『幻想と怪奇』5【アメリカン・ゴシック E・A・ポーをめぐる二百年】(新紀元社)

「〈幻想と怪奇〉アートギャラリー アーサー・ラッカム」

「A Map of Nowhere 05:ダーレス「深夜の邂逅」のプロヴィデンス」藤原ヨウコウ

「深夜の邂逅」オーガスト・ダーレス荒俣宏

アメリカン・ゴシックの瞬間」巽孝之
 

夢遊病――ある断章」チャールズ・ブロックデン・ブラウン/夏来健次(Somnambulism: A fragment,Charles Brockden Brown,1805)★★☆☆☆
 ――若い女性が銃で撃たれて死亡する事件が起こった。睡眠中に起きだして多様な活動をする習癖のある青年が容疑者として浮かび上がった。ただ彼は被害者の女性に恋心を抱いており、夜間を旅する危険性をひどく心配していたのだった。

 いきなり冒頭の新聞記事でネタばらししてどうなるのかと思ったのですが、なるほど飽くまで実行者は不明であり、事件に至るまでの状況だけが描かれるという形が取られていました。1805年当時には夢遊病とはどのように捉えられていたのでしょうか。いま読むとちょっと退屈です。
 

スリーピー・ホロウの伝説」ワシントン・アーヴィング/森沢くみ子訳(The Legend of Sleepy Hollow,Washington Irving,1820)★★★☆☆
 ――スリーピー・ホロウでは馬に乗る首なし騎士の亡霊が目撃されていた。スリーピー・ホロウにはイカボッドという教師がコネチカット州から赴任しており、教師の例に洩れず田舎の女性たちから一目置かれる存在だったが、如才ない一方で『魔術史』を頭から信じ込むような人間だった。とはいえ悪魔がいようと何だろうと、十八歳になるカトリーナという農場主の娘にはかなわない。ライバルは多く、筆頭はブロムという豪胆で怪力の若者だ。農場で宴会が開かれ、老人たちの手柄話や怪談を聞いた帰り、イカボッドは濡れた足音を聞き、巨大なものが暗闇の中にいるのを見た。

 著名作ですが、意外なことに純粋な怪奇小説ではありませんでした。怪奇ムードを盛り上げるというよりは田舎の風土の紹介であり、怪談会が始まりそうになったときもあっさりとやり過ごされます。首なし騎士と馬を駆ける場面などは完全にスラップスティックでした。読んでいる最中は戸惑ってしまいましたが、オチがあるとわかってしまえば、このノリは著者の意図したものだったことに気づきます。
 

「白の老嬢」ナサニエル・ホーソーン/田村美佐子訳(The White Old Maid,Nathaniel Hawthorne,1835)★★★★☆
 ――寝台の上に横たわっている若い美貌の男は、屍衣をまとった亡骸であった。見目麗しい二人の娘が亡骸を挟んで立っていた。居丈高な娘が叫んだ。「出ておいき、イーディス。命ありし日にこのかたをわがものにしていたのは貴女です。死したいま、このかたはわたくしのもの!」「出ていって。幾年月を存えたのちに戻っていらして。そのときにはこのかたと一緒にお迎えしますわ」「証の品は?」「このかたの髪のひと房を」そして数多の歳月が過ぎた。若かった娘は“屍衣の老嬢”として町じゅうで知られていた。日中に外出するのはきまって葬列についていくときだけであった。ある日の午後遅く、葬式もないのに老嬢が目撃された。いぶかる人々の前に豪華な馬車が停まり、老齢の貴婦人が老嬢の家に入っていった。

 二人の娘と若い男のあいだに何があったのか、残った娘が葬式にばかり参加していたのはなぜか、など明かされない謎が想像力を掻き立てます。葬列以外に外出しなかった老嬢が初めて葬式のない日に外出している姿を目撃される場面は、何かが動き出したことを感じさせて期待感が高まる名場面でした。
 

