「高山宏インタビュー 「律儀な無頼」かく語りき――マニエリスムという人生作法」
学魔・高山宏のインタビュー。やはり頭がいい人の話は面白い。
「アンソロジーに花束を(3)ボルヘスのアンソロジー図書館」安田均
「手触りのある音~音楽蔵書さまざま、バロック期を中心に~」白沢達生
「焚書に始まる小説愛好家のためのミステリ『9人の翻訳家 囚われたベストセラー』」深泰勉
「夜の図書館」ゾラン・ジヴコヴィッチ/山田順子訳(Night Library,Zoran Živković,2002)★★★☆☆
――映画が終わったときには七時五十分になっていた。図書館の閉館は八時だ。へたをすればなにも読むもののない週末となる。明かりはまだついていた。なかにはいったが司書はいない。ふいに明かりが消えた。スタッフはわたしに気づかず帰ってしまったようだ。ところがいつの間にか男が現れ司書の席についた。「夜の図書館へようこそ。わたしどもは生きている本しかあつかっておりません。じっさいの人生です」
『12人の蒐集家/ティーショップ』等の邦訳がある著者の連作集『図書館』からの一篇。この人の作品は幻想小説の職人芸という印象で、際立った傑作もないけれどはずれもなく安定しています。
「今福龍太『ボルヘス「伝奇集」――迷宮の夢見る虎』を素描する――「バベルの図書館」の解釈学補遺」岡和田晃
「「バベルの図書館」の解釈学」岡和田晃
「おかえりなさい」橋本純
「シュザンヌ・ドラジュ」ジーン・ウルフ/遠藤裕子訳(Suzanne Delage,Gene Wolfe,1980)★★★★★
――昨夜、本を読んでいて、「人は誰しも生きているうちにはなにかしら普通でない経験をしているものだ」という出来事が、自分の人生にもあることに思い至った。生まれてこのかた人口が十万人にも満たない街に暮らしてきて、ひとりの女性の存在にぼんやりと気づいているものの、一度として知り合いになる機会がなく、容貌についてもなんら思い出せないという事実だった。彼女とは四年間おなじハイスクールに通っていた。
知っているはずなのに思い出せない、というあるあるのようでもあります。
あるいは「うら寂しい心持ちにさせられる名前の一覧」「スペイン風邪」という言葉からは、ハイスクール四年生のときにシュザンヌが亡くなっているようにも思えます。だとすれば子どもがいるわけはないのだから衝撃ではあります。けれど「四年間、同じハイスクールに通っていた」という言葉から、四年生のときに亡くなったという推測は否定されます。
ところが子どもが実在すると考えても辻褄が合いません。「何十年も前」という言葉はふつう二十年前には用いられないでしょう。となればイヤーブックのページが破られたのは最低でも三十年四十年前であり、破られたのがイヤーブックが出来た直後だったとしても現在はハイスクール時代の三十年以上後ということになります。少なく見積もって三十年後だとすると、十五歳の子どもを生んだのは三十三歳頃なので、有り得ない年齢ではありませんが、しかし作品が発表された1980年頃が舞台だと考えた場合には、スペイン風邪の流行は六十年前の出来事になってしまいます。
こうなってくるとそもそもシュザンヌが実在していたのかも怪しくなってきます。思い出せないのは初めからいなかったからではないか――。ところがそう考えても、今度は最後の最後に第三者の言葉によってシュザンヌの存在が保証されてしまうのだから、やはり衝撃を受けることになります。
イヤーブックのページが切り取られていた理由は何でしょうか。シュザンヌの母親が地元の老婦人から嫌われていたのは、外国風の名前からすると差別的な理由でしょうか。
「図書館という「人生の奇跡」――シュザンヌ・ドラジュの解釈学」岡和田晃
「post script」樺山三英(2020)★★★★☆
――図書館すなわち宇宙は真ん中に大きな換気孔を持つ無数の回廊から成り立っている。とある詩人が手記を遺していた。図書館すなわち宇宙は「無限であり周期的である」という説だ。詩人の死は憶測を呼んだ。詩人はついに『弁明の書』の在処を突き止めたのではないか。改革派が実権を握った。すべての本の中身と位置を把握管理し検索できるようにする仕組み、その構築が事業の根幹に位置づけられた。数多の調査隊があらゆる方向に送り込まれる。
樺山三英の新作で、ボルヘス「バベルの図書館」を現代にアップデートした作品です。心地よく幻想に身を委ねることは許されず、現代(の日本や現代のネット)で起こりそうなことが起こります。ある思想が勝手な解釈で一人歩きしてゆき、焚書にまで行き着くのは、けれど歴史が繰り返しているようでもあります。
「図書館映画から生まれる不思議、書から生まれる映画幻想」深泰勉
