『紙魚の手帖』vol.2

紙魚の手帖』vol.2(東京創元社

 『ミステリーズ!』改め総合文芸誌として生まれ変わった『紙魚の手帖』の第2号。

「羅馬ジェラートの謎」米澤穂信★★★☆☆
 ――三月のショッピングモールで小佐内さんが謎の存在に気づいたのは、暖房が効いた店内でチョコスプレーがジェラートに沈んだ、その深さからだった。先月、ぼくは小佐内さんに借りを作った。その埋め合わせに何かご希望はないかと尋ねたところ、「なら、ジェラートをごちそうして」。ぼくはジェラートを口に運んだ。「これは、すごいね」。小佐内さんは返事をしなかった。「食べないの?」。小佐内さんは我に返ったように微笑んでひとすくい口に入れた。「おいしい?」「食べやすい」。それはよかった。ところでぼくたちが陣取ったロフトからは、一階のフロアが見渡せる。ぼくはある客の行動が気になっていた。スーツの女性が四人席に一人で座って、ジェラートに手も付けないままだ。

 小市民シリーズ最新作。目次を見て、解説が付いていることを訝ったのですが、読んでみて納得しました。アバーネッティ家の事件ということでした。小鳩くんは推理に夢中になっている一方で、目の前で小佐内さんに起こっていた出来事には気づけませんでしたが、小佐内さんが気づいていたことと小鳩くんの推理がお互い補強し合う形になっているのが理想的でした。その先に悪意とまでは呼べない不誠実(の可能性)が明らかになり、一気に空気は冷え固まります。それにしても、意図せざるとは言え小鳩くん(の推理)が完全に疫病神になってしまっています。直前に小佐内さんから釘を刺されているだけに印象はよくありません。
 

「百円玉」村嶋祝人★★☆☆☆
 ――バイト先の団地に着いた途端、圭介は得体の知れない不安を感じた。「思い出した」小学四年だか五年のころ、この坂道を上っていたとき、女の声がして顔を向けると、D棟の窓の向こうで髪の乱れた女が手招きしている。戸惑っていると、少しずつ女の面相が険しくなって手の動きも大きくなる。女がベランダに出ようとしたので圭介は坂道を駆けのぼった。バイト先はそのD棟の五〇五号室、ゴミ屋敷を片付ける補助だった。休憩中、同じバイトの多田木が新聞紙を差し出した。十三年前、小学生が刃物で刺された事件が載っていた。そうだ、女に声をかけられたのも十三年前だった。それに五〇五号室のトイレにあった足や手すりの跡。もしやあの女が子どもを監禁していたのではないか……。

 第18回ミステリーズ!新人賞優秀賞受賞作。真相と思われるものが本当にただの想像でしかないので、明らかになってもすっきりせずもやもやが残ります。タイトルになっている百円玉の扱われ方にしても、切り傷の跡から容疑者の繃帯に発想を広げるのは飛躍しすぎであまり上手くいっていません。
 

「沈黙のねうち」S・チョウイー・ルウ/勝山海百合訳(Mother Tongues,S. Qiouyi Lu,2018)★★☆☆☆
 ――あなたは発音の試験を終えて、廊下を進む。面談室に入ると、標準アメリカ英語のパンフレットを手に取り、椅子に座る。『話者は多様な話題にたやすく対応できます。音韻?は標準的です』……あなたは急いで「音韻」をスマートフォンの辞書で引く。扉が開いて言語仲買人が入ってきた。「あなたの英語はCグレードです」仲買人はそう言った。あなたの心は沈んだ。Cグレードの英語を売ってもはした金にしかならない。リリアンの将来のためには名門校での優れた教育が必須なのだ。そのためにはお金がいる。「マンダリンを売ることはご検討されましたか? Aグレードなら八十万ドルです」

 話せることも理解できることも格段に減ってしまう――グローバル化が叫ばれ英語が標準語となっている世の中では、英語が第二言語である人間はすでに母語を売っているのと同じ状態を味わい続けているのでしょう。それにしても描き方がストレートすぎて小説的な感興が抑えられているように感じます。
 