「ベレニス(新訳)」「早すぎた埋葬(新訳)」「ヴァルドマール氏の死の真相」エドガー・アラン・ポー

「怪奇幻想小説の伝統」西崎憲

「色彩の悪夢――エドガー・アラン・ポーと疫病ゴシック」西山智則
 トランプや鬼滅の刃や新型コロナに頑張ってこじつけている感じ。

「七番街の錬金術師」フィッツ=ジェイムズ・オブライエン/岩田佳代子訳(The Golden Ingot,Fitz-James O'Brien,1858)★★★☆☆
 ――もう休もうとしたとき、夜間用のベルが鳴った。「父がひどい事故に遭って火傷を負ったんです。急いできていただけないでしょうか」貧相な身なりの女性だった。「どうして怪我を?」「化学者なんです」。横たわっていた白髪の学者に声をかけると、激しい怒りを見せた。「誰だ? わしの秘密を探りにきたな」「医者のルクソールといいます。治療にきたんです」「では患者の秘密は漏らさないと誓っているはずだな。金なら存分に払ってやる」。ブレークロック氏は硫黄と水銀を混ぜ合わせて黄金を作りあげることに成功したと話し、娘のマリオンは管理していた金をすべてどこかへやってしまったという。信じられない話だったが、報酬に渡された延べ棒を確かめてみると間違いなく純金だった。

 医者が語り手であるのは、錬金術という非科学的な要素に説得力を持たせるための工夫でしょうか。けなげそうな娘が父親の財産を盗んだと告発されながらも口を閉ざしているという状況には探偵小説のような謎めかしさがありました。いずれ避けられなかった悲劇とはいえ、医者が往診して報酬など発生しなければ、もう少し長くは夢を見ていられたかもしれないと思うとやるせなを感じます。
 

「姿見」イーディス・ウォートン/高澤真弓訳(The Looking Glass,Edith Wharton,1935)★★★★★
 ――マッサージ師をしていたアトリー夫人は姪のモイラに語った。戦地の夫を思うご婦人たちが霊媒師にカモにされるのを気の毒に思っていたの。それで教会の教えに反することはわかっていたけれど、夢で見たお告げを伝えたの。それが当たって評判になったわ。だけどクリングスランド夫人のことは――。ある朝、部屋に入ると顔を枕にうずめて泣いていたの。『さあ涙の訳を教えてくださいな』『失ってしまったの』『何を?』『私の美貌よ』。実際その頃から彼女のことが心配になってきたの。ある日、彼女は外国の伯爵から届けられた手紙を破り捨てていたわ。『こういう人たちは金のある年老いた女を捜しているの……あの頃とは違うのよ。花屋で出会ったあの若者……あれは生涯ただ一度の恋だったと思う』『その方とは?』『四、五回、会っただけ。そのあとハリーはタイタニックとともに沈んでしまったの』。次の日、お屋敷から霊媒師が出てくるのを見て、彼女を救うためには先手を打つ必要があると感じたの。『昨夜、不思議なことがありました。あのタイタニックの方のように思えてならないんです。まるでそこにいるみたいにその姿がはっきりと――』

 そもそものお告げも正義感からでしたし、お告げの経験を活用しようとするのもクリングスランド夫人を悪徳霊媒師から守るためというのも、アトリー夫人の優しさをしのばせます。けれど優しい噓をつくにも教養は必要で、こういう絵空事には、教養ある貧しい人物というあつらえたような人物がぴったりでした。クリングスランド夫人の援助で家を買うことができたというエピソードや、神父も共犯だというオチなど、悲しい物語にまぶされた穏やかなユーモアが絶妙です。
 

「サテンの仮面」オーガスト・ダーレス/三浦玲子訳(The Satin Mask,August Derleth,1936)★★☆☆☆
 ――モニカが見つけた手紙は、母の妹ジュリエットからのものだった。母もジュリエットももうこの世の人ではない。『アンナ。ベリーニが素敵な仮面を送ってくれたの。まるで生きているみたい』。この手紙を書いてすぐ、おばのジュリエットは死んだ。食卓でその手紙を話題に出すと、みんなの顔色が変わった。「ジュリエットは自然死じゃないの。あの仮面は吸血鬼のように命を吸い取るというの」スーザンおばさんにはそう言われたものの、モニカは隠していた仮面を見つめ、顔につけた。

