夫婦作家である二人がお互いに薦めた本を読んでその本についてのエッセイを書く読書リレーです。
てっきり読書感想文や書評による往復書簡なのかと思っていたのですが、のっけから二人とも課題図書についてはほとんど書かず本当にただのエッセイなのには笑いました。しかも田辺青蛙に至っては、薦められたテリー・ビッスン「熊が火を発見する」について、「多くの感想を語ってもこの短編の持つ独特の味わいを他人に伝えるのは難しそうだと感じたので、この話に興味を持った人は本を手に入れて読んでみてもらいたい」と、感想や書評を放棄する始末です。円城塔はまだ『羆嵐』を薦められて熊がテーマのエッセイを書いているのですが、田辺青蛙のエッセイは本とはまったく無関係です。
成立するのかなこの企画は……と、他人事ながら不安になってしまいます。
北海道人である夫からすると、大阪というのは異世界であるらしく、「僕が一番関西、というか大阪を感じるのは、サンフランシスコ周辺だったりします」「実は、世界のほとんどは大阪的なものでできていて、日本の大阪はその中でもわりと正気な方なのでは、と睨んでいます」という考察は、ふざけたなかにも真実を突いていると思いました。
スティーヴン・キング『クージョ』では比較的まっとうに書評を書いています。
連載時のタイトル「Yome Yome」が単行本で『読書で離婚を考えた。』になったのは、本文中にもあるとおり連載を続けるごとに夫婦仲が悪くなってゆくことに由来するのですが、実際よく結婚したなあと思うほど田辺青蛙がだらしなくていい加減で苛々してきます。またさして意味があるとも思えない田辺青蛙の思いつきと思しき放言に、円城塔がいちいち律儀に返答するから余計にこじれるんですよね。。。わたしの場合は田辺青蛙に対し苛立ちを感じましたが、人によっては円城塔に苛立つのでしょう。
道産子の円城塔が沖縄の小説を読んで、北海道や沖縄は「描写で小説を書けてしまうなあ」というのは至言でした。『恐怖新聞』のシステムを科学的に考察するのも、大真面目な顔のギャグみたいで面白い。
それに引き替え田辺青蛙は……。折り紙に興味がないならないで、ぐだぐだ引き延ばしを書かないで、せめてエッセイとして成立させて下さい。珍しくちゃんと須賀敦子「白い方丈」について書いていても、どういう話で評者がどう思っているのかがすごくわかりづらい。お金を貰って文章を書いているという自覚があるのでしょうか。
『夜中に犬に怒った奇妙な事件』に対する二人の感想(感覚)の違いでもわかる通り、二人とも極端なのだと思います。
結局のところ夫婦の理解は深まらなかったようです。
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