『ベトナム姐ちゃん 日本文学100年の名作 第6巻 1964-1973』池内紀他編(新潮文庫)★★★☆☆

「片腕」川端康成(1964)
 

「空の怪物アグイー」大江健三郎(1964)★★★★☆
 ――ぼくはある銀行家から、息子である音楽家Dの外出の付添いに雇われた。Dはときどき怪物にとりつかれるのだという。木綿の白い肌着を着たカンガルーほどもある赤ん坊が空から降りてくる。Dがその怪物と話している間、笑ったり黙らせたりしようとせずに、相づちを打ってくれればいい。

 喪ったから見えるもの。それ自体は決して珍しいことではないのですが、見えるものが人によって異なるのではなく、同じものが見えたのだとしたら、それは世界か自分か、どちらかがおかしいに違いありません。
 

「倉敷の若旦那」司馬遼太郎(1965)★★★★☆
 ――苗字帯刀を許された大町人・大橋家の若旦那・敬之助が業物を購入した。「下津井屋に天誅を加えねばならぬ」米の買占めで大きくふとっているのが許せず、代官所に訴えたが、鼻薬をかがされている代官は無罪と言い渡した。

 町人が主人公の市井ものかと思いながら読み進めてゆくと、あれよあれよというまに紛れもなく幕末の歴史小説となりました。実際に思想があった人間などごくわずかでしょうし、空っぽとはいえ(いや空っぽゆえに)面白い人物に焦点が当たられていました。ある意味まっすぐで面白い人物です。「屋敷も近所でありながら、ひとの私曲を訴え出るなどは人間とは思われぬ」という近所の感覚がいかにも土俗的日本です。
 

「おさる日記」和田誠(1966)★★★☆☆
 ――おとうさんがかえってきたので横浜までむかえにいった。おとうさんはおみやげをぼくにくれた。おさるをくれた。とてもかわいいから、ゆうべはだいてねました。きょうははやくおきておさるとあそびたかったから、はやくおきた。

 子どもの文体模写が非常にうまいのですが、それをあざといと感じてしまう擦れた自分がいます。しかしながら最後まで読み進めてみれば、単なる子どもの世界の話ではありませんでした。
 

軽石木山捷平(1967)★★★☆☆
 ――「古釘があるんだ。買ってくれんかね」時代の相違とはいえ、三円という金額は意外すぎた。正介は食べもののような一ぺんになくなるようなものではなく、少しは長持ちするようなもので、金三円で買い物が出来ないだろうかと考えた。

 わりと先鋭的な作品が並ぶなかで、場違いのように古くさい小説が一作。それだけに引き立ち、なごみます。
 

ベトナム姐ちゃん」野坂昭如(1967)★★★★☆
 ――基地からはるかはなれたバア“シャングリラ”が弥栄子のなわばり。三十を越したバタフライ達のあなぐらでもあった。泣きわめくマリーンの姿は珍しくもない。朝、気がつくとジュニアの姿なく、枕もとにケネディコイン。よろず屋をたずね「これ買ってくれない?」「珍しいね、弥栄ちゃんが商売気出すなんて」「くれたのよ」「ベトナム姐ちゃんの情にほだされたわけかね」「なによそれ」

 野坂昭如の饒舌体は、こうした無頼な生き方に、よく似合います。行き当たりばったりだけど、投げ遣りではない。いくら蔑称ではないと言っても、蔑視が混じってないわけがないのですが、それでもこの小説を読んだ人間には、それが愛称だと信じられる人柄が伝わってくるようです。
 

「くだんのはは」小松左京(1968)
 

「幻の百花双瞳」陳舜臣(1969)★★★★☆
 ――私は十四のとき、広州を離れて神戸にいる楊朝堅の許に修行に来た。料理店ではなく、華僑商社のコックをしていた。毎晩、主人夫婦は夜食の点心を食べるのだが、「百花双瞳を食べてみたい。あれにくらべると、こんなものは子どもだましだ」と言うのだった。むかし蘇州の店でそいつを食べて感心したそうだ。

 師匠からも道具扱いされ、若旦那からも道具扱いされるのも、当然と言えるような職人魂のない男が主人公です。奥さんからから誘惑されて燃え上がり、それがきっかけで閃いて料理の方も燃え上がり――そんな都合の良い情熱じゃ実らなくても当然です。幻は幻――師匠と同じ妄執の道に陥るのが怖くて、自分にそう言い訳して逃げ出しているようにも聞こえます。
 

「お千代」池波正太郎(1971)★★★☆☆
 ――十三のときから大喜で修行をし、二十二のとき一本立ちした松五郎だが、それから十年もの間独身を通した。棟梁夫婦がいかに妻帯をすすめても取り合わず、いつのころからか白い牝猫を飼いはじめた。「女はきらいではありませんが……」「ばか。三十にもなって寝床に蛆をわかせてどうなるんだ!」「寝床にはお千代がいますよ」

 これは人情話ではなくサイコ&化け猫譚だと思うのですが。松五郎のお千代に対する接し方は、可愛がるを通り越して完全に常軌を逸してます。松五郎が許されたのも「五年前」、お千代が死んだのも「五年前」だとすると、どう考えても何かあるに決まってますしね。
 

「蟻の自由」古山高麗雄(1971)★★★☆☆
 ――今日からまた手紙を書きます。ここなら、手紙を書いても見つかるまいと思います。もっとも、実際には僕の字が読めるはずはありません。弾というのは案外当たらないものだとも思うし、そのうち僕もコロッと死んでしまうかも知れません。今朝、小峯一等兵が死にました。人殺しになるか、気違いになるか、佑子は僕がどちらになることを望みますか?

 湿った紙に暗闇で書いて土に埋めた、読めるはずもない、死んだ妹に宛てた手紙です。死を意識している(というより望んですらいる)からこそ、淡々としているのに却って死が迫っています。
 

「球の行方」安岡章太郎(1972)★★★★☆
 ――十歳になった頃、私たちは朝鮮から弘前に引っ越した。一と口にいって東北の町は暗く閉ざされて貧しげであった。初めて学校へ行った日、隣の席の子供がシャープペンシルを不思議そうに眺めていたので、「持ってこないように」と先生に注意されてしまった。なぜ野球をやろうとしてしまったんだろう。叔母がくれたグローブとバットのせいに違いなかった。

 「たとえば言葉が通じないという点では、朝鮮も弘前も変りなかった」という一文がエグイですが、とはいえ同じ日本であるだけに余計にタチが悪いとも言えます。最後の野球の場面は、誰も悪くないといえば悪くないのですが、子どもの残酷と惨めさが凝縮されていて、しょっぱい気持になります。
 

「鳥たちの河口」野呂邦暢(1973)★★☆☆☆
 ――目の前に一羽のカモがころがっている。のどから腹にかけて肉がえぐられている。ハンターの仕業とは思えない。何か見なれない鳥を認めたような気がする。三脚付カメラに走りよった。シギ? いや、ちがう。カラフトアオアシシギ、あれが、まさか。男はノートをめくった。二十日前のことだ。カスピアン・ターン。

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