『連城三紀彦レジェンド2 傑作ミステリー集』綾辻行人・伊坂幸太郎・小野不由美・米澤穂信編(講談社文庫)★★★★☆

 四人の選者による連城ミステリ傑作選第二集。巻末対談には米澤も参加して鼎談に。
 

「ぼくを見つけて」(1989)★★★★☆
 ――「はい、一一〇番です」「ぼく、ユーカイされてるみたいです。ハンニンがいないので電話しました。たすけてください」イシグロケンイチと名乗る少年からの電話。だが石黒健一は九年前の誘拐事件で死亡しており、同じ名前をつけられた次男の研市は自宅で友人と遊んでいた。悪戯かとも思われたが、助けを求める電話はなおも続いた。

 九年前に誘拐されて死んだ息子からの助けを求める電話という導入部に昂奮せずにはいられません。どうやら電話は次男の仕業であり、父母の過去に後ろめたいことがあり……というところが序盤で明らかになります。終わってみれば両親も息子も嘘は言っていないのに、表向き見えていた構図と真相はまるで違っているというまさに連城マジックとも言うべき内容でした。
 

「菊の塵」(1978)★★★★☆
 ――明治四十二年の秋、もと陸軍騎兵連隊将校桐田重太郎という軍人が、喉を軍刀で突いて自害した。学生だった私は、夕方に周辺を散策するのが習慣だった。すると屋敷の中から妻の桐田セツが駆け出してきた。重太郎が布団の上で寝巻を着て倒れている。「夫は軍人です。こんな姿で死なせるわけには参りませぬ」といって軍服に着替えさせようとする妻を巡査が必死で止めた。世間では病を苦にしての自殺と考えられた。

 花葬シリーズの一篇。真相のキーとなる言葉は初めから堂々と読者の目の前に現れていたのでした。動機と殺害方法ともに、明治という時代に生き残った最後の精神のほとばしりのようで、連城作品には珍しく、語り(騙り)の妙よりも意外な真相の方に強い印象が残りました。
 

「ゴースト・トレイン」(1987)★★★☆☆
 ――二つの月が近づいてきた。それが最終列車の光だと意識できても何の恐怖も覚えなかった。私は線路に横たわった。三秒、二秒、一秒。ぷつんという音と共に無音の世界に投げ出され、それが人生で聞いた最後の音になった――はずだった。私はなぜ生きているのだろう。……この町の若者とは違う、東京者らしい娘と出会った。幽霊列車騒ぎを確かめに来た野次馬らしい。

 解説にもあるように、赤川次郎との競作企画で書かれた「幽霊列車」へのオマージュ作品で、「幽霊列車」事件を背景に、もう一つの“幽霊列車”事件が描かれます。列車内から乗客が忽然と姿を消した「幽霊列車」に対し、轢かれそうになったとき列車が消えてしまう謎が扱われていますが、果たしてトリックと呼んでもいいのかどうかもわからない(強いて言えば叙述トリック)ものでした。孤独な中年男が「幽霊列車」の永井夕子に横恋慕するのが惨めで哀れです。
 

「白蘭」(1988)★★★☆☆
 ――あれは何の花やったんか、県太のほうが舞台にあがる時よう胸に飾ってたんや。もう三十年になる。道頓堀の飲み屋あたりで出逢うてたらよかったんや。呼吸の合った漫才師みたいに仲良うしたやろ思う。けど、あの二人、ほんまに漫才師として出逢うてしもたんや。藩一は漫才師としては二枚目すぎて、相方に不細工なのもってくると光るんや。私生活を売り物にしてのしあがっていったんやが、県太が女遊びや傷害沙汰を起こしよった。

 最後に正反対の事実こそ明らかにされますが、これは普通小説ですね。事実とは反対のことを貫き通していたとわかるからこそ、その妄執、異常な愛情がいっそう引き立っています。自称事情通の関係者が語り手を務めているのも効果的です。
 

「他人たち」(1992)★★★★★
 ――私が受験勉強のためにあのマンションに部屋を借りた年のこと、憶えてる? 上の部屋に住んでいたのが寝たきり寸前の孤独な老人。下の部屋の孤独な大学生。それだけじゃないわ、空室じゃない方の隣りには離婚経験のあるインテリア・デザイナーの女がやっぱり一人で住んでいた。三階か四階に住んでいるらしい四十代後半の若者風の男がその女の部屋に通っていた。

 騙りの手口を明らかにしたような語りが、他人のような希薄な家族関係の描写に効果的に用いられていました。家族はもちろん自分にも興味がないその空虚感が感じられ、故意の語り落としが語り手の目論見通りに作用しています。本当の他人になろうとする語り手の企みが、暗い情熱ながら生き生きとしていて小気味よくもありました。
 

「夜の自画像」(2008)★★★★☆
 ――若いころ画家を志していながら貧しさからその夢を諦めなければならなかった父は、才能を持ちながら貧窮した画家の卵を見つけ出し育てあげるのが、画商としての誇りと自慢でした。波島遼五もそんな一人でした。奇行で知られ、画架に向かう時は衣類を全部脱ぎ捨てていたそうです。父と波島のどちらかが殺されたあの事件で、火事場から持ち出したのが、この朝顔の蔓が巻きついた腕の絵でした。

 花葬シリーズ最終作。どちらがどちらを殺したのか――そんな単純な謎と、利き手という古典的な特定手段が用いられた、愛憎のさらに先にある逆転劇です。明らかにされてみれば簡単なことなのですが、鏡という反転がさらに反転され、そのうえそもそもの事実と思われていたものが反転されたものだった……と、やはり一筋縄ではいきません。才能とプロデュース力の関係を逆手に取ったアイデアも見事です。

 [amazon で見る]
 連城三紀彦レジェンド2 


防犯カメラ