『言葉人形 ジェフリー・フォード短篇傑作選』ジェフリー・フォード/谷垣暁美編訳(東京創元社)★★★★☆

『言葉人形 ジェフリー・フォード短篇傑作選』ジェフリー・フォード/谷垣暁美編訳(東京創元社

 世界幻想文学大賞ほか各賞を受賞しているジェフリー・フォードの日本オリジナル編短篇集。編訳者もあとがきで書いていますが、久しぶりの邦訳作品です。

「創造」(Creation,2002)★★★★★
 ――私が天地創造について教わったのはミセス・グリムからだった。場所は彼女の家の地下室だ。神は世界をつくったあと、アダムとエバをつくった。その命の息吹は、秋の大風さながらに私の想像力の世界を吹き抜けた。アダムがつくられたことについて父にたずねた。「話としてはよくできてる。だが、死んだら誰だって、蛆虫のエサになるんだ」。ときは夏の盛り。校庭の後ろの森で、創造を実行した。粘土はなかったので丸太を胴体にした。翌日、私の人間は姿を消していた。

 幼い日の想像力に満ちた世界と、神様なんて信じない豪放磊落な父親との交流とが描かれています。そんな父親だからこそ、創造を打ち明けた息子に対する対応から愛情が伝わってきます。現実的な話から始まり空想的な話で終わるという編集方針により、自伝的な現実味の濃い作品が巻頭を飾っています。
 

「ファンタジー作家の助手」(The Fantasy Writer's Assistant,2000)★★★★★
 ――わたしはファンタジー作家アシュモリアンの助手をしていた。「文学に興味がなく、アイディアもない執筆助手を求む」。実のところ、わたしは読書家で思索家だったが、大卒資格を持たない十七歳のわたしにできるのはそのくらいだった。彼のファンタジー世界に不整合をもたらさないために、シリーズの過去の冒険を確認するのがわたしの仕事だった。ある日とつぜん、アシュモリアンは書けなくなった。「この原稿を読んで、王国の未来の話を見つけ出してくれないか」

 通俗ヒロイック・ファンタジーの大家と人生につまずいた少女の、書くことについての物語です。思春期の少女が主人公であるに相応しく、かなり甘く(ご都合主義とも思えるような)感動的な結末でした。「一度読んだら、あとはドアストッパーにするぐらいにしか役立たない」通俗ヒロイック・ファンタジーという設定を敢えて選んだからこそ、物語の持つ力が浮き彫りになっています。
 

「〈熱帯〉の一夜」(A Night in the Tropics,2004)★★★★☆
 ――私が生まれて初めて行ったバーは〈熱帯〉だった。そして今もそこにある。私を惹きつけたのは幅十メートル近くもある楽園の風景――壁画だった。帰省した私が〈熱帯〉に行くと、不良のボビー・レニンがバーテンダーを務めていた。私の父が彼をかばって以来、私のことだけは守ってくれたのだ。昔の仲間のことをたずねると、レニンは話を聞かせてくれた。……目の見えない老人が金で出来たチェスの駒を仕舞い込んでいると聞いて、仲間と盗みに入ったという……。

 ぐっと怪奇幻想度が強まります。それでも作中作こそ純然たる怪異譚ですが、外枠には子ども時代や父親との関係などがしみじみとした筆致で描かれていて、読後感自体はこれまでの二作とさして変わらないという、不思議な余韻を残す作品でした。ただの思い出話かと思っていたら突然スプラッタになったので驚きました。
 

「光の巨匠」(A Man of Light,2005)★★★☆☆
 ――ラーチクロフトは故郷の銀行を照らし出し、建物が浮いて見えるようにした。女性たちのための化粧法でも顕著な成果を得た。オーガストはインタビューを申し込んだ。首だけが浮かんでおり、額には緑の宝石がはめこまれていた。「目は受容器に過ぎない。私は限界に気づいてから鬱状態だったが、ある夜、生々しい夢を見た。若く美しい女性教師を殺したのは私だということにされてしまった……」

 ラーチクロフトの話の内容が陰々滅々としていて読んでいて昏い気持になりますが、メビウスの帯のような目眩く構造は鮮やかで目を瞠らされました。
 

「湖底の下で」(Under the Bottom of the Lake,2007)★★★☆☆
 ――湖底の下に、石の龍の口のような洞窟があり、白い茸のかさの上に薔薇色の硝子玉が鎮座していて、その中には一度だけ語られたが誰にも聞かれなかった秘密の物語が渦巻いている。求められるのは発見してくれる誰かである。そのために登場人物を必要とする。ほら、ひとり現れた。少女だ。たぶん十六歳。エミリーは地元の歩道を歩いているのだと、私にはわかっている。

 冒頭で描かれる秘密の物語が喚起するイメージがまぶしいものの、「光の巨匠」でもそうでしたが、いくら素晴らしい物語が書かれたところで理想の物語には勝てないというジレンマがあります。
 

「私の分身の分身は私の分身ではありません」(The Double of My Double Is Not My Double,2011)★★★★☆
 ――数週間前、私はショッピングモールで自分の分身に出くわした。「おれには分身がいるらしい」と彼は言った。「きみ自身が分身なのに、自分の分身をもつなんてことがあるのか?」「そういうこともある。そいつは悪の化身なんだ」。私はリンに分身のことを打ち明けた。「精神科医に診てもらいなさい。頭のおかしな人と老後を共にするなんてまっぴらよ」

