『幻想と怪奇』10【イギリス怪奇紳士録 英国怪談の二十世紀】

『幻想と怪奇』10【イギリス怪奇紳士録 英国怪談の二十世紀】

「A Map of Nowhere 09:ブラックウッド「柳」のドナウ川」藤原ヨウコウ

「英国怪談・十五人の紳士」

「時計の怪/酒蔵の妖魔」蘆谷重常(『インゴルズビー伝説』より)★★☆☆☆
 ――「時計を御覧なさい。一体何時だと思ってるのです」ダビッド・プライスが戸をたたくと細君のウィニフレッドが噛みつくように怒鳴りつけた。「なに、こん畜生」酔っていたプライスが、薪をとりあげ内儀目がけて投げつけると、内儀はその場に倒れた。妻を殺したには違いないが、情状酌量すべきものがあるというので、極めて軽い刑を課せられて、事は済んだ。何時の間にか懇意になったダヴィス嬢の顔を見たくなり、プライスは夜の山道を辿った。その時怪しい音を聞いてプライスは振り返った。それは時計だった。

 トマス・インゴルズビー(聖職者リチャード・バーラム)がまとめた地元の古俗伝承『インゴルズビー伝説』(1840-1847)の自由訳。
 

「チッペンデールの鏡」E・F・ベンスン/伊東晶子訳(The Chippendale Mirror,E. F. Benson,1915)★★★☆☆
 ――イェイツ夫人がベッド脇の床で喉を掻き切られていた事件は、手がかりが得られないまま半年経ち、家具の一部が売りに出された。それから五か月ほど経ったころ、ぼくは友人のヒュー・グレンジャーを訪ねた。その日の彼はチッペンデールの鏡にご満悦だった。思いもかけぬ店で驚くほど安い値段で手に入れたという。ヒューが飼っているペルシャ猫のサイラスもご満悦らしく、鏡面全体を見渡していた。

 鏡は見ていた、という話ですが、殺され方が不必要に残酷で、そういうところで怖がらせるのは邪道であるとも思います。
 

ポインター氏の日記帳」M・R・ジェイムズ/紀田順一郎
 さすがにこれは定番すぎるので今回は読んでいません。
 

「柳」アルジャーノン・ブラックウッド/田村美佐子訳(The Willow,Algernon Blackwood,1907)★★☆☆☆
 ――僕と相棒のスウェーデン人は、ドナウ川でカヌーの旅を楽しんでいた。その日は風も激しくなりそうだったため、いつもより早めに中洲にキャンプを張った。柳に覆われたその場所では、地面に穴がいくつも開いていたり、パドルが流されたり、何かが聞こえてきたりと、不穏な出来事が起こり始めた……。

 これもアンソロジーピースですが、良さがいまいちわかりません。木の葉が風に吹かれて音を立てる。風の音だと頭ではわかっていてもそこに何かの存在を感じてしまう。そんな日常のなかに潜む疑心暗鬼をいくつも積み重ねて、怪異に仕立て上げたスタイルはたいしたものだと思います。漏斗型の穴というのもまた、魚や蟹についばまれた水死体の状態に、超常的な存在を見出したものでしょう。その正体が、精霊とも古の神々とも違う、生贄を求める「何か」だというのも、今となってはクトゥルーっぽさは否めないものの、雰囲気は感じられます。いかんせん長すぎます。偶然のようなことが起こって怖がる友人と理性的に読み解こうとする語り手という同じことの繰り返しに、盛り上がるというよりもクドさを感じてしまいました。
 

「イギリスの本屋さん」南條竹則
 

「ミセス・イーガンの腕」ウィリアム・F・ハーヴィー/岩田佳代子訳(The Arm of Mrs. Egan,William F. Harvey,1935)★★★☆☆
 ――白状すれば、呪いはあると信じている。ミセス・イーガンはどう考えても魔女だった。ギルバート・レノックスは医学部の入学試験に難なく合格したが、研究者ではなく開業医の道を選んだ。ミセス・イーガンは夫の忘れ形見を溺愛していた。その忘れ形見がひどく吐いたのを、ギルバートは食べ過ぎによる消化不良だと請け合った。だが一向によくならないので別の医者に診せたところ、猩紅熱だったとわかった。息子は亡くなった。葬儀の翌日、ミセス・イーガンはギルバートを呼び出して呪ったのだ。その年の晩秋、銀行の支店長夫人が出産の際に命を落とした。支店長夫人がミセス・イーガンの反対を押し切って診てもらいたいと言った新しい医者というのが、ギルバートだった。それから数ヶ月間、考えられないような誤診に見舞われた。

