『シャーロック・ホームズの失われた災難』ジュリー・マキューラス他編/日暮雅通訳(原書房)★★★☆☆

 『The Missing Misadventures of Sherlock Holmes』ed.Julie McKuras etc,2016年。

 エラリイ・クイーン編『シャーロック・ホームズの災難』にさまざまな理由で収録されなかった作品を集めたものです。資料的な価値しかないのだろうなと、さして期待していなかったのですが意外と面白かったです。
 

「第I部 文学者編」

「ジョンスン監督の事件(コナン・ドイル博士にお詫びしつつ)」ジェイムズ・フォード(The Story of Bishop Johnson,James L. Ford,1895)★★★☆☆
 ――モウブレイにある診療所を譲り受けてから三か月が経ったころ、ホームズが姿を見せた。主教の館から鶏が盗まれる事件が相次いでいるという。

 人種差別的な描写から不採用になったと推察される一篇。黒人=ところかまわず鶏を捕まえる未開人という偏見が確かにあるのでしょう。そうは言ってもアラバマを含む南部の鶏は高いところに止まるというネタのぶっ飛び具合は、偏見を超えてシュールの域に達していました。
 

アスタービルト家の限界《バウンド》」チャールトン・アンドルーズ(The Bound of the Astorbilts,Charlton Andrews,1902)★★☆☆☆
 ――部屋に戻ったホームズは、骨製のカフスボタンが落ちているのを見つけた。「こいつをどう思う? ワトスン」。わたしはやけくそに答えた。「ここにいたのは背が高くて痩せた女性だね」。「ここに来たのは背が低い痩せた男だ」

 青い目だと推理できる根拠はトンデモですが、格子縞のズボンとグレーのコートを着たアメリカ人だからネクタイは赤である、ゆえに青いところは目以外にはあり得ない、という論法は正直おもしろかったです。でもそんな推理(?)も「すべて僕が仕掛けたことだからさ」で無意味になっていました。
 

「マイクロフトの英知」チャールトン・アンドルーズ(The Resources of Mycroft Holmes,Charlton Andrews,1903)★★★☆☆
 ――ロンドンの歴史教授を辞めてジャーナリストになりたいマスティ教授は、マイクロフト・ホームズの取材をおこなった。鉄仮面が投獄されたのはルイ十四世が立腹したからだと考えられる。立腹したのは個人的または政治的な理由によるものだ。ではなぜマスクをつけていたのか。ほかにマスクをしていた国事犯がいるかね?

 ミステリマガジン2016年5月号(→http://d.hatena.ne.jp/doshin/20160401)に第一部と第二部(出会いとシェイクスピアの謎)が掲載されていましたが、第三部の鉄仮面の謎は初訳ということになります。推理に偶然や運が入り込むことを評した第一部や、恣意的な暗号解釈が無意味であることを諷刺した第二部がミステリ自体へのパロディだったのに対し、第三部は比較的まじめに鉄仮面の正体を推理しているうえに結論も「広告と宣伝」という至ってまじめな諷刺になっていました。鉄仮面の正体こそパロディの面目躍如たる人物でしたが。
 

シャーロック・ホームズの正体をあばく」アーサー・チャップマン(The Unmasking of Sherlock Holmes,Arthur Chapman,1905)★★★☆☆
 ――目の前に突然現れた男は、「オーギュスト・デュパン」と書かれた名刺を持っていた。デュパンはホームズの手法が自分からの剽窃だと詰問する。

 『シャーロック・ホームズの栄冠』にも「シャーロック・ホームズデュパン」の訳題で収録。デュパンがあの世から現れてホームズにもの申すという設定こそパロディ色が強いものの、内容はわりと真面目なホームズ評でした。
 

「船影見ゆ」アンドルー・ラング(At the Sign of the Ship,Andrew Lang,1905)★★★★☆
 ――エドウィン・ドルードの研究書を読んだわたしは、ホームズとワトスンのキャラクターを借りてこの問題を論じることを思いついた……私はエドウィン・ドルードとその研究書を読んだホームズにたずねた。「どうだい?」「エドウィンは生きている。だが不可解な点がいくつかある」

 後人の手によってホームズは切り裂きジャック宇宙戦争エドウィン・ドルードの謎にも取り組んで来ましたが、そのほとんどは対決すべき相手とホームズが同じ世界の住人でした。けれどこの作品でホームズが相手にするのはディケンズのテクストであるというのが新鮮でした。だからこれはパロディというよりは、ホームズの口を借りた作品論ですね。どちらかといえば芥川と菊池寛の謎を解く『六の宮の姫君』や歴史の謎を推理する『時の娘』の系譜と言っていいと思います。謎解きの形を取りながら、ディケンズの魅力は探偵小説的な凝ったプロットではなくキャラクターだと結論づけるところなど、ミステリ作家のパロディにはない視点ではないでしょうか。
 

シャーロック・ホームズの日記より」モーリス・ベアリング(From the Diary of Sherlock Holmes,Maurice Baring,1911)★★★★☆
 ――ワトスンの留守中、レストレードがやってきて、レディ・ドロシーの結婚祝いの指輪が盗まれたという。われわれが客間を調べていると、レストレードが勝ち誇った声をあげ、指輪を拾い上げた。だが私は指摘してやった。その指輪がまがい物であることがわかったからだ。

 『シャーロック・ホームズ17の愉しみ』にも邦訳あり。ホームズ自身の手になる失敗譚3挿話。推理が完全に間違っていたというよりは、ちょっとだけズレていたり運が悪かったり間が抜けていたりするだけなので、ホームズが負け惜しみする余地は残されているようです。
 

