『ディナーで殺人を(上)』ピーター・ヘイニング編(創元推理文庫)★★★☆☆

「はしがき」ピーター・ヘイニング/高田惠子訳

「第一部 当店のお薦め――有名作家たちの作品」

「特別料理」スタンリイ・エリン/田口俊樹訳(The Speciality of the House,Stanley Ellin)★★★★☆
 ――ラフラーはコステインをスビロの店に招待した。コステインは肉を一切れ口にいれた。次の一切れが狂おしいほど欲しくなる。「だが特別料理に比べれば、この料理など無に等しい! アミルスタン羊を出す唯一の店なんだ」

 もっと短い印象があったのですが、読み返してみるとそこそこの長さはある作品でした。最初の客がビアスであったというくすぐりはともかく、給仕を助けてやったお礼に「調理場には入るな」と助言されるという展開は、読み返してみるとちょっと安っぽいと思います。この場面はなくとも充分に意味は通じるでしょうし。
 

「賄賂と堕落」ルース・レンデル/深町眞理子(Bribery and Corruption,Ruth Rendell)★★★★☆
 ――ニコラスはアナベルを連れて最高級レストランを訪れると、父を馘首にしたソレンセンが若い女と居合わせた。ニコラスの代わりに勘定を払ったのは、善意ではなく口止めのつもりらしい。翌日ニコラスは食事代を叩き返しに行ったが……。

 人間は金でどうにかできると思っている傲岸な男と、プライドだけで生きているような若者。絶対にしゃべらないという約束は守る――プライドを良心のどちらも痛ませることなく復讐を遂げることができたのですから、まずは幸運な男だと思います。
 

「最高傑作」ポール・ギャリコ田口俊樹訳(Chef d'?uvre,Paul Gallico)★★★☆☆
 ――二つ星を獲得したというのに、悪天候続きで観光客が来ない。ボンヴァル夫人が「謝礼 五十万フラン」という手配書を見つけたのはそんなときだった。「そういえば殺人事件があったみたいね……」だから入って来た客を見て驚いた。なんとその殺人犯だったのだ。

 ギャリコですから当然ハートウォーミングな作品なのですが、叙述トリック(?)が用いられていたのには驚きました。微笑ましいかぎりです。
 

「デュクロ風特別料理」オリヴァー・ラ・ファージ/田口俊樹訳(La Spécialité de M. Duclos,Oliver La Farge)★★★☆☆
 ――殺人のあったアメリカから犯人デュクロの身柄引き渡しを要請されている件について、パリの著名な弁護士ベシャミルが弁護を引き受けた。味もわからないコネチカット州の人間に裁かせるわけにはいかないのだ。デュクロが作りあげた特製ソースを、招待客はみな褒め称えた。

 美食の国フランスとジャンクフードの国アメリカを笑い飛ばした作品です。みなさん味より名誉や実利をお好みのようで……。芸術と現実どちらも笑われている以上、もちろんどっちもどっち、なわけですが。
 

「ディナーは三人、それとも四人で」L・P・ハートリー/田口俊樹訳(Three, or Four, for Dinner,L. P. Hartley)★★★★☆
 ――イギリス人のディッキーとフィリップはヴェニスのゴンドラで待ち合わせ場所に向かう途中、溺死体を見つけて船に乗せた。ディッキーはジャコメリ伯爵を待つあいだ、悪ふざけを思いつき、「船で寝ている男を食事に招待してこい」とボーイをからかった。

 メリメ「イールのヴィーナス」にも似た発想が、悪趣味の極みです。よく考えてみると、「招かれたから中に入ることができた」という、魔物のルールをきちんと踏まえているようにも思えます。
 

「胸像たちの晩餐」ガストン・ルルー/飯島宏訳(Le Dîner des bustes,Gaston Leroux)★★★☆☆
 ――片腕のミシェル船長から聞いた話だ。向かいの別荘から騒ぎが聞こえ、優美な女が「さようなら、また来年ね」と声をかけるが、誰の姿も見えない。一緒に住んでいるという亭主の姿を見た者もいない。その亭主というのが旧友ジェラールだと知って、ミシェル船長が別荘を訪れると、暖炉の上に、四肢のない旧友の姿があった。