 ハーヴィーの日本オリジナル短篇集が刊行予定だそうです。腕がどこでからんでくるのかと思っていたら、どこまでも追いかけて絡みつく譬喩としての腕でした。差し違えてでもという執念に、逃れられないその腕の長さ強さを感じます。
 

「中古車」H・ラッセル・ウェイクフィールド野村芳夫(Used Car,H. Russell Wakefield,1932)★★★☆☆
 ――事務弁護士事務所の所長を務めるアーサー・カニング氏は、十九歳になる娘のアンジェラと妻のジェーンに言われて、新しく車を買いに出かけた。新車を買えないわけではないが、彼が求めていたのは中古車だった。カニング氏はとある店先にあったハイウェイ・ストレート・エイトに目を留め、運転手のトンクスに運ばせた。後部座席の背凭れにある黒っぽい染みは、ごしごし拭いても取れなかった。いつもなら乗せてもらうのを大喜びする愛犬のジャンボが、今回はお義理でしっぽを振ったにすぎなかった。数日後、二十マイルほど離れたタルボット家から母子で帰る途中、アンジェラが急に声をあげた。「やめてよ、お母さま。なんでそんなことするの?」「わたしがなにしたっていうの?」「喉に手をかけたじゃないの!」

 ピーター・ヘイニング編『死のドライブ』より再録。車に限らず中古のものには常に伴う恐れです。
 

「壁の中の蜂蜜」オリヴァー・オニオンズ/圷香織訳(The Honey in the Wall,Oliver Onions,1924)★★★★☆
 ――崩れかけた壁の中から重量二十ポンドを超える蜂蜜が見つかった。かつて修道院だった邸宅の客たちが、見にくるようにとジェルヴェーズに手を振るが、彼女の方は彼らを見下ろしたまま、ここまで追い詰められながらこの家は客など呼べる立場なのかしらと思うのだった。表面的には贅沢に見えるが、価値のある絵をお金に換えた結果、数枚の絵と、あとは作者不明の絵が一枚あるばかり。レディ・ジェーンの全身像だ。母親はいつもジグソーパズルをしていた。いつか屋敷は終わりを迎えるだろう。だがそんな心配も、フレディ・ランピーターを思うと頭から消え失せた。フレディは蝶のような男だ。次から次へと別の娘と噂になる。ジェルヴェーズにしても、自制心がなければやはり彼に色目を使っていただろう。だがやすやすと屈するつもりはなかった。ジェルヴェーズが応接室に入ると、金鳳花のような髪色をしたパメラが一座の中心になって笑っていた。「ねえ、今夜はみんなで仮装をしましょうよ」。ジェルヴェーズは疲れ果てていた。

 中篇。幽霊の出現を描かないゴースト・ストーリーという触れ込みですが、孤独で不幸な女が生き方を変えることもできないまま、まるで亡霊のように彷徨います。行動を起こそうとしたときには、時すでに遅いのでした。
 

「イギリスホラーを観る時はコナン・ドイルであれ」斜線堂有紀
 

「灰色の家」ベイジル・コッパー/三浦玲子訳(The Grey House,Basil Copper,1967)★★★★☆
 ――灰色の家《グレイ・ハウス》と名づけたその家は、日中の明るい雰囲気とは正反対の、冷たく荒廃した空気をたたえているようにアンジェルには感じられた。夫のフィリップは探偵小説と怪奇小説の作家で、インスピレーションを与えてくれそうなこの家に有頂天だった。修繕が必要だったが、驚くほど格安だった。ところが工事が始まると、職人が電気を引くまで作業をしたくないと言い出した。アンジェルには職人たちの気持ちがわかったが、フィリップは元の持ち主だったド・メニヴァル家のがらくたに夢中だった。だが知り合いの聖職者ジョフロワは、そうしたもののひとつである鞭を見るなり、顔色を変えた。ジョフロワは詳しくは話さなかったが、おぞましい所業の証拠だという。その午後、アンジェルは奇妙な体験をした。バルコニーにいるとき、黒い影が果樹園の木から抜け出てべつの木の後ろに消えるのが感覚でわかった。それが消えた直後、鞭を振るうような音が聞こえた。修繕が進むと、大広間の壁の漆喰の下から一幅の絵が現れた。昔風の服を着込んだ老人が、裸の娘を茂みの中に引きずり込もうとしている絵だった。