 スーザンおばさんはモニカに仮面をつけさせて殺すためにわざと手紙を読ませたのかとも思ったのですが、モニカの身に起こったことに心から恐怖しているようですし、そういうわけでもないようです。でも因果応報ではないとなると、自分の母親が死んでいるのに「モニカではなかったのね」と口にするアリスの異様さが際立ち、古典的な怪談がまるでサイコ・ホラーのように歪んで見えます。
 

「藤の大木」シャーロット・パーキンス・ギルマン/和邇桃子訳(The Giant Wistaria,Charlotte Perkins Gilman,1891)★★★★☆
 ――「わたしの子を返してちょうだい、お母さん」と言いつのる途中で父親に口をふさがれた。「この恥さらしを置いて三人で英国へ戻るぞ。ありがたいことに、従兄はそれでも妻にもらってくれるそうだ。そんなに子どもをほしがるなら、まっとうな出自の子を産ませてやればいい!」***「まあジョージ、すごい家ね! 絶対に幽霊のいわくつきよ! この夏はあの家ですごしましょ! もちろんケイトやジャックやスージーやジムも呼んで」ジェニーの提案でその家を借りることにしたが、近所に聞いても幽霊の言い伝えなどなかった。それでも一夜を過ごした翌朝には各自が幽霊の話をし始めた。「幽霊はどうだった? おれは見たよ、おかげで食欲はさっぱりだ!」「わたしもよ! すごく怖かった……飽くまで感じなんだけど。地下室に怖い井戸があるでしょ? 井戸の古鎖がきしむのが聞こえたの!」「何か見えた?」「なんにも」「おれはいきなり目が覚めたんだ。すると若い美人の幽霊が入ってきた。ぜんぶ夢だがな」

 真剣だったり冗談めかしていたりといった温度差のある各人各様の証言によって徐々に幽霊の輪郭が浮かび上がってくるのは、現実の会話のような効果を狙ったものでしょうか、朦朧としていた出来事のなかから実体が立ち上がってくるのには厭らしい怖さがありました。それにしても井戸から発見された赤子と藤の木の根元に埋まっていた白骨死体は、過去パートの描写とは辻褄が合いません。過去パートが終わったあと現代パートまでのあいだにいったいどのような出来事が起こったのか想像を掻き立てます。『ゴースト・ストーリー傑作選』に「藤の大樹」の邦題で収録されていました。
 

「夢」アースキン・コールドウェル/高橋まり子訳(The Dream,Erskine Caldwell,1931)★★★☆☆
 ――この六、七年、ハリーから夢の話をずっと聞いている。杜を歩いて橋にたどり着く。砂利道の中央に若い女が立っている。女は十八歳。『何か用?』『ハリーを待ってるの』『ハリーはおれだ』『じゃあ帰る』『一緒に行く。おれはハリーだ』『来ないで』。全速力で走って追いかけても距離は縮まらない。「おれ、女を捜そうと思っている」あるときハリーが言った。

 『タバコ・ロード』の著者による奇譚です。運命の女を探しに行くロード・ノべルのような味わいがありました。
 

「クロウ先生の眼鏡」デイヴィス・グラッブ/宮﨑真紀訳(A Pair of Spectacles,Davis Grubb,1945)★★★☆☆
 ――ビリー・ポッツという行商の眼鏡屋がいた。眼鏡は葬儀屋から調達した。誰かが死ぬと、その人の眼鏡を、時計やらバターやらと引き替えに譲り受ける。ある日、昔からの友人で医者のクロウ先生に声をかけられた。「じつはな、今夜日が沈んだら、わしはたぶん死ぬと思う。わしの眼鏡だ。受け取ってもらいたい」「ああ、先生……」「これはただの眼鏡じゃない。世界はインチキだらけだ。だがこの眼鏡を掛ければ真実がちゃんと見えるんだよ」。好奇心はあったが、自分のような凡夫にはその眼鏡を掛けるのは畏れ多い。そこでビリー・ポッツはコックス牧師に眼鏡を掛けてもらうことにした。