 グラン・ギニョル趣味に彩られた一篇です。メデューズ号事件でも有名な遭難事故が、その残酷さではなく猟奇性でアレンジされています。フリークスと食人趣味、まさに悪趣味です。
 

「おい、しゃべらない気か!」デイモン・ラニアン/田口俊樹訳(So You Won't Talk!,Damon Runyon)★★★☆☆
 ――アンブローズがレストランに緑のオウムを連れてやってきた。何でも殺人現場にいたオウムだから、被害者が犯人と親しい人間なら、何度か名前を口にしているはずだという。おかしな理屈だったし、ジュリアスの恋人に手を出してからアンブローズの評判はすこぶる悪い。用事があるときはおれに預けて、しゃべったことを書き留めさせた。

 アンブローズが探偵役の、迷推理ものです。シュロック・ホームズものもそうですが、英語のフレーズが鍵(というほどでもないですが)になっているので、面白味がダイレクトに伝わってきません。真相は唐突ですが、その前のオウムが逃げたりなんだりといったもう一つの事件のくだりに、迷わされっぷりが出ていました。折りに触れてレストランが舞台となるだけで、食事などが直接関係するわけではありません。
 

「しっぺがえし」パトリシア・ハイスミス深町眞理子(Sauce for the Goose,Patricia Highsmith)★★★★☆
 ――ローレンがガレージの物干し綱を直そうとしてひっぱったところ、いろいろな機械が落ちてきて、危うく下敷きになるところだった。最近のオリヴィアは心ここにあらずというていで、やることなすこと危なっかしい。離婚してスティーヴンと結婚したいと言いだしたオリヴィアを説得して、三か月の様子見期間をおくことになったのだったが……。

 原題に「Sauce」とあるほか、意外なところで食事がらみの作品でした。人を呪わば穴二つ、味を占めてしまっても二匹目の泥鰌はいないと相場は決まっているのですが。ローレンがいいひと過ぎて泣けてきます。それに引き替えオリヴィアとスティーヴンは、(結果的にとはいえ)自分の命すらゲームのコマにしてスリリングな攻防を繰り広げていました。
 

「いともありふれた殺人」P・D・ジェイムズ/深町眞理子(A Very Commonplace Murder,P. D. James)★★★★☆
 ――アーネスト・ゲイブリエルは社長のポルノコレクションを盗み読みするため、週末に会社に忍び込んでいたが、いつしか向かいのアパートの窓で繰り広げられる男女の痴態も覗き見するようになっていた。ある日、新聞で女が殺されたことを知った。男にアリバイがあるのを知っているのは自分だけだ――。

 ゲイブリエルのことなかれっぷりが他人事ではありませんが、いずれにしてもいともありふれた殺人であることに間違いはありませんでした。たかだかポルノを読むために周到に用意するあたりに、異常性が滲み出ています。扉解説によればこの作品の場合、レストラン以外でも恋人たちは――といった趣旨で、食事はまったくの無関係です。
 

「第二部 歴史風のアントレ――食卓の今昔物語」

「イーモラの晩餐」オーガスト・ダーレス田口俊樹訳(A Dinner at Imora,August Derleth)★★☆☆☆
 ――マキアヴェッリチェーザレ・ボルジアに晩餐に招待された。晩餐の席にはコロンナ公爵の姿をした蝋燭が用意されていた。蝋燭に火が灯され、チェーザレが陰謀の首謀者としてコロンナ公爵の名をあげると、公爵が苦しみ始めた。

 ソーラー・ポンズの生みの親もしくはクトゥルー信者第一号による、歴史のひとコマ。
 

修道院の晩餐」ロバート・ブロック/田口俊樹訳(The Feast in the Abbey,Robert Bloch)★★☆☆☆
 ――兄を訪ねて森を抜ける途中、嵐に見舞われ、修道院に駆け込んだ。ほっとしたのも束の間、怪しげな祈祷が聞こえてくる。修道士たちは粗野で下品で、料理の見事さとは対照的だった。修道院長が言った。ここに泊まられたのは幸いでした、この地には「悪魔の修道院」というのもあるのです……。