「431秒後の殺人」床品美帆★☆☆☆☆
 ――松原京介は一刻も早く妻と離婚したかった。だが沙織は二言目には松原を詰る癖に、いざ離婚の話をすると逃げ腰になった。しかし沙織の不貞が発覚した今、これ以上婚姻関係を続けることは不可能だった。横断歩道を渡り終え、しばらく歩いたところで、頭部にコンクリートブロックが落下し、松原は絶命した。……恩人であるおじさんの死が事故として処理されたことに納得のいかない直行は、祖母から教えられた「六角法衣店」を訪れた。祖母いわく、昔は困り事があると界隈に住む者は六角さんなる占い師に相談を持ちかけたのだそうだ。沙織にも浮気相手の不動産屋にもアリバイがあったが、現場のビルの屋上に残されていた松原のカメラ道具を見た六角は「これは非情な殺人事件だよ」と断言した。

 第16回ミステリーズ!新人賞受賞者による新シリーズ。どう考えても事故としか思えない不可能味あふれる発端は面白そうだったし、占い師という探偵役も偏屈なのはありきたりなれど占いをどう推理に活かすのかという興味はありました。けれど殺害方法を機械トリックに絞り出してから雲行きは怪しくなってきます。狙って落としても難しいであろうものを、機械トリックでやろうとしても無理でしょう。しかも結局はプロバビリティの犯罪の一つだったというのだから、緻密な検証自体がほぼ無意味でしかありません。真相は推理で証拠は占いで、というのが。
 

「天地揺らぐ」戸田義長★★★★☆
 ――「勅額はいかがするのだ!」藤田東湖は制止も聞かず燃えさかる屋敷の中へ飛び込んでいった。その後、東湖の生前の姿を目撃した者はいなかった。東湖を手に掛けた下手人を除いて。……「賑やかな町だな、水戸とは大違いだ」藤田小四郎は曰窓から通りを見下ろし嘆声を上げた。四年前の大地震で被害を被ったとは思えない繁栄ぶりだ。町火消の一団が歩いてくるのが見えた。「四年前、この藩邸が焼けた時も町火消の棟梁が懸命に立ち働いていたそうです」御殿医の息子・穂継が言った。「父の死に立ち会っていた者がおったのか」小四郎は留守居役の豊田藤兵衛にたずねてみた。「な組の竹蔵のことか。お父上の件には仔細があるのだ。田淵の二の舞になりたいのか、詰まらぬ詮索は止めておけ」。翌日小四郎は竹蔵の家を訪ねたが、竹蔵は四年前に辻斬りに遭って亡くなっていた。すると黒幕は政敵の門閥派では――。なおも調べてゆくと、田淵は周りに人のいない状況で転落死したという……。

 安政江戸地震で死亡した藤田東湖の死の真相を息子の藤田小四郎が解き明かす歴史ミステリです。東湖の死自体は母を庇ってということになっているので、謎自体を作りあげるタイプの歴史ミステリということになります。対立する派閥の重要人物の死とあって、陰謀論めいた発想と相性がいいのは間違いありません。二つの死が扱われていますが、どちらも当時の江戸であることを活かしたものになっていました。特に田淵の死は荒技系のトリックが用いられているのですが、江戸風俗を伏線とすることで荒技と感じさせない違和感のないものになっています。東湖の殺害を補強するために勅額という要素を組み込むところに細かいセンスを感じます。
 

「無常商店街」酉島伝法
 

曼珠沙華忌」弥生小夜子★★☆☆☆
 ――曼珠沙華の中で老女が殺されていた。鎖骨から上を残して黒焦げだった。それは八年前、珠楽寺で起こった。まるで恋人の屍を食って鬼になった緋菊という稚児の伝説のような姿だった。住職の善雄は語った。殺された千沙と明尚は双子だった。恋人のように親密な二人が中学三年になった春、寺脇という新任教師がもっともな説教をするという愚を犯した。これに明尚が反発し、寺脇と話をつけると出かけた先で土手から転落死する。千沙の証言により事故とわかったが、寺脇は針の筵だった。やがて寺脇と千沙が心中未遂を起こし、寺脇は死に、千沙は卒業後は愛人として男を転々としたあと故郷に戻ってくる。そして事件が起こった。第一被疑者は隣に住んでいる小説家だった。寺脇の十一歳年下の弟だという。