 語り手にしか見えないらしいドッペルゲンガーなのに、普通に生活していて、生活が苦しいからドッペルゲンガー同士で共同生活しているように、現実と非現実のあわいが判然としません。医師の処方薬も注意書きを読む限りではでたらめのようですし、最後にはリンまで怪しげな話をし始めますし、もしかすると何もかも現実ではないのかもしれません。
 

「言葉人形」(Word Doll,2015)★★★☆☆
 ――そこには「言葉人形博物館」と書かれていた。……一八〇〇年代の半ばには、農村の子どもたちが収穫に参加しました。子どもにとっては集中して慣れるのが大変な仕事でした。そこで誰かが言葉人形のアイデアを考え出したのです。収穫のときが来ると子どもは人形職人の訪いを受け、その晩から、子どもは自分の想像力の世界で言葉人形を持つのです。人形には名前と職業があり、遊べば遊ぶほど細部を持つようになりました。刈り取り人のマンク。あれがすべての終わりでした。

 イマジナリーフレンドを地方に伝わる伝統習俗として描いた作品で、空想が具現化して現実を侵食し始めるのもパターン通りですが、それが『百年の孤独』のように一つの共同体の終わりまでもたらすスケールを有していました。
 

「理性の夢」(The Dream of Reason,2008)★★★★☆
 ――科学者ペラルはふたるの理論をもっていた。「遠くの星々はダイヤモンドでできている」「物質は光が速度を落としたものにほかならない」。ペラルは実験の被験者にエンチュという若い女を選び、「円」という言葉を唱えては復唱させた。

 科学者の実験によって少女の脳が影響を受けるという点ではマッケン「パンの大神」を思わせます。理性の夢という相矛盾する言葉の組み合わせがしっくりくる、夢見る科学者の見たロマンチックな幻想でした。
 

「夢見る風」(The Dreaming Wind,2007)★★★☆☆
 ――私たちの町リパラも〈風〉による不可解な変化を免れなかった。〈夢見る風〉の名は本質を表している。〈風〉があなたを夢見始めたのだ。舌が裂けたり、ナイフに変わったり、目が焔を放ったり、風車のように回ったり、破裂したり、鏡になったりするのも見た。

 夢見ることが当たり前になってしまった世界で、夢見る風が来なくなって(現実に戻って)しまった人たちが、夢を(あるいは現実を)取り戻す物語。
 

「珊瑚の心臓《コーラル・ハート》」The Coral Heart,2009)★★★★☆
 ――珊瑚の心臓は剣の名であるとともに、持ち主であるイズメット・トーラーの異名である。死の天使で、世界を珊瑚に変えてしまうと噂されていた。レイディー・マルトマスの宮殿に泊まる許可を得たトーラーは、貴婦人から質問を受けた。「その剣で何人殺しましたか?」「いやというほど」「後悔は?」「最初の千人になら」

 剣と魔法の王道ファンタジーか?と思わせておいて、そして実際に剣戟で争いながらも、〈白い果実〉三部作の著者らしい硬質な幻想による結末を迎えます。作中世界の約束事すらも軽々と飛び越えてしまうお伽噺の持つような説得力でした。
 

マンティコアの魔法」(The Manticore Spell,2007)★★★☆☆
 ――魔法使いワトキンに仕えているぼくは、マンティコアの記録を残すよう言われた。犠牲者たちの真っ赤な血が糸を引いていた。「あの怪物が卵を産む心配があります」「森を焼き払うわけにはいかぬ」やがて運ばれて来たマンティコアの亡骸の特徴を、ぼくは書き留めた。

 マンティコアというおぞましい怪物の恐ろしさは、人を殺すことではなく……というところでしょうか。
 

「巨人国」(Giant Land,2004)★★★☆☆
 ――昔、ある巨人が鳥籠に三人の人間を飼っていた。十分にふとったら食べるつもりだ。ふたりの男は巨人を呼んで、女を説得して巨人と結婚するようにしたら、自分たちを自由にするという条件を結んだ。二週間が経った。「妻になってくれるかな?」女は拒否した。

 巨人の鳥籠からの脱出から、夢?なのかどうかもわからないままに現実らしき台所に場面は移り変わり、内容をつかもうとするのを擦り抜けるようにその後も次々と場面は変わってゆきます。
 

「レパラータ宮殿にて」(At Reparata,1999)★★★★☆
 ――ジョゼット王妃の逝去を知ったとき、自分がどこにいたか、誰もが覚えている。大地の叫びのような悲鳴が宮殿から昇ってきた。あの絶望の叫びによって、王妃が死んだのだと悟ったのだ。ジョゼットは孤児だった。それはインゲスが王として社会のはみ出し者から成る宮廷をつくり始めたばかりの頃だった。

 これだけ美しい言葉で嘘っぱちな世界の崩壊を描くというでたらめなことが成り立っている、最初期の作品です。王国自体が虚構なのだから、王を悲しみの淵から救う治療が、正気に戻すことであるというのは至極当然のことなのですが、妄想の世界から現実に帰ってくるのではなく、白い液体や蛾などの幻想世界は存在しているらしいところが一筋縄ではいきません。

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