「Night Land Gallery 山下昇平」
今季号の表紙にもなっている幽霊オブジェが紹介されています。表紙の人形は、肌が朽ちているほかは当たり前の人間のように見えて、よくよく見ると頭と身体のアンバランスさに気づいてぎょっとします。
「魔の図像学(3) アントニオ・コッラディーニ(1668〜1752)」樋口ヒロユキ
「ヴェールに包まれた」一連の彫刻に、「幽霊」を感じるという趣旨で紹介されています。幽霊かどうかは措いておいて、ヴェールをかぶったように彫られた大理石の像には、この世のことわりを外れたような、人を不安にさせる怖さがあります。
「あの“イールマーシュ館”の惨劇、再び。映画「ウーマン・イン・ブラック2 死の天使」植草昌実
「小野不由美の傑作、ついに映画化! 「残穢[ざんえ]―住んではいけない部屋―」立原沙耶・東雅夫
「手の幽霊」J・シェリダン・レ・ファニュ/中川聖訳/藤原ヨウコウ画(The Ghost of Hand,J. Sheridan Le Fanu,1863)★★★★★
――プロッサー夫人が窓から果樹園を眺めていると、外側の窓敷居に置かれた手を目にした。二、三週間前に起きた強盗事件の犯人が瓦屋敷の窓をよじ登ろうとしているのではないかと考えて、悲鳴をあげた。この出来事があってから、窓やドアを何度も叩く音に悩まされるようになった。
ハーヴィー「五本指の怪物」とは違って、こちらは飽くまでも「幽霊」。強盗のような現実的な恐怖が、やがて手だけで姿を見せない怪異に変わり、遂には手だけとなる、じわじわと時間差で迫り来る恐怖は、今読んでも褪せることがありません。実は手だけではなく手以外が見えない幽霊であったという点は、さすがにクラシックだと感じました。
「誰にも傷つけさせはしない」デイヴィッド・マレル/植草昌実訳(Nothing Will Hurt You,David Morrell,1992)★★★★★
――ミュージカル『スウィーニー・トッド』で歌われた「誰にも傷つけさせはしない」という歌が、チャドの耳から離れなかった。帰宅したチャドを待っていたのは、警察からの電話だった。娘のステファニーをシリアルキラー「咬魔《ザ・バイター》」に殺され、チャドは復讐だけを考えるようになった。
幼いステファニーがおばけを怖がっていたという挿話を除けば、幽霊らしきところはなく、むしろ狂人の心の声なのでは――と思っていたところ、最後まで読むとなるほど「あの世」や幽霊が存在すると(少なくともチャドが)考えていなければ成立しない内容の作品でした。娘を思う気持のあまりの強さに胸が痛くなりますが、最後にせめて「復讐」から「守ること」に変われたことが救いです。
「悪霊とアルコール中毒」風間賢二
スティーヴン・キング『シャイニング』と続編『ドクター・スリープ』についてのエッセイ。
「死の舞踏」アルジャーノン・ブラックウッド/牧原勝志訳(The Dance of Death,Algernon Blackwood,1907)★★★☆☆
――ブラウンが渋々ながらダンスに行ったのは、心臓が悪いからといってじっとしているのを主治医が見かねたからだった。ダンスしているうちに体のことは忘れていた。緑のドレスを着た女性を一目で見初め、ブラウンはダンスを申し込んだ。
ドッペルゲンガーは死の前兆。それを、理想の女性と踊る自分という形で見ることのできるのは、ちょっと美しい死に方なのではないかと思います。
「消えない怨火――東京奇談新聞控」橋本純
――本当に怪異が生じるという百物語会の噂を聞きつけた記者の高村新吾は、会に参加しているという呉服屋の大番頭のつてを使って、百物語会に潜り込んだ。百話目を語るのは月岡芳年。女郎屋で死産した母子の幽霊を絵に描いたことがあるという……。