 恐怖というよりグロテスクを連想させる奇怪なイメージと、最後の一文のショッキングさこそ、職人作家ブロックならではです。
 

「三つの読唱ミサ」アルフォンス・ドーデー/田口俊樹訳(Les Trois messes basses,Alphonse Daudet)★★★☆☆
 ――典礼ガリクという名の悪魔に囁かれて、バラゲール神父は罪を犯した。クリスマスのご馳走が待ちきれず、ガリクの鳴らす鐘に合わせて、二度目からはミサを端折って唱え始めた。

 陽気な悪魔が罪をもたらすユーモア作品。陽気な悪魔といえばポーの「鐘楼の悪魔」が思い浮かびますが、悪魔と鐘に関する元ネタのようなものがあるのでしょうか。この作品にかぎらず、田口俊樹訳ということは非英語圏の作品は英語からの重訳のようです。
 

「葬儀屋」アレクサンドル・プーシキン田口俊樹訳(Гробовщик,Александр С. Пушкин)★★★★☆
 ――葬儀屋のアドリアンは靴職人の銀婚式のお祝いに招待された。次々と「お得意さんに乾杯!」の声があがり、最後に葬儀屋にも「死人の健康を祝して乾杯!」の笑いが起こった。アドリアンは気分を害し、「何で笑われなきゃいけないんだ? あんな奴ら、お祝いに呼んでやるもんか。うちのお得意さんたちを呼んだほうがずっといい」

 これも陽気な幽霊たちが登場します。短い登場ですが、土葬ですから貧乏人だったり初期の埋葬者だったりと、短いなかにも個性が光っていました。
 

「首吊り島から来た客」ワシントン・アーヴィング田口俊樹訳(Guests from Gibbet Island,Washington Irving)★★★★☆
 ――コミュニポウという村の居酒屋には、ヴァンダースキャンプというどら息子がいて、浜辺に流れ着いた黒人のプルートーと気があって悪いことばかりしていた。この二人があるとき島を出たかと思うと、やがて海賊になって帰ってきた。

 死者たちの訪問という点では前話「葬儀屋」と変わらないのですが、プルートーという謎めいた男の存在がこの作品を独特のものにしています。落ちぶれようとも何しようとも悪いことが根っから好きなただの悪人だったのか、はたまた悪魔に取り憑かれていたのか、伝説を語るような語り口がいっそう謎めかせています。
 

「主婦の鑑」リチャード・ディーハン/田口俊樹訳(The Compleat Housewife,Richard Dehan)★★★★☆
 ――サー・ブライアンと結婚したわたしは、ハインズウエイ館に到着した。家事のあれこれを話してくれたバウンズ夫人は、レディ・デボラの幽霊の話も聞かせてくれた。もっとも、「わたくしは見たことはありません」。ところがレディ・デボラの残したレシピ集『主婦の鑑』を部屋まで借りようとしたところ、夫人は青ざめて言った。「その本を持ち出すと、レディ・デボラがお取り戻しに来るというのです」

 これも陽気な幽霊の系譜かと思いきや、執念、妄念の類でした。幽霊とは思いを残しているからこそ出てくるのだ、という基本に気づかされました。
 

「ルークラフト氏の事件」ウォルター・ベサントとジェイムズ・ライス/高田惠子訳(The Case of Mr. Lucraft,Walter Besant and James Rice)★★★★★
 ――五十年前、旅回りの一座で役者をしていた小生は、座長の娘と恋仲になったことから、一人ロンドンにやられ、飢えていたところを、老紳士から「食欲を買う」という契約をもちかけられた。翌日から、何も口にしていないのに突然満腹感が襲い酔っ払うようになった。老人が牛飲馬食しているのだ。空腹にならぬよう動かずにいると、黒人の召使いが現れて、契約違反だと迫った。

 悪魔との契約もの。この作品が面白いのは、悪魔と契約したのは主人公ではなく、悪魔と契約した人物と主人公が契約しているところです。そしてそのことが、主人公が助かる道にもなっているわけですが。悪魔としては、契約者と主人公の二人をいっぺんに苦しめることができるのですから一石二鳥、さすがの狡賢さです。七つの大罪の一つである暴食を、恐怖にまで高めた作品でした。

  


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