『時間のかかる彫刻』シオドア・スタージョン/大村美根子訳(創元SF文庫)★★★☆☆

 『Sturgeon Is Alive And Well...』Theodore Sturgeon,1971年。

 かつてサンリオSF文庫から刊行されていた『スタージョン健在なり』の改題復刊。
 

「ここに、そしてイーゼルに」(To Here and the Easel,1954)★★★☆☆
 ――ここ岩塩坑では丸太棒が一か所につかえているものだから、ぼくはどうにも動きがとれない。岩塩坑とはアトリエ。丸太棒がつかえているのは頭のなかだ。ベルが鳴る。みすぼらしい髪の女が立っていた。「また絵を描いてほしいの」「どうやって描いたらいいんだ?」

 絵を描けなくなった絵描きの話、というだけならわかりやすい、スランプに陥った(あるいは著者の姿も重ねられている)小説家の話なのですが、そこにファンタジーがぶっこまれてなんだかわからない話になっています。
 

「時間のかかる彫刻」(Slow Sculpture,1970)★★★☆☆
 ――彼の家の中庭には高さが十五メートルもある盆栽があった。「きみはしこりに気づいた。医者へ行って検査をしてもらい、悪い知らせを聞かされた。あてもなく旅に出て、ここにたどり着いた」

 手の施しようのない癌患者がたどり着いた場所。盆栽のこと、ひいては人間のことを表現したタイトルが秀逸です。
 

「きみなんだ!」(It's You!,1970)★★★☆☆
 ――「きみなんだ!」彼が叫んだのは、彼女のような女が本当にいたからだ。彼女は一部屋を彼のためにあけておくといったが、戻ってみると、住まい全体が模様がえされていた。あるべきものがあるべきところに整理されて、彼のものがはいりこむ余地はなかった。だがそんな必要があるだろうか? ここは〈二人の家〉なのだ。

 ありがちな男女の風景、過程も結論も、どれも男女間の一つの真理でした。
 

「ジョーイの面倒をみて」(Take Care of Joey,1971)★★★☆☆
 ――おれがバーテンとしゃべっていると、チビ助がカウンターに沿って歩いてきた。バーテンがどこかに電話をかけた。「ドワイトかい。今ジョーイが現れてね」。のっぽの男が店に入ってくると、ジョーイは酔っぱらいに喧嘩を売り始めた。殴られそうになったジョーイを、のっぽのドワイトがかばって代わりに殴られた。

 ヘンな人たちの話だと思ってさして気にしていなかったのですが、ヘンな行動の裏にはきちんとした(SF的ではなく現実的な)理由がありました……と書きましたが、現実的ではあっても実際的とは言えないかもしれません。
 

「箱」(Crate,1970)★★★☆☆
 ――ぼくらは不時着した宇宙船の乗組員を埋葬し、ミス・モーリンに言われて、宇宙船にあった箱をキャプ・シドニーまで届けることになった。死んでしまったミス・モーリンが言うには、その箱は最高の宝物だそうだ。

 少年少女たちの力を合わせての冒険、というのが単なる形式だけではなく、結果的に精神的にも……という形が取られていました。大きくなってからわかるあのころの大人の一言だったり、SF的な設定でごく普通のことが描かれています。
 

「人の心が見抜けた女」(The Girl Who Knew What They Meant,1970)★★★☆☆
 ――「いいお天気ですね」「まあ、ありがとう」。これこそ“当意即妙の答”ではあるまいか。彼女が勤めに出ている時間を除いて、まる三日間をともに過ごした。そこで、ミリカインのことを打ち明けた。弟の死因がぼくにあると考えた彼は、弟の命日である四日後にぼくを殺そうとしていたのだ。

 タイトル通りの超常的な設定から、ごく当たり前の男女の現実に着地しています。人の心を見抜けるからこそ、うわべだけの最後のやり取りがいっそうそらぞらしいのですが、お互いに気持をわかったうえでうわべだけはつくろっているというのは、まさにある種の人間関係そのものです。
 

「ジョリー、食い違う」(Jorry's Gap,1969)★★★☆☆
 ――ジョリーは母親の制止を振り切って外に出かけた。「ハイボーイがリビーをものにした」と情報通のスペックスが教えてくれた。リビーは高嶺の花なのだ。少し歩くとピンクの分け目を両側に垂らしたジョーニーがいた。彼女はいきなり、ジョリーの手を取って自分の胸に押し当てた。「いけないかしら?」「いや、ないよ」

 チンピラになれない背伸びしている少年なのか、ほんとうにすべきことがわからない人間なのか、それはさておき、二度と引き返せない局面というものはあるものです。これも人生の残酷さが胸に刺さります。
 

「〈ない〉のだった――本当だ!」(It Was Nothing --Really!,1969)★★★☆☆
 ――ヘンリー・メロウは単なる一人の人間ではなく、歴史的事件である。紙をちぎるときは、目打ちのついてない部分がちぎれる。結論は明らかだ。目打ちのついた部分は丈夫なのである。目打ちをつけるとは、物質を取り除くことだ。するともっと多くを取り除けば前よりも強くなるはずだという仮定が出てくる。この新物質を便宜上〈ない〉と呼ぼう。

 こういうルイス・キャロルみたいな発想は好きです。
 

「茶色の靴」(Brownshoes,1969)★★★☆☆
 ――彼の名前はメンシュといった。妻が言った。「この家でモーターを作って、人に見せて、売って、あなたはそのままリュートを弾いていてもよかったのに」「きみは間違ってるね。仮にある男が癌の治療法を考え出したとして、彼が妹と結婚していようものなら、彼の家は書類ごと焼き払われてしまうだろう」

 何だか似た感じのが続きました。
 

「フレミス伯父さん」(Uncle Fremmis,1970)★★★☆☆
 ――フレミス伯父さんは機械や道具ではなく今は人間を直している。いや、“直す”のとは違う、ぴったりした言葉の見つからない、ある行為なのだ。

「統率者ドーンの〈型〉」(The Patterns of Dorne,1970)★★★☆☆
 ――年をとって細胞が入れ替わっていくのは、コピーにコピーをとり続けていくのと同じこと。新生児の組織サンプルをとって保存しておけば、DNA分子のぼやけた線を修復する原型として利用できる。

「自殺」(Suicide,1970)★★★☆☆
 ――ボイルは……飛んだ。飛び降りた。生命が尽きようとするときには、自分の一生が眼の前を通り過ぎる。おれはやったぞ。彼の想念がここまで達したとき、闇のなかの何かが足をつかみ、からだを逆さまにした。

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