『百鬼夢幻――河鍋暁斎妖怪日誌』シリーズの書き下ろし。
「イベントレポート 名古屋SFシンポジウム――ここではないどこかへ――」
「宇宙SFは今」「東欧SFを語る」「クトゥルー神話への誘い」として、それぞれ中村融、大野典宏、立原沙耶らが出席。「東欧SF」の記事では、「ファンタスティカ」小説だけでなく、「少年が感じた戦争の恐怖をスチームパンクのメカの形で現した『オーガストウォーズ』、チェコのリプスキー監督が、特撮にシュヴァンクマイエルを招いた二作、探偵コメディ『アデラ』と、ヴェルヌ原作のファンタスティックなスチームパンク『カルパテ城の謎』」といった映画にもさらりと触れられています。「クトゥルー」の記事では、「ラヴクラフトは(中略)自分の中にある恐怖(中略)を表現するために、書いていた」ので、「ラヴクラフトとクトゥルー神話とは、(中略)線を引いておくべき」といった見解のほか、「Cthulhu」の発音など。
「心は罪人の鏡」アンジェラ・スラッター/植草昌実訳(The Heart is a Mirror of Sinners,Angela Slatter,2015)★★★★☆
――父が死んだため私は遺されたノーウッド館に戻って来た。メイドのメアリは驚くほど今は亡きフローリーに似ていた。家政婦のジェイムズ夫人と父のあいだに出来た子どもだろうか。家政婦の娘フローリーに私はすべてを捧げ、彼女もそれに応えてくれるはずだった。
初出は本誌。「心(Heart)を手に入れた」い、哀れな殺人者の末路。お屋敷ものとシリアルキラーの組み合わせが新鮮です。
「ブックガイド わが夢の「幽霊小説」アンソロジー」牧原勝志
「帰還」イヴォンヌ・ナヴァロー/小椋姿子訳(The Return,Yvonne Navarro,2012)★★★★☆
――マーラの帰る場所はほかになかった。抱き上げようとすると、犬が唸り声をあげた。マーラの姿を見た母親が悲鳴をあげた。家族がそろうと、父親がマーラにたずねた。「どうしてこんなことになったんだ?」マーラは答えない。兄と妹が口々に好き勝手なことに話す。父の話を聞いても何も感じなかった。
帰ってきた死者は、ただ帰ってきただけなのですが、死者の存在によって生者たちが自分から化けの皮を剥がされてぼろを出してしまいます。怪談の古典「帰ってきたソフィ・メイスン」は居合わせたなかで一人だけ幽霊を見ることのできない罪人の話でしたが、反対に現代のこの作品に出てきた家族は誰もが罪人でした。
「忘れないで」ナンシー・キルパトリック/小椋姿子訳(Forget Us Not,Nancy Kilpatrick,2012)★★★★☆
――ブライアンが死んでからもう一年になる。どうして一緒に死ななかったのだろう。路地から猫の鳴き声がしたような気がした。悲鳴が聞こえる。放ってはおけない。だが路地を探しても何もいなかった。日曜の夕方、母親から電話がかかってきた。「ジーナ、あなたが心配なの。お友達はいるの」「大丈夫」「悲しい知らせがあるの。ルディにお迎えが来たわ……」
残された者の物語であり、「幽霊」が何かするわけではなく残された者がおのずから影響に晒されるという点で、直前の「帰還」と通じるものがありますが、心に巣食う罪が暴露された「帰還」とは違って、こちらは心に巣食う罪悪感の解放される、とても温かい作品です。
「未邦訳・幽霊小説セレクション」植草昌実
ラヴクラフトが言及している作品のほか、「ダフネ・デュ・モーリアにも比された」ジョナサン・エイクリフ『Naomi's Room』、スーザン・ヒルの『The Man in the Picture』など。
「想像力に響く物語――ブラム・ストーカー『七つ星の宝石』」植草昌実
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