 作者には映画化された『狩人の夜』などの著作があります。ビリー・ポッツには普段と変わらないようにしか見えなかったということは、この眼鏡には真実が見えるというよりも、偏見を取り除く効果があったのでしょうか。
 

「月のさやけき夜」マンリー・ウェイド・ウェルマン紀田順一郎(When it was Moonlight,Manly Wade Wellman,1940)★★☆☆☆
 ――彼は原稿用紙にこう書きだした。「早まった埋葬 エドガー・A・ポオ」。妻に先立たれた男が一週間後の喪明けのさい、墓跡の下からがりがりと音が聞こえたため、人夫を呼んで「死体」を引きずりだした、という事件が一か月前に発生していた。この事件をもっと調査するため、ポオは当事者の自宅を訪れた。「奥さん、早まった埋葬についてうかがいたいと……」「たしかに事実です。夫は埋葬されたんですけれど……」「女の人が埋葬されたとうかがっておりましたが?」「いいえ、夫なんです。お会いになりますか?」「喜んで」。階段を降りる夫人のあとに従ったとき、無意識に扉を閉めてしまった。真っ暗になった途端、夫人が卒倒した。「月の光が――」

 『書物の王国12 吸血鬼』で読んだことがありましたが内容はすっかり忘れていました。ポオが実際の怪奇体験から小説のネタを得たというドタバタ色の強い作品で、図らずもポーがゴーストハンターみたいなことになっていました。
 

「屑拾い」メラニー・テム/圷香織訳(The Pickers,Melanie Tem,2009)★★☆☆☆
 ――ローレンが外に出ると、屑拾いたちがいた。下等な連中に居住空間を冒されているようでゾッとする。事故で死んだ夫のラファエルには、屑拾いたちの戯言が魅力的に思えたらしい。大柄で見苦しい女が話しかけてきた。「おはようございます、バーローさん」「どうしてわたしの――」ゴミを調べれば個人情報なんて見つかるに決まっている。Dと名乗る屑拾いはその日からローレンにつきまとうようになり、幼いリードに乳をあげさえした。

 『ナイトランド・クォータリー』の常連スティーヴ・ラスニック・テムの妻。不安やストレスを抱えた日常に、怪異や悪意という形を取ったさらなる圧力が忍び込むというのは、現代小説の流行の一つであるらしく、わりとよく見かける書き方です。見知らぬどころか不気味に感じている人物の乳を我が子に飲ませるというくらい判断能力が鈍っている状況に恐ろしさを感じます。
 

テクニカラー」ジョン・ランガン/植草昌実訳(Technicolor,John Langan,2009)★★★☆☆
 ――では、一緒に声に出して読んでみよう。「そして闇と腐敗と赤き死がその無際限な支配をすべての上に及ぼした」。では続けよう。七色の続き間についてだ。きみたちのレポートを読んだが、この配色の意味について興味深い考えを示したものがいくつもあった。何? どうしたんだね。この二人は手伝いに来てもらった大学院生だ。仮面をつけているから驚いたのか。本題に戻ろう。一八一〇年パリに現れたプロスペル・ヴォーグレという紳士がいた。ヴォーグレの遺した本には、図像を印刷したページが七つある。

 架空の資料に基づく架空の「赤き死の仮面」講義という発想は、架空の書評集のようで面白いですし、「赤き死の仮面」という作品がその資料に対するポオなりの解釈だというのもまあ面白いのですが、講義自体がポオの試みを再現しようとする試みだったというあたりになると、しつこいうえに尻すぼみに感じられます。
 

小泉八雲『怪談』をめぐって」杉山淳
 『怪談』は散文詩であるという持論を語ったエッセイ。なるほど詩とは暗誦を前提とするものゆえ聴覚を扱った「耳なし芳一」が巻頭にあるというのは説得力があります。
 

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