 第30回鮎川哲也賞優秀賞受賞者。証言者二人がはなから嘘をついているので、事件の真相は何なのかという興味はあり、それは最後まで持続します。ところが謎解き小説的な部分はただ単に二人が嘘をついていましたでおしまいだし、幻想耽美小説的な部分は謎解き部分のせいでまどろっこしくなっているしで、どっちつかずのぼやけた作品になっていました。
 

「乱視読者の読んだり見たり(1)続いている小説と映画」若島正
 コルタサル「続いている公園」「悪魔の涎」と、「悪魔の涎」の映画化『欲望』について。
 

「新世界《ニュー・ワールド》」パトリック・ネス/樋渡正人訳(The New World,Patrick Ness,2009)★★★☆☆
 ――「ほら、見えるでしょ」母さんが言った。「新世界だ」父さんが言って、わたしの肩に手を置いた。わたしは「もう見た」と言って部屋に戻ってドアを閉めた。……両親から上陸班に立候補すると聞かされたときはたしかにわくわくした。でも実際に選ばれてしまうと気が重かった。十三歳の誕生パーティーも出来ないし、卒業式にも出られない。涙がこみあげてくる。美術や数学を教わっているブラッドリーがプレゼントをくれた。「なかを見るのは着陸してからだぞ」。わたしたちの船団が旧世界を発ったとき、先に出発した移住者たちと交信は取れず消息も不明だった。だから、たどり着けなかったんだろうと思っていた。先に出発した入植者がいるなんて、わたしたちには怪談みたいなものだ。惑星軌道に進入すると、画面に明かりのようなものが見える。大気圏に突入する。突然、爆音が鳴り響き、父さんが悲鳴をあげた。エンジンルームに炎が充満し、出入口が封鎖される。「ヴァイオラ、不時着できそうな場所を探して! そのあとで父さんを救い出す!」母さんが声を張り上げる。

 「細菌のせいで女がすべて死に絶えて、生き残った男たちも互いの思考がすべて〝ノイズ〟として聞こえるようになってしまった」惑星〈新世界〉で、最後の子どもであるトッド少年が死に絶えたはずの女の子と出会う、〈混沌の叫び〉シリーズの前日譚、だそうです。シリーズのあらすじはあんまり面白くなさそうなのですが、この前日譚は少女の不安や反抗期による後悔、事故による緊迫感と絶望など、バランスのよい小品でした。
 

ウィッチクラフト≠マレフィキウム」空木春宵★★☆☆☆
 ――来客は〈面影の魔女〉だった。「いらっしゃい。お久しぶりね。ご用件は?」「時が来ました。貴女にお渡しすべき時が来たのです」〈面影〉は片手を差し出した。掌には〈面影〉を〈面影〉たらしめている徴――仮面の刻印がある。……最近になって〈騎士団〉を名乗る連中による魔女狩りが連続していた。

 第2回創元SF短編賞佳作受賞作家。「現代魔女」という発想は面白いものの、SNSとVR技術の普及によるバーチャルな世界や、フェミニズムに落とし込むあたりはありきたりです。
 

「さいはての実るころ」川野芽生★★☆☆☆
 ――男と少女が出会ったとき、彼らは互いのことがまるで理解できなかった。男は彼女に装甲がなくやわらかい生体組織が剝き出しであることに驚いた。少女はといえば彼の膚が緑ではなく褐色で、体から蔓や葉や花が出ていないのが不思議でならなかった。

 幻想小説家・歌人。機械タイプの人間と植物タイプの人間の交流。
 

「刊行告知・旅書簡集 ゆきあってしあさって」高山羽根子・酉島伝法・倉田タカシ絵葉書 架空の土地を巡る旅の書簡集。
 

「犬飼ねこそぎインタビュー 『密室は御手の中』」
 「犯人の用意した偽の証拠ではないか」という疑念をクリアするために「人間による工作の及ばないもの」として地震を採用したという事情からは、なかなか面白そうな気配がします。
 

「新名智インタビュー 『虚魚』」

「辻堂ゆめインタビュー 『トリカゴ』」
 

「追悼・松坂健」小山正・新保博久・白井久明・戸川安宣
 

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