『ピーター卿の事件簿』ドロシー・L・セイヤーズ/宇野利泰訳(創元推理文庫)★★★☆☆

『ピーター卿の事件簿』ドロシー・L・セイヤーズ/宇野利泰訳(創元推理文庫

 『The Casebook of Lord Peter』Dorothy L. Sayers,1979/2017年。

 日本オリジナル編のピーター卿短篇集です。
 

「鏡の映像」(The Image in the Mirror,1933)★★☆☆☆
 ――ピーター卿がバーで出会った小柄な男は、爆発によって身体が胸像のように反転してしまったと話した。見覚えのない娼婦や兵士から話しかけられ、ついには身に覚えのない殺人の容疑までかけられてしまう。

 生き別れになったミラー・ツインや臓器反転症といった要素がうまく活かされているとは言いがたく、せいぜいドア・ガラスの向こうの片割れを鏡に映った自分だと勘違いしたという場面くらいでしょうか。それも理髪店のガラス・ドアと喫茶店の鏡張りドアを取り違えて記憶していたために不可能興味が生まれるというのでは、あんまりです。第二短篇集の巻頭に収録され、セイヤーズ編のアンソロジーにも自選していることから、著者自身の評価は高いことが窺えます。トリッキーな仕掛けが好きなセイヤーズらしいと言えるでしょうか。
 

「ピーター・ウィムジイ卿の奇怪な失踪」(The Incredible Elopement of Lord Peter,1933)★★☆☆☆
 ――バスクを訪れた民族学の権威ラングレーは、知人のアメリカ人医師ウェザーオール夫妻が滞在していることを知った。だがかつて美しかった妻のアリスは見る影もなく、口はだらしなくひらいてよだれを垂らし、頭髪は抜け落ち、人間の声ではない異様な音を発していた。ラングレーはパリ行きの列車で出会ったピーター卿に顛末を話した。十一月半ば、村に魔法使が住み着いた。

 何が起こっているのかわからないホワットダニットの形式は魅力的でしたが、真相があまりに現実的で意外性に欠けます。とはいえ毒を与えるのではなく薬を与えないという逆転の発想による復讐方法は医者らしいものでした。
 

「盗まれた胃袋」(The Piscatorial Farce of the Stolen Stomach,1928)★★☆☆☆
 ――トマス・マクファーソンの大伯父ジョゼフは九十五まで生きてから身を投げた。強い消化力こそ人類の貴重な財産だという考えの持ち主だったジョゼフ大伯父の遺産は、食道から肛門までの消化器官だった。ピーター卿がジョゼフ大伯父の遺言を調べていると、トマスのいとこロバート・ファーガソンと出くわした。

 ホームズ譚にも「青い紅玉」というのも既にありますし、さすがに胃袋だけをそのまんまを出されてはネタに気づくなという方が無理でしょう。その点、島田荘司は上手いのだなあと変なところで感心してしまいました。
 

「完全アリバイ」(Absolutely Elsewhere,1934)★★★☆☆
 ――金貸しのグリムボールドが刺されて死んだ。容疑者は四人。遺産を相続する甥の二人と愛人は三人とも遠くにいた。返済の延長を頼みに来ていたペイン氏の服には血が付いていたが、発見者の執事ともみ合ったときに付いたようだ。

 当時だからこそ成立するアリバイというか、そもそもアリバイとして成り立っているのかという気もしますが、当時のことがわからないだけに、そういうものかと納得させたもの勝ちではあります。この作品のアリバイ崩しの場面や「奇怪な失踪」の悪ノリなど、ピーター卿のお茶目な面が見られます。
 

「銅の指を持つ男の悲惨な話」(The Abominable History of the Man with Copper Fingers,1928)★★★★☆
 ――その夜のエゴティスト・クラブの話題は、各自の異様な経験談であった。映画俳優ヴァーデンは七年前ニューヨークでロウダーという彫刻家と出会っていた。愛人でモデルのマリアほどの美人は見たことがなかった。唯一の欠点は左足の第二指が短いことだが、彫像では修正してあった。それからすぐにヴァーデンは従軍し、戦後ロウダーと再会したときには、マリアはロウダーを捨てて出ていったあとだった。その夜ヴァーデンは喫煙室で居眠りしてしまい、気づくと目の前に若い男が立っていた。

 ヴァーデンの体験談の前に語られる、各自が語った短いエピソードが都市怪談風でどれも味わいがあります。この作品もネタ自体はバレバレなのですが、事件が解明されたあとでさらに別の怪異が語られるところに特徴がありました。タイトルの由来になっている銅の指のエピソードは、ミステリとしては不要なものなのですが、怪談で始まり怪談で終わるという奇妙な話としては絶対に必要な異様きわまるものでした。
 

「幽霊に憑かれた巡査」(The Haunted Policeman,1938)★★★☆☆
 ――子どもが産まれて気分が高揚していたピーター卿は、産院からの帰り道、覚束ない足取りの巡査と出会った。上司に酔っ払っていると非難されてしょげていたのだ。その夜、「助けて」という叫びを聞いて十三番地の家の郵便受けから中を覗くと、ホールに男の死体が横たわっていた。怪しい男を追っていったん現場を離れ、応援を呼んで現場に戻ろうとしたが見つからない。そもそもその横丁に十三番地などないのだった。

 いきなり時代が飛んで、なんとピーター卿とハリエットの子どもが産まれた瞬間が舞台です。シリーズのファンには嬉しい設定ですし、子どもが産まれてピーター卿の意識が変わるのもほっこりします。真相はジョークネタにしても強引すぎて、もう少し説得力のある理由にできなかったのかと思ってしまいます。
 

「不和の種、小さな村のメロドラマ」(The Undignified Melodrama of the Bone of Contention,1928)★★★★☆
 ――アメリカで死んだバードック老人の遺体が送り届けられ、葬儀がおこなわれることになった。長男のマーティンは駆け落ちしたきり行方が知れない。次男のハヴィランドは報せを聞いてさすがにとんで帰ってきた。嫌われ者の老人だったので村人は参列しないだろうが、新任のハンコック牧師はそういう人にこそ祈りが必要だと言って八人がかりで徹夜祈禱をおこなうことになっていた。……という話を、治安判事のフロビッシャー・ピム氏がピーター卿に語った。そして首のない馬と首のない御者が駆る四頭立ての馬車が目撃され、徹夜祈禱者が襲われる事件が起こる。

 中篇。怪談ありゴシップありと贅沢な一篇です。その目的【※ネタバレ*1】のために幽霊馬車は本当に必要だったのかと思わないでもありませんが、村人だけではなくピーター卿までが馬車を目撃して素面か疑うという場面もあるサービス精神には脱帽です。本来秘されるべき遺言がみんなにバレてしまっているという、法律よりも人間関係が優先される田舎特有の感じにしても、そもそものその遺言があまりにも陰険で悪意に満ちた内容であることにしても、メロドラマと名づけられるに相応しい通俗ゴシップがたっぷり楽しめました。

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 *1遺体盗み

 

 


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