学生アリスシリーズ初の短篇集。著者あとがきによれば学生アリスシリーズは長篇5作と短篇集2冊の予定であるらしく、残る長篇1作と短篇集1冊も出してくれそうな書きぶりです。収録作は執筆順ではなく作中の時系列順になっています。
「瑠璃荘事件」(2000)★★★☆☆
――『虚無への供物』がきっかけで推理小説研究会に入ったアリスは、講義ノート盗難の疑いをかけられた望月の疑いを晴らすべく、江神先輩と現場に出向いた。望月の下宿「瑠璃荘」には事件当夜は被害者の門倉と望月しかおらず、下宿人の下条がトイレの電球を換えた時刻から考えてほかの者には盗難は不可能だった。
アリスと江神たちの出会い篇で、まだアリスも江神の推理能力を知らないころという設定なので、起きる事件も事件とは呼べないような学内でのちょっとしたトラブルです。アリスもまだ江神の能力には懐疑的ですし、江神の推理も犯人から「非論理的」と言われてしまう始末です。タイトルは『りら荘事件』が元ネタでしょうか。
「ハードロック・ラバーズ・オンリー」(1996)★★★☆☆
――街中で赤い傘を差した女性を見かけたアリスは、忘れ物を渡そうと声をかけたが、相手は気づかずに行ってしまった。彼女とはハードロック喫茶で何度か一緒になったことがあったが、前回ハンカチを忘れているのを見つけ、届けようと思っていたのだ。
初出がミステリ専門誌ではないためか、ミステリではない小品です(舞台がハードロック喫茶であるのが伏線として機能してはいますが)。ミステリではありませんが、それだけに推理ではないぼそっと呟く江神の一言が衝撃的ではありました。タイトルは恐らく『ソウルミュージック・ラバーズ・オンリー』のもじり。
「やけた線路の上の死体」(1986)★★★☆☆
――夏合宿で望月の実家を訪れた推理研は、鉄道事故に遭遇する。自殺かと思われたが、遺体に生体反応がなく、遺書も稚拙な偽装だったため、殺人として捜査されることとなった。容疑者は二人。資産の相続人と、横領で馘首になった元従業員。地元の記者から事件の詳細を聞いた江神は、被害者の自宅付近の目撃者と、線路脇に暮らす浮浪者から話を聞き、すぐに犯人を言い当てた。
商業誌デビュー作。江神とアリスたちが殺人事件に遭遇し、江神もアリスから断り書きなしの「名探偵」に格上げされます。犯人が容疑者二人のうちのどちらかだとしたらという「仮の前提の下で」とはいえ、目撃状況からあっさりと犯人を言い当ててしまう江神の推理が光ります。ただしもう一人の目撃者を知的障害者とすることで、聞かれなかったから答えなかったのだ、と肝心の目撃情報を隠すやり方はスマートとは言えません。タイトルは作中でも触れられている『やけたトタン屋根の上の猫』より。
「桜川のオフィーリア」(2005)★★★☆☆
――江神の同級生・石黒先輩が英都大学を訪れた。入院中の友人の部屋を整理している時に見つけた数枚の写真。そこには高校生のころ川で死んだ同級生・宮野青葉の遺体が写っていた。状況から考えて遺体が陸に引き上げられる前に撮ったとしか考えられない。友人が宮野を殺した犯人なのか……。
時系列的には第一長篇『月光ゲーム』の後になります。『ミステリーズ!』競作「川に死体のある風景」の一作。石黒先輩以外に真相が自明だったのは、石黒が当事者だから見えていなかったからではなく、青臭い真相に気づけるのはまだ青臭いままの大学生だけだったから、ではないでしょうか。ものが死体であるだけに、著者のロマンチストぶりがやや気持ち悪い方向に傾いている一篇でした。
「四分間では短すぎる」(2010)★★★★☆
――アリスが使った公衆電話の隣でものの数秒間だけ電話していたスーツ姿の四十代の男。「四分間しかないので急いで。靴も忘れずに。……いや……Aから先です」。江神の自宅に集まった推理研のメンバーは、この言葉から状況を推理しようとする。
タイトルだけでなく内容自体も、言うまでもなく「九マイルは遠すぎる」が下敷きにされています。推理談義自体が楽しい作品でもあるのですが、著者の考察をただ垂れ流しただけだと思われた『点と線』論が、実はこの作品の作りにとって必要不可欠であったことが最後にはわかるなど、ただの「九マイル」二番煎じではない作品でした。
「開かずの間の怪」(1993)★★★★☆
――織田の下宿の大家につながりのある潰れた医院には、幽霊が出るという噂があった。探偵小説研究会なら実際に調べてみたらどうかと言われ、アリスたちは夜中に医院に出かけた。腹が痛いからと言って織田が帰ったあと、一階で何かが倒れる音がした。さては織田の仕業だと考えた江神は、挑戦を受けて立つ。
味も素っ気もないタイトルですが、まさしくタイトル通りでしかないとも言えますし、タイトルがミスディレクションになっているとも言えるでしょうか。踊る骸骨や背高男児などの怪奇現象と、単純なトリックの取り合わせが痛快でした。
「二十世紀的誘拐」(1994)★★★★☆
――教授の家から盗まれた絵は、無名の画家だった教授の叔父が描いたもので、市場価値などない。身代金として千円を要求したのは三十歳を過ぎても小説家めざしてぶらぶらしている教授の弟に違いない。だが手荷物もない状態でどうやって絵を盗み出したのか。
二十世紀とは何の時代か――? これが盗みのトリックに結びついているうえに、問いの答えとして充分に納得のいく回答でした。よく考えるとしょぼい事件(?)に相応しいしょぼいトリックなのですが、「トリックは何か?」ではなく「二十世紀的とは何か?」という疑問を立てることで、ちょっとした奇想とユーモアの光る作品になっていたと思います。一方で犯人の動機は自己満足的で、これでは文学の目が出ないのもさもありなん。無価値なものに気づかないのは無価値なのだから当然のことで、それが美学の教授への意趣返しになるはずもありません。
「除夜を歩く」(2012)★★☆☆☆
――帰省しないアリスは、江神の部屋でかつて望月が書いたという犯人当て小説を見つけた。車が故障し探偵が訪れたのは元サーカス団長の屋敷だった。翌日、降り積もった雪のなかで主人の刺殺体が見つかった。傍らには「ミチ」というダイイング・メッセージ。犯人は誰なのか……。
単行本刊行時の書き下ろし作品。タイトルが再びもじりになっているような気もしますが、「を」が入っているので違うような気もします。作中作が入っているからなのと推理小説談義が入っているからという事情により、本書中でいちばん長い作品になっていました。作中作と絡めて推理小説談義が披露されていますが、ごちゃごちゃ言っていてわけがわかりません。そもそもが犯人当ての作中作もメタが過ぎてごちゃごちゃしていて潔くありませんでした。メタが悪いわけではありませんが、言い訳めいた理由に使うのは卑怯です。
「蕩尽に関する一考察」(2003)★★★☆☆
――織田の行きつけの古本屋がただで本をくれた。ノートを貸したのがきっかけで、アリスと同じ講義を取っている有馬麻里亜もミステリに興味を持っていることがわかった。麻里亜も同じ古本屋から食事を奢ってもらったことがあるという。老人は何のために蕩尽しているのか。
お金というものに対する逆説が用いられていますが、真相となるその逆説がさして魅力的ではないうえに、作中のロジックにより唯一絶対の推理とされるのではなく張り込みで解決されてしまうなど、謎に魅力があるだけに尻すぼみ感が否めませんでした。
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