「奇妙な大罪」M・ジョン・ハリスン/大和田始訳(Strange Great Sins,M. John Harrison,1983)
「夜の図書館――映画「龍宮之使」制作秘話」浅尾典彦
「深夜図書館」井上雅彦
「非在の書棚」朝松健
「バーバス・ウィルコックスの遺産相続」サラ・モネット/和爾桃子訳(The Inheritance of Barbanas Wilcox,Sarah Monette,2004)★★☆☆☆
――卒業十五周年の同窓会から四か月ほどして、バーナバス・ウィルコックスが手紙をよこした。「ルシウス伯父の屋敷を相続したが、『現状に即した蔵書目録を作成すべし』なる遺言条項があったんだ」。古書研究家ルシウス・ウィルコックスの蔵書なら魅力的なお誘いだ。「伯父は頭がおかしかったよ。死を出しぬいて永遠に生きる方法を見つけたとかなんとか」
サラ・モネットは『ナイトランド』vol.5、『クォータリー』vol.7に続いて三度目の登場ですが、あまり印象に残っていません。「ラヴクラフトへのオマージュとしてのクラシックなホラーを集めたアンソロジー」が初出だということで、確かに古くさい作品です。クラシックの模倣としてはよくできていて、言われなければ古い作品だと思ってしまいます。
「ギブソン・フリンの蒐集癖」ピート・ローリック/待兼音二郎訳(The Collection of Gibson Flynn,Pete Rawlick,2017)★☆☆☆☆
――ギブソン・フリンは本を探しにヴィスカヤ市にやってきた。稀覯本を見つけてはっと立ち止まった。その本の出所をたどってとある古書店にたどり着いた。
ピート・ローリックは『クォータリー』vol.11、12、15に登場していますが、出来不出来の差が激しい。登場する書物に魅力を感じないので前半のわくわくがなく、グロテスクな後半は人皮というありがちなオチでした。
「古書蘇生者ピート・ローリックの小説世界」待兼音二郎
「空を見上げた老人」フランク・オーウェン/渡辺健一郎訳(The Old Man Who Swept The Sky,Frank Owen,1930)★☆☆☆☆
――ルゥ・フゥは中華風の庭園にたたずんでいた。老人が笛を吹きながら近寄ってきた。ルゥ・フゥがお辞儀した。「黄帝国の末子として、偉大なるリン・リィ閣下を歓迎いたします」「立つがいい。若さこそ旋律、どんな音調にもなれる旋律だ」けれどある朝、ルゥ・フゥ少年は消えてしまった。
単なるシノワズリのようなジェントル・ゴースト・ストーリーです。
「魔術的な他者が神話を書き換える――ヴィクター・ラヴァル『ブラック・トムのバラード』」岡和田晃
「幻想文学の必修科目――ジェイムズ・ブランチ・キャベル《マニュエル伝》」岡和田晃
「デミウルゴスについて」ジェイムズ・ブランチ・キャベル/垂野創一郎訳(Which Deals with the Demiurge,James Branch Cabell,1919)★☆☆☆☆
――ダヴィデの息子は、虚栄こそがすべてと知っていたが、伝道者にふさわしく、真実を転倒させて「すべては虚栄である」と言った。というのも動物の中で人間だけが、自分の夢の猿真似をする。犬が熱烈な夢を見るというのは、今では誰もが知っている。その夢が恍惚となると、犬は主人の形を不法に占有し、極楽の食糧庫に人の姿で訪れるのではなかろうか。
国書刊行会から刊行中の『マニュエル伝』のうち、翻訳されていない第一巻第二章の翻訳です。すごい。さっぱりわかりません。訳者は殊能将之の名を挙げていましたが、わたしは小栗虫太郎を連想しました。殊能将之は恐らく自覚的だけれど、キャベルや小栗虫太郎はたぶんギャグではなく大真面目に書いています。
「生ける本、ソフィア」アンジェラ・スラッター/徳岡正肇訳(The Living Book,Angela Slatter,2010)★★★★☆
――「何か読みたいんだ、ソフィア。ここに来なさい」父親がそう言った。父が私の皮膚をめくると、それらは活字で彩られたページとなった。私はビザンティウムで生まれた。あるいは作られた。父と呼ぶ人物も生物学上の父親ではなく、驚異的な才能を持った本作りの職人だ。父は私をコンスタンティン帝のために作った。皇帝陛下は私を何年も、様々な形で愛した。陛下が最後は信仰心に屈するまで。
著者は『ナイトランド』の常連です。コンスタンティヌス帝の時代から現代にまで生きる知の結晶は、シェヘラザードでありバベルの図書館であり、形はどうあれ親から子へと受け継がれるのは当たり前の人間です。
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