『インド王妃の遺産』ジュール・ヴェルヌ/中村真一郎訳(集英社文庫)★★★★☆

 『Les 500 millions de la Bégum』Jules Verne,1879年。

 インド王の未亡人と結婚していた大伯父/大叔父の遺産を受け継いだ二人の科学者が、それぞれの理想を掲げて都市を築きます。フランス人科学者サラザン博士は人間が長生きできる衛生的な都市フランス市を目指し、ドイツ人科学者シュルツ教授は武器を製造してゲルマン人の支配による世界を目指そうとします。

 冒険小説としては、サラザン博士の息子オクターヴの友人であるアルザス人マルセルが、鋼鉄都市《シュタールシュタット》に潜入し、シュルツ教授の武器工場の実体と恐るべき計画を暴き、決死の脱出を図るところが見どころになっています。みずからの能力で一歩一歩中心に近づいてゆき、結果的には英雄的行動でアピールし、お目通りかなったシュルツ教授を挑発し……と、少々出来すぎの感はありますが楽しく読めました。教授とともに何重にもガードされた扉をくぐってゆく過程は、文字通り秘密基地に入ってゆくようで、わくわくするしかありません。

 何しろ金はありますし、一撃必殺であれば二発目は不要、一発撃って使い物にならなくなってもいい、という理屈も潔くてカッコよく、非現実的な遺産相続やマルセルの潜入調査など見ても、全体的に少年漫画の雰囲気がありました。

 教授によるフランス市攻撃の意思を知ったマルセルは、どうにかして鋼鉄都市を脱出し、危険を知らせようとするのですが、ここで活劇にならずに科学で決着がつくのがこの作品のミソでしょう。個人的にはあっさりしすぎていると感じました。どうせなら活劇が見たかった。

 計算が間違っていた、というのは『月世界旅行』にもありましたけれど、一線級の科学者にしてはお粗末すぎると感じてしまいます。教授の最後にしても、マルセルたちが目撃するのは事後でしかないので、すべてが終わったあとの後日談のようでさほど興奮は感じません。とはいえすべてが止まった冷たい世界というイメージは恐ろしくも美しく、むしろ後日談という静かな余韻にはぴったりだったとは思います。

 冒険要素以外も見ていくと、サラザン博士のフランス市は、一つの都市論になっており、その詳細は第10章で見ることができます。現代の目から見ればところどころ変なところはありますが、おおむねは、文化的な生活を送るための都市作りとして考えられているといっていいでしょう。

 シュルツ教授のゲルマン人理想論は、ヒトラーを連想せずにはいられません。

 鋼鉄都市の終焉が、破産という形で訪れるのは、鹿島茂氏による『八十日間世界一周』論を読んだあとでは、さもありなんです。読み物としても面白く、科学と冒険と戦争の話を読んでいたはずなのに、突然破産という話になり、いったい何が起こったのかと、意外性と吸引力のある場面でした。

 最後にちょろっとではありますが、抑止力としての兵器と呼べなくもない発想も記されております。

 科学に社会に金融に政治と、ヴェルヌのさまざまな面が見られました。

 インド王妃の莫大な遺産をふたりの科学者が相続した。人類の平和と幸福を願い、近代科学の粋を集めた理想都市、フランス市を建設するサラザン博士と、鋼鉄都市を築き、鉄を精練しては大砲を鋳造し、各国に売りつける死の商人、シュルツ教授。世界支配の野望に燃えるシュルツは、新開発の超大型砲弾を、理想都市めがけ発射しようとする。この危機を阻止できるのか……科学趣味あふれる好編。(カバーあらすじ)

  


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