『さむけ』ロス・マクドナルド/小笠原豊樹訳(ハヤカワ・ミステリ文庫)★★★☆☆

『さむけ』ロス・マクドナルド小笠原豊樹訳(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 『The Chill』Ross Macdonald,1964年。

 裁判所に証人として出廷したアーチャーは、傍聴席にいたアレックスという青年から声をかけられる。結婚したばかりの妻ドリーが結婚初日に姿を消してしまった。その直前には髭面の男が訪ねて来たという。髭面の男がドリーと十年以上会っていない訳ありの父親トマス・マギーであり、ドリーが地元の名士ブラッドショー家でアルバイトをしながら大学に通っていることまではあっさり突き止めることが出来た。だが真意を質したアーチャーに対し、ドリーは「あのひとを傷つけたくないの」と答えるのみだった。やがて事件は起こった。ドリーの主任教授ヘレン・ハガディが銃で殺され、現場にいたドリーは錯乱して「みんなわたしのせい」とうわごとをつぶやいた。

 ヘレンがかつて目撃したという父親アール・ホフマンの知人の暴発「事故」、トマス・マギーが妻を殺したという幼い頃のドリーの証言、過去二つの事件が今回のヘレン殺害事件に関わっていると睨んだアーチャーは、関係者たちを訪ねて回ることにした。

 結婚初日の妻が姿を消したのはなぜか――。シンプルながら魅力的な謎からトントン拍子に事件が動いてゆく前半は、かなり読みやすく気負わず読めます。

 アレックスという青年がヒステリックで情緒不安定な困ったちゃんで、アーチャーも持て余しているのが可笑しかったです。大学の補導部長や主任教授が揃っていい女なのも、ハードボイルドの定石という感じで、微笑ましさすら感じました。

 そんな雰囲気が変わるのは、やはり事件が起こってからでしょう。依頼を通した第三者ではなくさっきまでアーチャーと軽口を叩き合っていた人物が殺されるというのも衝撃でしたが、事件そのもの以上にドリーの精神錯乱に不穏なものを感じずにはいられません。それはミステリの不穏とは違う、サイコ・ホラーのような不穏さかもしれませんが。

 捜査を通してアーチャーは二人の女帝に出くわします。一人はミセス・ブラッドショー。ドリーの雇い主であり、ドリーの通う大学補導部長ロイ・ブラッドショーの母親です。その資産の力によって息子ロイを支配しており(或いはしようとしており)、それでいながらロイと対立すると駄々っ子のような強引さで我を通そうとするなど、この人にも精神的に不安定な様子が垣間見えます。

 もう一人はミセス・デロニー。ヘレンが目撃したという銃暴発事故の被害者ルーク・デロニーの元妻です。田舎町を支配している、いわば地元の上級国民であり、アーチャーは戦いの土俵に上がることすら出来ずにあしらわれます。だからクライマックス付近、「あなたはこの町へ来るというミスをやった。ここはあなたの町じゃありませんよ」というアーチャーの台詞にはしびれました。

 ほかにもドリーの伯母アリス・ジェンクスは典型的なあるあるおばさんで、こういう理屈の通じない人はリアルにいますね。。。

 噓をつき娘と絶縁したまま復縁叶わず後悔してもしきれないヘレンの父親も印象深い人物でした。娘との信頼関係よりも権力者の命令を選んでしまった元警官が、酒に溺れて自分を傷つけ過去も現在もごっちゃになって何もかもむちゃくちゃになっているのは、見るに忍びありません。

 事件に謎めいたところがあったのは、事件そのものが複雑というよりも、影響力の強い人間が噓をついたり噓を強要したりした結果であるきらいがありました。

 結局のところは【ネタバレ*1】というだけの話です。そこに【ネタバレ*2】などが絡んで来たため、巡り巡って結婚初日にドリーが姿を消すという巻頭の事件が起こったということのようです。ヘレンはともかく、ドリーは完全な被害者ですよね。【ネタバレ*3】とはいえ。糞みたいな姉妹と夫婦のせいで不幸になった人が多すぎました。

 それにしても、唐突に明らかにされたレティシャの正体には違和感を拭えません。まるで本格ミステリのような【ネタバレ*4】は、あまりにも作品世界から逸脱しており、衝撃もへったくれもありません。アーチャーの最後の一言、「あげるものはもうなんにもないのだよ、レティシャ」には、そんな憐れみと滑稽みが凝縮されていると見るべきでしょうか。

 実直そうな青年アレックスは、茫然自失の状態だった。新婚旅行の初日に新妻のドリーが失踪したというのだ。アーチャーは見るに見かねて調査を開始した。ほどなくドリーの居所はつかめたが、彼女は夫の許へ帰るつもりはないという。数日後アレックスを訪ねたアーチャーが見たものは、裂けたブラウスを身にまとい、血まみれの両手を振りかざし狂乱するドリーの姿だった……ハードボイルドの新境地をひらいた巨匠畢生の大作(カバーあらすじ)

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*1 嫉妬深いあねさん女房(レティシャ・マクレディ)が殺したのを、姉(ミセス・デロニー)や夫(ロイ・ブロードショー)が自分たちの地位や名誉のために庇い続けた

*2 ヘレンがロイ・ブロードショーを脅迫していたことや、妹婿を嫌っていたアリスが姪のドリーに噓の証言を強要させたこと

*3 伯母に脅迫されて偽証した

*4 人物なりすまし(ロイの妻レティシャはロイの母ミセス・ブロードショーとして生活していた)

*5 

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