ディケンズの秘本」エドマンド・ピアスン(Dickens's Secret Book,Edmund Pearson,1914)★★★★☆
 ――ブロンソンは『エドウィン・ドルードの謎』をホームズ物語に模して書いてみた。「ワトスン、事件をおさらいしてもらえるかい」「エドウィンがエジプトに行かない理由は二つあった。婚約者のローザ・バッドと叔父のジョン・ジャスパー。ところがエドウィンが姿を消す二日前に、二人は婚約を解消している」

 『エドウィン・ドルードの謎』をコンパクトに短篇の形にまとめていますが、これが抜群に上手い。ホームズ譚の特徴をよく押さえてあります。といいますか、失踪直前に婚約を解消したとか、川をさらったら死体はなく時計とピンが見つかったとか、原典自体にホームズ譚(というか黄金期ミステリ)っぽい展開があるんですね。取捨選択とアレンジに長けています。
 

「正直な貴婦人」J・ストーラー・クラウストン(The Truthful Lady,J. Storer Clouston,1920)★★★☆☆
 ――ミスター・キャリントンはホームズには会ったことがないが、晩年のワトスンになら会ったことがあった。ホームズ引退後、ワトスンの許に相談を持ち込む依頼人が出てきた。フィッツパトリック卿に全財産を譲ると書かれていた遺言書が消え失せ、妹に全財産を譲るという古い遺言書だけが残されていたという。

 クイーンの定員にも選ばれた、調査員キャリントン・シリーズの一篇。ホームズの迷推理パロディはよくあるけれど、ワトスンのボケっぷりだけを描いたパロディは珍しいような気もします。だけどこのワトスン、惚け過ぎてて面白いというより読んでいて不安になってきます。その惚けおじいちゃんっぷりがトリックに関わっているのだから仕方ありませんが。卿の呼び方を間違うのは原典に元ネタがあるのでしょうか?
 

「第II部 ユーモア作家編」

「サー・シャーロック・ホームズ最後の最後の冒険」コルネリス・フェート(The Very Last Adventures of Sir Sherlock Holmes,Cornelis Veth,1212, 1922, 1926)★☆☆☆☆
 ――私の記憶するかぎり、バーミンガムから届いた血まみれの郵便小包くらい奇怪な不意打ちはない。ホームズが包みをはがしてみると、小包には生首が入っていたのだ。同じころ、マネキンが首なし死体に入れ換えられているという事件が起こっていた。

 原典がオランダ語の小冊子であるためこれまでは入手も難しかったという資料的価値はありますが、毒もなければウィットもないので今読んで面白いものではありません。
 

「第III部 愛好家編」

「盗まれたドアマット事件」アレン・アップワード(The Adventure of the Stolen Doormat,Allen Upward,1900)★★★☆☆
 ――「たいへんです、ドアマットがなくなっています!」毎晩戸締まりの前に玄関内にしまうのが私の習慣だった。私はベイカー街の探偵に電報を打った。するとH――sだけでなく、間抜けづらのドクター・Wという男までやって来た。

 第三者の目から見たホームズのパロディのわりには、ホームズがちゃんと名推理していました。とはいえ大事なところで大チョンボしてしまうのですが。
 

「ワトスン博士の結婚祝い」J・オールストン・クーパー(Dr. Watson's Wedding Present,J. Alston Cooper,1903)★★☆☆☆
 ――「やあ、ワトスン。君の結婚祝いには何をあげたらいいだろうね」「僕が結婚するって誰から聞いたんだい!」その後ホームズは祝いの品を贈ってくれたが、それは直径が1.5メートルはあろうかという毛糸玉だった。

 ホームズはワトスンに結婚祝いを贈ったのか……?という疑問に対するアンサー(?)作品。
 

「ダイヤの首飾り事件」ジョージ・F・フォレスト(The Adventure of the Diamond Necklace,George F. Forrest,1905)★★★☆☆
 ――「これから二十三分ないし二十四分後にひとりの男が僕を訪ねてくるだろう。盗まれたダイヤのことを相談するためだ」「どうしてわかるんだ?」「僕の手法はわかっているはずだろう? 僕はその男と知り合いなんだよ」

 以前に訳したことがありました。「盗まれたドアマット事件」と同様、すがすがしく笑えるパロディです。
 

「現代のシャーロック・ホームズ」ロビン・ダンバーSherlock Holmes Up-To-Date,RobinDunber,1909)★☆☆☆☆
 ――二十三セントの賃上げと二十三分の労働時間短縮を要求してストライキをするとは、犯罪にも等しいずうずうしさではないか。雇い主たちは唯一の論理的結論に達した。偉大なる探偵シャーロック・ホームズを呼ぼう!

 現代の、と言いつつ、『恐怖の谷』や『最後の挨拶』より前の発表なんですね。黄金時代とは違い、現代(当時)の犯罪的行為に立ち向かうホームズです。
 

「十一個のカフスボタン事件」ジェイムズ・フランシス・チェリ(The Adventure of the Eleven Cuff-Buttons,James Francis Thierry,1918)★★☆☆☆
 ――プディンガム伯爵のカフスボタンが盗まれる事件が起こった。ホームズが話を聞いた使用人たちは、怪しいとにらんでいる同僚を次々と告発していった。

 本書唯一の長篇(または中篇)。聞く人聞く人が次々と「あいつが怪しい」と言い出して、ホームズが捜査(?)を開始すると実際に次々と……という趣向は面白いので、もう少し短くてコメディ調だったならもっと出来がよかったと思います。

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