『丘の上 豊島与志雄メランコリー幻想集』豊島与志雄/長山靖生編(彩流社)★★★☆☆

 『レ・ミゼラブル』翻訳で有名な著者の作品集です。『文豪怪談傑作選・昭和篇』に二篇が収録されていたので、読んでみました。徹頭徹尾内省的で、ちょっとはずした結末をつける作風は、繊細とうじうじの間の揺れ幅が大きかったです。
 

「蠱惑――瞑目して坐せるある青年の独白――」(1914)★★★☆☆
 ――私がその男をじっと見つめたのはそのカフェーだった。男は私の卓子と並んだ卓子に着いた。私は喉が渇いていたので紅茶を二杯のんで林檎を食った。その時彼も紅茶を二杯のみ林檎を食ったのだ。女中が私の方をふり向いてくすりと笑った。すべてに腹立っていた私は勘定をして立ち上がった。その瞬間彼の眼が異様に輝いて私の胸を射た。何かを盗まれていると感じた。私が自分の世界の中心に瞑想している時、彼が突然やって来る。彼があの眼で私の魂をじっと見つめるとしたら……決して油断してはいけないんだ。

 語り手の主観的には感覚器を共有するドッペルゲンガーのようなものも、実際には他人の視線を気に病む神経症の症状でしかありません。自らの物真似に無自覚で、視線によって物の魂を抜かれると信じるサイコパスの「~なんだ」という口調が、自分に言い聞かせようとしているようで恐ろしい。憑物が落ちたようになってからもなお対象を移すだけで、最後になっても治っていないのが哀しくありました。
 

「悪夢」(1923)★★★★☆
 ――私は時々、変梃な気持になることがある。こんな生活が毎日続くとは。ああせめて、力いっぱいぶつかってゆけるものでもあったら……。然し都会の真中では体力を要求するようなものはない。私はふと足を止めた。眼の前の惨めな男を殴りつけるという意志にはっきり気づいた。無理に引離した視線の先に、硝子器具を扱う店があった。

 冒頭のサラリーマンの通勤ルーチンが現在とまったく同じことに衝撃を受けました。通行人を殴りたくなったり店に石を投げたりと、完全に抑圧されていることの限界が訪れています。子犬と少女はどちらも弱そうに見えてたくましいものの象徴でしょうか。道に落ちていた小銭一枚に救いを見出す感覚があまりにも救いがなさ過ぎて悲しくなりました。
 

「都会の幽気」(1924)★★★★☆
 ――都会には、都会特有の一種の幽気がある。或る夜、変なものに……いや変な気持に出逢ったのである。ふと、後から誰かついて来るような気配を私は感じた……といって足音も声もなく、ただその気配だけが風のようについてくる。

 『文豪怪談傑作選・昭和篇 女霊は誘う』()で既読でしたが忘れていたので再読。またドッペルゲンガー神経症の話だと思っていたら、心霊譚になるのは驚きました。翻せば心霊現象なんてどれも神経の話と思うこともできます。
 

「丘の上」(1925)★★★★☆
 ――丘の上の木立の外れの叢の上に、彼等は腰を下ろした。「あああれですね」「晴れた日は大抵光ってますの」「妙な景色だ。平凡な丘と、畑の眺めと、それが地平線のところに帯のような海がきらきら光っている……」「あんまりです」「海とは違うと言うんですか。行ってみなければ分らない。ただそれだけの違いです」

 丘の上に腰掛けて行軍を眺めている男女の会話を中心にして、死のイメージに彩られた作品です。死体など直接的な死も登場するなかで、日射病になって倒れる兵隊のイメージが鮮やかでした。
 

「常識」(1934)★★★☆☆
 ――富永郁子と坪井宏は互いに享楽の道具にすぎなかった。あなたの涙がなかったならば、私は恋愛の楼閣を築き初めはしなかったろう。それ故に農園の計画に本気で身を入れたのだ。そんなときにあなたの裏切りが起った。これについて私の認識は明確ではない。だがあなたはこう云った。「みますの娘と御自分とのことはどうなの」

 さすがにひねくれた感受性の持ち主の話ばかりだと食傷してしまいます。向き合わずに逃げていられたら、きれいごとで済ませられるでしょう。
 

「食慾」(1935)★★★☆☆
 ――「お前は胃腸も悪いかもしれないが、神経衰弱かも知れないよ」野口は安っぽく片付けてしまいました。木村さんの側では私は野口に感じるような圧迫は感じませんでした。

 胃腸の弱い妻を憐れみおかしな理論を信奉する野生の獣のような匂いのする夫……浮気相手との情事がどこまでも美しく描かれているのに対し、ギャグのようなくそみそぶりです。
 

「逢魔の刻」(?)★★☆☆☆
 ――昔は逢魔の刻というのがいろいろあった。現在、吾々の生活にも――特に精神生活にはそういう逢魔の刻がいろいろある。「こんなことをして一体に何になるか」というのがそれだ。其奴は、真理の面と詭弁の面とを二重に被っている恐るべき魔物だ。草津旧街道の茶店で出会った木挽が、「一体何になるんだ」という体験を聞かせてくれた。

 壮大なものに触れて、自分のしてきたことが「一体に何になるか」と感じる感覚を、意識高い系の語り手が斜に構えて「そんなのしょっちゅうですけど」「植物や動物はそんなこと感じてませんけど」と胸の内で思う小説です。のーてんき過ぎる人につっこみを入れたくなる気持はわかるけれど、語り手があまりに痛々しい。
 

