あたしの恋人は死んじゃったの……兄さん知らないかい、ここで殺しがあったの」

 初出タイトル「七日間の貞操」の方が好みです。行きずりの男を忘れられない街娼に、フロイト的な解釈で霞を晴らす語り手……というところまでが駆引きであって、そもそも本当に殺された男の知り合いだったのかどうかも怪しいところですが、おくびにも出さない大人の会話がお洒落です。
 

「初恋――課題小説に応えて――」(1953)★★★★☆
 ――幼児期の異常な記憶は、その人の運命を支配し死期の様相を決定する。陸軍落下傘部隊・若林中尉は、六つの頃、バサバサと黒い羽根に鼻をふさがれて目を覚ますと、別居していた父の部屋で女人像の輪郭を見たのだった。

 そのまま怪談として通用しそうな昏く寂しい物語でした。夜迷烏という、子どもを寝かすための脅しの話を聞かされて見た悪夢と、寝起きで見た衝撃的な現実の光景が、幼い脳に記憶となってこびりつく……それだけでは説明のつかない暗合がぽつんと印象的でした。
 

「外套」(1954)★★★★☆
 ――掻払のサブがおやっさんの古着屋に行くと、そこには区役所の寺沢がいた――。五年前、まだ六年生だったサブが防空壕で頭のおかしくなった少女と暮らしているとき、潜り込んで来たのが、おやっさんと寺沢だった。

 いかにも不器用そうな役人だからこそできる外套のかっぱらい方も奇想小説めいて面白いのですが、サブが対抗して見せる掻っ払いなりの服の脱がせ方も洒落ています。結果として身ぐるみ剥がされる、というわけですね。鼻をあかしたつもりのサブでしたが、試合に勝って勝負に負けたような空虚さだけが残ります。
 

「現場写真売ります」(1954)★★★★☆
 ――口説きのシルバー。洗練された指先の感覚で金庫を開いてみせるのでなければ、火薬や電動錐を使った金庫破りなんざ強盗野郎だ、というのが持論のシルバーが、芸術心を満たすため金庫屋の金庫を片っ端から開けに入ったところを、写真に撮られてしまった。

 人の世の機微に触れた作品が多い本書のなかにあって、テンポよく楽しめる作品です。ケチな金庫破りの話から笑っちゃうほど大きなスケールの話になるので、それだけに先の予想がつきません。
 

「第四宇宙の夜想曲(1954)★★★☆☆
 ――目をひらくと、天井が白かった。どこなのだろう。ここは? 思い出せ! そうだ。昨夜、私は見たのだ。なにかを見たのだ。そうしてここに閉じこめられたのだ。

 全集未収録作品。何という一人上手。思わせぶりなタイトルから狂気や神秘を感じます。
 

「密航前三十分」(1955)★★★☆☆
 ――丸山と友田はホテルの一室で電話を待っていた。ラジオがニュースを告げる。「……三人組銀行ギャング事件は、首謀者と見られる長坂範太郎が警官隊に抵抗の末に射殺されたあと、残る二人の共犯者と現金の行方は未だに知れません……」

 戯曲形式の台詞劇。作中作として一部が流れるラジオドラマ「密航前三十分」の内容が、本篇と同一なのですが、その趣向がいまいちわかりません。劇団の名前が「冥土座」とあるので、死の預言だということなのでしょうけれど。
 

「ある夢見術師の話」(1955)★★★☆☆
 ――筑波新吉は夢見術を生活の糧としている。小説家の鳴井先生はその奇想天外ぶりに感服して、夢を高く買ってくれるのだった。ある夜新吉は病院横丁の土蔵に青白い光が灯っているのを見つけ、中を覗くと女がオルガンを弾いている。が、音は聞こえない。ニンフに惹かれて新吉は土蔵に通うが、見ると女が首を縊っていた!

 解説によれば、横溝正史「病院横丁の首縊りの家」中絶を受けて、大坪砂男によって続篇が書かれる予定だったが実現せず。その名残りのような作品です。「今日の地球の発熱状態は何度かな……」なる発想に新吉のかぶきっぷりが現れています。事実は夢よりも奇なり――な結末はさすがに奇をてらいすぎだと思いますが。
 

「男井戸女井戸」(1956)★★★★★
 ――私が相木屋敷を訪れたのは、トクダネを求めてのことではない。うわさによれば、相木の子孫が住んでいる屋敷から、夫人と青年の姿が消えてしまったという。「それから急に卵の数がふえやした……あれだけ黄味の真赤な卵を産ませるには……」

