『朝霧』北村薫(創元推理文庫)★★★★☆

「山眠る」★★★★☆
 ――駅のホームで小中学生のころの同級生と一緒になった。鷹城君という本屋の子だ。鷹城君はちょっと複雑な顔をしたあと、「本屋やってて、やなこともあるぜ」と言った。「本郷の親父さん、校長先生をしていたろう。ずっと一人で、堅物という感じでさあ。でさあ、もう年だろう。そうなってから、エロな本、いっぱい買い込むんだよ」あっと思った。――ゆがんで張られた障子が目の前に浮かんだ。

 久しぶりに読み返した〈私〉シリーズ。もともと理が勝ちすぎているきらいのある〈私〉でしたが、この作品前半の文豪との対話は、エッセイで知る「北村薫」の生の声がそのまま出て来たようで、単なる知識や解釈のひけらかしめいて鼻につき不快とさえ感じてしまいました。けれど俳句づくしの果てに訪れる、姉の結婚を控えた〈私〉の父や同級生の父である俳句の宗匠に見える「父」の姿には、感涙を禁じ得ません。『秋の花』や「朝霧」で円紫さんが見せたような人の親としての顔が、まだまだ〈私〉には必要なのでしょうか、今回の二人は簡単に「答え合わせ」をしてしまいます。無論、成長に「推理」は必要ないわけですが。実際、この作品の〈私〉は、人生の先輩に対して慰めとなる言葉をかけることもできるくらいに成長しています。俳句つながりで同級生のアルバムから家族のアルバムになり自然おじいちゃんのエピソードに至った話が伏線となり、もう一度俳句と同級生に戻って「何かが崩れて行く様を見た」瞬間が衝撃的でした。
 

「走り来るもの」★★★☆☆
 ――仕事を終えて天城さんがフランス料理店に誘ってくれた。ストックトン「女か虎か」の話から、編集プロダクションの赤堀さんの話題になった。結末のない話を赤堀さんから貰ったことがあるという。アフリカに猛獣狩りに来ている語り手と妻と友人は、三角関係にあった。臆病な語り手は、二人にけしかけられてライオンを撃たざるを得なくなる。ライオンを引きつけて、わたしは引き金を――。

 リドル・ストーリーの古典「女か虎か」から始まり、紫の上と源氏の君のあいだに交わされる男女の機微の怖さ――とくれば、この作品も作中のリドル・ストーリーも男女間の愛憎がテーマになっているのは自明ですが、円紫師匠は「一瞬に悟った」という言葉から申し訳程度とはいえ論理的に推論を引き出しています。論理的推理としては弱いようにも見えますが、前段の落語の解釈で「理屈」「自然」という話が出ているので、この真相にしてもものごとというものの当然の帰結なのでしょう。
 

「朝霧」★★★★★
 ――職場の先輩同士の結婚式に、見覚えのある人がいた。はっとした。ベルリオーズの『レクイエム』を聴きに来ていた人だ。側に行って声をかけたかった。少し、――残念である。そういえば大掃除のとき、曾祖父の翻訳を見つけたことがある。そうなると祖父のことも気になってくる。「日記ならあるぞ」父が答えた。「判じ物だ。鈴ちやんがお判りになりますかと持つて来た。忍 破片窗袖毛太譽太勘……」鈴ちゃんというのは下宿屋の娘だろう。

 俳句づくしの「山眠る」、リドル・ストーリーと愛憎づくしの「走り来るもの」、に続いて掉尾を飾るのは、忠臣蔵づくしの「朝霧」です。秘めた思いを暗号によって秘めたまま、それでも伝えたのは、いかにも少女めいたごっこ遊びにも見えますが、苦しい胸のうちをたとい自己満足にでも解き放つ精一杯の試みだったのでしょう。もともとが解かれるための暗号なので難しすぎては話になりませんが、作品世界と結びついてたいへん自然なうえに優れた暗号でした。〈私〉の祖父であり、みずから劇作も試みるほどの人物のこと、ましてや「お寺」の近辺に住んでいたのだから、わからなかったはずはない――と思います。落語「淀五郎」のなかで淀五郎が気づいていたのかどうか、という話とも、たぶん無関係ではないのでしょう。祖父に届かなかった(かもしれない)思いに代えて、孫娘は自分の思いをしっかり届けようと決意して物語は終わります。

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