「球体派」(1929)★★★☆☆
 ――立体派をもう一つ先の球体派というところにまでつきぬけるんだ。友人はそうくり返していた。人間の眼球は測り知られぬ美を持っている。恋人の眼をのみ美しいと云う勿れ。だが、眼球をもに美しいと云う勿れ。私はその時、撞球象牙の球を頭の中に眺めていた。いや凡て球形のものには円満具足の美がある。

 球体こそ究極の美であるという結論に至った芸術家二人は明らかに死を希求しているように見えます。現実的に考えれば遠くから見たらどんなものであれ凹凸はつぶれて丸っこく見えるに決まっているのですが、こじつけてしまう精神状態にこそ問題があるのでしょう。あるいは落下する人体を球体に結びつけられる感性を繊細と讃えるべきでしょうか。
 

「奇怪な話」(1933)★★☆☆☆
 ――私の故郷の村中に無気味な隘路がある。夕暮、上方の茂みを貫いて、ぶらりと、大きな馬の足が一本垂れ下る……という。私はこれに似た事柄を、人間について経験したことがある。寝台車のカーテンからはみ出た足が引込んだ瞬間に、私はぞっとしたのだった。人体の一部は、それが人体から切り離されて、別個のものとなる時、不気味さを持つようである。

 これは小説というには構成が立っておらず、三つの話を〈奇怪〉というキーワードだけで連ねたエッセイだと思います。正気と狂気の穴の話や鯰の話は蛇足というべきか、せっかくの人体の不気味さの話が活かされていないというべきか。馬の足の話は豊島の故郷・福岡県に伝わる怪異のようです。
 

「碑文」(1940)★★★☆☆
 ――大地主の崔之庚は若い頃に財宝の詰まった壺を拾って財を成したと云う。二十五も年下の崔範を妻にしていた。あるとき崔範が黒い鳥を見てそのまま意識を失ったが、他人に妻を触れさせたくない崔之庚が医者を拒んだため崔範は息を引き取った。崔範の甥である曹新は崔之庚を怪しんだが、事情をたずねた使用人の徐和が岩に潰されて死んでしまった。
 

「白塔の歌」(?)★★★☆☆
 ――荘太玄は今もその見識徳望の高きを以て聳えていた。だから息子の荘一清が方福山に招待されるのはわかるが、その友人である貧しい王紹生が招待される理由がない。民族運動家をまとめて招待するところに裏面の意図があるのではないか。招宴には柳秋雲も出るらしい。柳秋雲は新時代の女性の玩具を持って来てほしいと頼んだ。それは拳銃のことであった。

 どちらも現代(?)中国を舞台にした『近代伝説』の一篇。内省的で観念的なこれまでの作風とは違い、ちゃんと物語も書けるのだと驚きました。
 

「秦の憂愁」(1944)★★☆☆☆
 ――星野武夫は上海に来て、詩人の秦啓源に逢いたかった。太平洋戦争が始まってから彼はふいに支那へ帰った。失恋という風説もある。大使館から帰還させられたという風説もある。公金を横領したという風説もある。

 これまたがらりと作風が変わり、中国人の政治的苦悩。
 

「沼のほとり」(1946)★★★★☆
 ――佐伯八重子は、戦争中、息子が動員されましてから、その兵営に面会に行きました。帰りは夕方になりました。東京方面への切符は売りきれてしまった。そういう時代だったのであります。八重子は腰掛の上で眼をつぶりました。「あの……失礼ではございますが……面会からのお帰りでは……。宿にお困りのようでしたら、どうかおいで下さいませんか。」

 現代日本を舞台にした『近代説話』の一篇。東雅夫編『文豪怪談傑作選・昭和篇 女霊は誘う』で既読。怪談なのかどうかすらわからない不思議としか言いようのない作品で、人の縁の不思議さを感じさせたかと思うとその邂逅自体が幻だったと明かされます。
 

「聖女人像」(1947)★★★☆☆
 ――私は病気らしい。普通の通念の病気ではないにしろ。私は自己の孤独圏を確立したい。婆やは引っ込んでくれるが、研究所の久子はそうはいかない。「私、先生より先に死にたい」。死に際がどうではなく、久子はかつて同性愛を超えた深い情愛を結んでいた清田のおばさまのことを思い出したのだ。研究所の窓から外を眺めている時、私は久子にキスをした。私は偶然を軽蔑しない。然し、これが清子だったならばそのようなものは不要だっただろう。

 もちろん「蠱惑」「悪夢」「都会の幽気」などはどれも現実ではないものを視てしまう神経症者たちが登場するのですが、孤独を愛して妄想のなかの理想の女性を現実の女性と引き比べるこの作品は痛々しさが伴います。p.247「軒の屁」は「軒の庇」の誤記か誤植だと思われます。
 

「絶縁体」(1952)★★★★☆
 ――隣に住んでいる市木さんは、近所からは変人だと思われていた。もう六十歳近い年配だと見えるのに、幼い一男一女があり、妻も女中もいなかった。隣家との境にある竹垣が颱風で壊れてしまったが、市木さんの家に所属するものなので、私がうっかり手をつけるわけにはいかない。だが市木さんは放りっぱなしだった。私の方から切り出すと、区切りもないのはいけませんな、と云って二尺ばかりの四つ目垣を作ったので、家はまる見えのままだった。「退屈な時は、跨ぎ越して遊びにいらっしゃい」

 近所の変人を描いた作品です。変人といってもそれなりに筋は通っていて、そこが妙な魅力でもありますが、筋が通っているだけに厄介でもありました。実際、垣根の話だけならちょっと変な人で済んでいましたが、遺骨や水道や怪我の話まで来ると要注意人物です。

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