『Anne of Windy Willows』L. M. Montgmery,1936年。
村岡花子訳では『アンの幸福』のタイトルで知られたアン・シリーズの第4作ですが、書かれたのは『炉辺荘のリラ(アンの娘リラ)』よりあとの晩年の作品になります。
プリンス・エドワード島サマーサイド高等学校の校長となった婚約中のアンが、そこで経験したさなざまなエピソードを、島の反対側にあるキングスポートのギルバート宛てに綴った手紙が中心となっています。
のっけからペンの書き味を手紙の言い訳にするところに往年のアンらしさが感じられて微笑ましくなりました。ペンの書き味がよかったために恋文を綴った箇所が削除されているのも可笑しかったです。編集したのはアンから原稿を預かったモンゴメリということなのか、どういう設定になっているのかはよくわかりませんでしたが。
それが第5章になって突然ふつうの三人称になり、と思えばまた書簡体に戻ったりと、意図を図りかねたのですが、訳者あとがきを読むと、三人称の部分はそれまでに雑誌に発表していたシリーズ外の短篇小説を組み込んだものだそうです。そう思うとなるほど町の人々の肉付けだと解釈していたそれらエピソードもその章だけで完結していて、その章で描かれた中心人物が別の章で活躍するということもありませんでした。
サマーサイドは島では第二の都市ということですが、それでも田舎には違いないようで、プリングルという一族が影響力を持っており、一族の者を差し置いて校長になった新参者のアンに嫌がらせをするのですが、これが実に陰険でみみっちく、読んでいて地味に苛立たしいのがやけにリアルでした。
ほかにも同僚のキャサリン・ブルックや、娘の結婚に反対するフランクリン・ウェスコットなど当初の誤解が解けて関係を築けるエピソードもあれば、愚痴と嫌味ばかりのギブソン夫人や悪童のジェラルドとジェラルディーン兄妹などただの困った人たちで終わるエピソードもあり、既に成人して学校長という一廉の地位を得ているだけに成長物語の側面は影をひそめ、ただのエピソードの羅列になっているのは否めません。もっともこれには、既発表短篇を組み込んだという構成上の理由もあるのでしょう。
何より残念なのは、二度もアヴォンリーに帰省しながらも、一度目は同僚キャサリンとの関係構築に費やされ、二度目は隣家の少女エリザベスとのさらっとした交流に充てられており、せっかくのマリラたちのことがほとんど語られていないことです。飽くまで風柳荘のアンに焦点を絞った結果だろうとはいえ、まるでアンがマリラたちを無視しているようでいささか不自然でした。
とは言え、マリラの許を離れて暮らすアンがやっかいになる家を切り盛りするのがレベッカ・デューという中年女性なのですが、これがまた口が悪くてダスティ・ミラーという猫を毛嫌いしている個性的な女性で、見事にマリラの抜けた穴を埋めてくれていました。
二年目第8章に登場する、いとこのアーネスティーンもなかなかのおばさんキャラで、「ジーンの前の亭主のフレッド・ヤングは、死んだことになってるが、ひょっこり生きて現われんじゃないか、心配してんだよ。あれは信用のならない男だったからね」という死者評が可笑しかったです。信用の問題なのかあ。
終盤になって唐突に古い一族トムギャロン家の生き残りに招かれ、一族の死に様を一方的に語られるのですが、この章だけはまた趣ががらりと変わってゴシック小説のようでした。
寄せ集めの感が強い作品でしたが、個々のエピソード自体は楽しく読めました。
アン22歳、プリンス・エドワード島の港町で校長となり、風柳荘《ウィンディ・ウィローズ》に下宿する。アンに敵対する一族、冷淡な副校長、隣家の孤独な少女に心痛めるも、アンの明るさと誠実さ、グリーン・ゲイブルズの美しさと住む人々の愛が幸せな明日へ導く。アンから婚約者ギルバートへの恋文で綴る日本初の全文訳・訳註付アン・シリーズ第4巻。(カバーあらすじ)
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