『ハヤ号セイ川をいく』フィリパ・ピアス/足沢良子訳(講談社青い鳥文庫)★★★★☆

 『Minnow on the Say』A. Philippa Pearce,1955年。

 児童文学の名作『トムは真夜中の庭で』の著者フィリパ・ピアスのデビュー作。

 家の庭が川に隣接しているという、それだけで魅力的な設定からこの作品はスタートするので、まだ何も始まっていないのにわくわくしてしまいました。そしてそこに上流からカヌーが流れてきて、デビッド少年はカヌーの持ち主を捜しにカヌーで川を遡ります。

 冒険の始まり!みたいなこうした場面が、たった冒頭の三章にしか過ぎないことに驚きです。

 そもそもカヌーを発見する経緯も、紙のボートで遊んでいたデビッドが、妹のベッキーに「船に乗せて」と頼まれて、紙の船になんか乗れるわけないじゃん――と思いながら庭に行ったところ、本物のカヌーがあって……という、お洒落なもの。

 デビッドは川上りの結果、カヌーの持ち主の少年アダムとそのおばさんミス・コドリングとおじいさんコドリング老人と出会います。カヌーの修理を手伝うことにしたデビッドは、アダムから重大な秘密を聞かされます……。

 ここからが本当の物語の始まりです。アダムとデビッドの冒険は、宝探しでした。コドリング家の先祖が残した謎の詩をもとに、二人は宝物を探すことになるのです。

 この詩というのが暗号としてかなり素晴らしいものでした。区切り方によって意味が変わったり、一つの言葉にいくつかの意味が持たされていたり、後世の人間が同じ詩に別の意味を持たせたり、たった四行(五行)の詩だけで、最後まで謎解きは終わらないのです。

 見当もつかないような単なる事実を羅列しただけに見える詩から、宝物の隠し場所という意味が明らかにされる場面は興奮しましたし、粉屋さんから聞いた昔話をもとに暗号の場所を突き止める場面の伏線には目の開かれる思いがしました。

 そんな宝探しですが、決して胸躍るだけのものではありません。アダムが宝探しをするのは、家が貧乏だからです。物語の途中では、肉親の死も経験することになります。宝探しに取り憑かれてしまった敵役も登場します。

 やがて宝が隠されているはずの地所を売るという、子どもには、いえ大人にもどうすることもできない状況が訪れます。こうした状況を作中に取り入れるのは得てしてリアリティなるものを口実にしてその実は物語の面白さを殺してしまうことも多いのですが、この作品の場合、謎の男の正体というまた別の解答が明かされるきっかけにもなっていますし(ここにきて活かされるカヌーと父親の職業!)、それまで地味だったおばさんが子どもたちと同じ土俵に立って決意し生き生きとしだすきっかけにもなっていました(おちゃめ!)。

 もちろん大団円はハッピーエンドを迎えます。不幸になった人もいませんし、悪役だって罰は受けません。そもそも心から悪い人もいません。実のところは生活圏内の冒険なのですが、大冒険に感じるほどに、冒険小説の要素がぎゅっと詰め込まれていました。

 セイ川を流れてきたカヌーを見つけたデビッドは、その持ち主のアダムと友だちになり、カヌーにハヤ号と名まえをつけた。二人は、アダムの家に伝わるなぞの詩から、かくされた宝を探し出そうとする。――カヌーで結ばれた二人の少年の、夏休みのすばらしい冒険と友情をえがいたイギリス児童文学の名作。(カバーあらすじ)
 

  


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