 尼子十勇士の一人・山中鹿之助の父親・相木森之助の豪胆にして臨機応変な人柄に惹かれたと思しき著者が、その人物像をもとに作りあげた男井戸女井戸の伝説が秀逸です。さらにはミスリードに隠された真相が、終戦二年後という時代設定ゆえに活かされたものであるという点、本書中でも屈指の完成度を誇る作品です。
 

「ショウだけは続けろ!」(1957)★★★☆☆
 ――調べて報告した情報が恐喝に使われていたと知ったおれは、占星術の魔女のもとを訪れたが、直後、魔女は何者かに惨殺された。おれが部屋を出る前、扉の色ガラス越しに見たのは、ダークグレイの服のシルエットだった。

 シクジリをやらかして「アイ・アム・ソリー」とつぶやくため、ついた呼び名が「名探偵ソリー」。ハードボイルドふうの私立探偵かと思いきや、犯人当て小説でした。ということはつまり、容疑者に一人ずつ聞き込みをおこなってゆくという古式ゆかしい作品なので、大坪氏の奇想がまったく見られないということになります。英著者名「O. Sandoman」という表記は著者の指示なのでしょうね。
 

「電話はお話し中」(1957)★★★☆☆
 ――大垣夫人の頸に輝く「パコダの星」監視を命ぜられたソリーだったが、「御用心のスマイル」にまんまとしてやられた。スマイルに殺されるから守ってくれと亀山夫人から頼まれ、現場に駆けつけたところ……。

 同じく私立探偵ソリーもの。謎解き作品ですが、犯人当てではありません。容疑者が探偵の目の前にいるというアリバイ崩し。探偵の裏を掻くのはもちろんのこと、被害者の裏を掻いた犯行が見事です。
 

「危険な夫婦」(1959)★★★☆☆
 ――「どうしよう……本当に殺されるかも」隣の若夫婦ときたら二人揃ってこんなことばかり言っている。医者である望子の夫に言わせると、被害妄想を楽しんでいるということになるらしい。だがあるとき電話のベルが鳴りひびき……。

 昭和34年当時の新人類のお話です。どのような形であれ、愛をかけているのは間違いないようです。
 

「彩られたコップ」(1958?)★★★☆☆
 ――終戦の年に渡された青酸カリを、ミドリは恋のたわむれの枕もとに置く習慣がついていた。今夜ミドリは四人の男を捨て、まだクチビルも交わしたこともない白井と旅立とうとしていた。だがお別れ会の現場で白井が倒れ……。

 解決編の簡潔さを見るに、犯人当ての懸賞小説か何かだったのでしょうか。それにしては単純すぎる気もします。
 

「二十四時間の恐怖」(1955)★★★☆☆
 ――ヒッチハイクで拾った男は銀行強盗だった。拳銃を突きつけられ妻子のいる自宅にまで押し入れられたジーンは、何とか無事に済まそうと金を工面しようとするが……。

 映画『二十四時間の恐怖』のノヴェライズ。大坪砂男の簡潔な文体がサスペンスにはぴったりです。機知と絶望とお洒落なラスト。
 

「ヴェラクルス」(1955)★★☆☆☆
 ――南北戦争の敗者トレーンは、ならず者ジョウ・エリンの一味と行動を共にすることになった。なりゆきからメキシコ皇帝マクシミリアン側の護衛に就くことになり、輸送している黄金を横取りしようと企む。

 同じく映画『ヴェラクルス』のノヴェライズ。こちらはちょっと話自体が面白くありません。
 

絵物語 私刑」(1953)

「名作劇画 私刑」井坂克二(1972)

 表題作「私刑」の絵物語二篇。もっとも「絵物語 私刑」の方は、イラストを描いた永田力に掲載を拒否されたため、文章のみ。
 

「『私刑』覚書」大坪砂男(1950)

 岩谷書店『私刑』に書かれた著者の覚書。
 

「水谷先生との因縁」大坪砂男(1954)

「純系の感じはどこから来る――大坪砂男評」木々高太郎(1954)

「解説」中島河太郎(1954)

 水谷準との合本『日本探偵小説全集16』の月報に掲載された著者エッセイと木々評と中島解説。砂男というペンネームがホフマン「砂男」から採られたのは有名ですが、著者によると大坪の方もホフマン「黄金宝壺」から「おう/つぼ」であるらしい。
 

「「閑雅な殺人」読後――大坪砂男氏の近業」中島河太郎(1955)

 東方社『閑雅な殺人』解説。
 

大坪砂男――推理作家群像11」中島河太郎(1973)

 『小説推理』1973年11月号に掲載。谷崎弟との交流や「天狗」執筆の事情、探偵作家クラブ幹事長時代の使い込み(無頼だなあ)について知ることができます。

 巻末エッセイは紀田順一郎

  [楽天] 


防犯カメラ