 本書のなかでは知名度は低めですが、怪奇系の雑誌やアンソロジーにはちょこちょこ訳されていて、わたしも何作か読んだことがあります。新しく引っ越した家に過去の因縁があるという点ではオーソドックスではありますし、鈍感な夫と繊細な妻という取り合わせもよくあるものですが、消えない悪臭といったおぞましさや見え隠れする猫のような影や嗜虐趣味の一族の存在といった様々な仄めかしには、古くささを感じさせない魅力がありました。しかも表向きは古典的な幽霊屋敷ものの結構を採っておきながら、オカルトめいた恐怖に着地させるバランスも面白いところです。
 

著作権消滅」ラムジー・キャンベル/安原和見訳(Out of Copyright,Ramsey Campbell,1980)★★☆☆☆
 ――サーンは買いたたいた本の詰まった段ボールを地下室へ運んだ。選り分ける手が止まった。ダミアン・デイモン『あの世からの物語集』、伝説の一冊だ。この本に収録されている「ディアヴォロの取り立て」を、いまサーンが編んでいるアンソロジーに入れれば完璧だ。引っかかるのは「じつのところ(indeed)」が「しのところ(undeed)」と誤植されていることだ。面白いことにこの誤植は「不死(undead)」に通じる。残りの文章をチェックして、秘書にタイプしなおすよう頼んだ。秘書が帰ったあと、サーンはタイプ原稿を読んだ。一か所スペルが直してあるだけだ。にもかかわらず落ち着かない。廊下で音がしたような気がする。埃のにおいがひどい。

 弁護士とのやり取りや著作権に関することがあまり活かされていませんし、怪異も唐突すぎでした。
 

「眺望」ロバート・エイクマン/植草昌実訳(The View,Robert Aickman,1951)★★★★☆
 ――健康上の理由で休暇を勧められたカーファクスは、アイリッシュ海の島へ渡る船上で、ヴォルテールの英訳を読んでいた女と知り合った。「ご体調がよろしくないのでしたなら、ホテルではなく〈入江荘〉にいらっしゃるのがよろしいかと」。カーファクスは混乱しながらも、その申し出を受け入れた。「ところで、お名前は?」「三つの名がありますが、ありきたりすぎますから、お聞かせしたくはありません。だから、書いてお見せします」「エアリエルと呼ばせてもらうよ」制服姿の女性の運転で山道を登っていったが、煙をあげる煙突は一本も見えない。「島に住人はいない?」「中心街にいるのは旅行者だけ。この島はもともと雁のものだったの。でも人間が来て、いなくなってしまった」。入江荘は広く素晴らしい屋敷だったが、滞在する最上階は部屋と廊下の配置が複雑で、絨毯の模様には奇妙なことに繰り返しというものがなかった。カーファクスはエアリエルの立ち居に見とれていた。だから大柄でいかつい男の影が窓の向こうを通り過ぎていっても、意識をかすめただけだった。滞在しているうちに、カーファクスはふと窓の外を見て恐怖を覚えた。窓の外の景色が一変していたのだ。

 一種の竜宮城や隠れ里もののようではありますが、それにしては不気味で不穏な空気が漂います。こうしたパターンの場合、不気味に感じていたものの方が実は現実であったということも多いのですが、他のエイクマン作品同様、実際に何が起こっていたのかは不明瞭なままです。「島の神々の一柱」が登場する一方で、本来の「ありきたり」の名ではない妖精の名前をカーファクスから与えられたエアリエルはつまり人間なのでしょう。だから竜宮城の乙姫というよりは『銀河鉄道999』のメーテルのような存在であったとは言えそうです。
 

 後記によると、『時のきざはし』の続編『宇宙の果ての本屋 現代中華SF傑作選2』が今夏刊行予定とのこと。

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