『雪旅籠』戸田義長(創元推理文庫)★★★☆☆

『雪旅籠』戸田義長(創元推理文庫

 『The Casebook of Detective Toda Sozaemon vol.2』2020年。

 鮎川賞候補作『恋牡丹』の姉妹編。前作のその後の物語ではなく、前作各話の間を埋める八篇の作品集ということで、続編ではなく姉妹編ということのようです。各作品の時系列については著者後書きで説明されています。作品数が多くなったため相対的に各話の長さは短くなっており、前作のような滋味深さは薄れてしまっていました。とはいえ後書きで著者自身「不可能犯罪」云々とか「本格ミステリ創元推理文庫フリーク」云々と書いていることから、敢えて狙ってトリッキーな作品集にしていることは窺えます。となると八篇という数字も『八点鐘』あたりを意識しているのでは?と勘繰ってしまいました。
 

「埋み火」★★☆☆☆
 ――戸田惣左衛門はつい二月ほど前から始めた盆栽に病みつきになっていた。せっかくの非番とて来客も追い返そうとしたが、昨年母を亡くした豊吉の娘おさとだと知り、話を聞く気になった。聞けば豊吉が毎夜のように出かけるため、不審に思って後をつけてみたという。筋違御門といえば夜鷹が出没する名所である。どう説明したものかと惣左衛門が思案していると、おさとはさらに告げた。豊吉は「おしまお嬢さん」「おしげさん」と繰り返し寝言を言うようになったという。おしげとは二十日ほど前に豊吉を襲った気の触れた夜鷹の名前だった。

 妻に愛情を抱いたことのなかった惣左衛門が、異なる形の愛情に触れるという内容になっていました。豊吉が襲われた理由が半纏にあるのは、見え見えとはいえ納得できるのでよいでしょう。問題は豊吉がおしげを庇った理由です。【ネタバレ*1】という逆説と、【ネタバレ*2】という動機の一つは、さすがに理屈先行で頭でっかちな到底納得しがたいものでした。まだこの話の段階では愛情というものを理解できない惣左衛門が、それでも口では「お主の心持ちは分からぬでもない」と声をかけるのも、読者にさえも理解できないのでは空々しいにもほどがありました。
 

「逃げ水」★★☆☆☆
 ――同じく牡丹の栽培を好む者同士、親しくしていた今村右馬助の姉・美輪が奉行所に惣左衛門を訪ねて来た。井伊直弼が襲撃された際、身を挺して主君を守ろうとして自身も重傷を負った右馬助だったが、意識を取り戻したとき、駆けつけた目付から言われたのは、「殿を短銃で撃ったのはお主だな」という予想だにしていないものだった。駕籠の引き戸の内側に直弼の血が飛び散っていることから、直弼は引き戸が閉まった状態で撃たれたと推測できる。一番そばにいた右馬助が三、四寸だけ引き戸を開けて手首を入れて直弼を撃ったとしか考えられない状況だった。

 桜田門外の変を舞台にした一種の不可能犯罪ものですが、それにしてはトリックがお粗末です。正確に言えばトリックですらなくただの偶然であり、その効果があまり上手くいっていませんでした。真相に気づくきっかけと、朴念仁の惣左衛門が後添えをもらおうと奮闘する手管が、どちらも歌舞伎に由来【※ネタバレ*3】していますが、有機的に結びついているわけでもなく不満が残ります。慣れないことをして失敗する惣左衛門に可笑しみを感じました。
 

神隠し」(2018)★★★☆☆
 ――越前屋の主人・新右衛門が神隠しにあった。芝居道楽の先代が舞台を作り、年中行事に合わせて素人歌舞伎を催すようになっていた。越前屋では何事も主人が率先垂範するのが家訓となっていたため、新右衛門が一人で舞台の片付けをしていたが、ふと見るとその新右衛門の姿がどこにも見えない。内儀のお佐代が慌てて店の者と探したが、どこにも新右衛門の姿はなかった。婿養子の生活に嫌気がさした新右衛門が自ら出奔したのではないかと惣左衛門は考えたが……。

 この作品のみ書き下ろしではなく、『恋牡丹』刊行時にWebミステリーズに掲載されたものをもとに、「埋み火」のおさとの奉公先として辻褄の合うように加筆されています。神隠しのトリックは「困難は分割せよ」の基本中の基本なのですが、その第一段階が計画されたものではなく、尻に敷かれている主人の境遇ゆえの偶然【※ネタバレ*4】だというところが失踪の動機とも共通しており、完成度の高さを感じます。「願い笹」の前日譚となっています。※Webミステリーズ掲載作品読了時の感想は(→こちら)。
 

「島抜け」★★☆☆☆
 ――隠居して橋場に住むことを決めた惣左衛門は生駒屋の寮に挨拶に訪れると、寮の主・徳右衛門に請われるまま、隠居を決断することになった事件のことを語り始めた。夜盗の一味が島抜けして江戸に潜伏しているという情報を得た惣左衛門が出会茶屋を見張っていると、情報通りおもんが窓辺に顔を出し、またゆっくりと障子を閉めた。さらに一刻あまり見張っていると、大店の主人らしき太鼓腹の男が駕籠に乗り込んだ。駕籠と地面の隙間から赤い鼻緒と黄色い裾が見える。駕籠の陰に隠れて脱出するつもりなのだ。後をつけると、一味の頭目・巳之助の潜伏先に入ってゆく。悲鳴を聞いて惣左衛門が駆けつけると、血塗れ巳之助が倒れており、おもんの姿は消えていた。

 密室からの消失ものです。手垢の付いたトリックのどこに新味を求めるかというと、なるほど【ネタバレ*5】にいっぷう変わった工夫が凝らされていました。【ネタバレ*6】を用いるのには先例があったかとは思いますが、【ネタバレ*7】に紛れさせるために黒く塗るというのは涙ぐましい。失敗する可能性の高そうな綱渡りなうえに、動機も【ネタバレ*8】という負け惜しみみたいなものであり、一味が意外と小物臭いのが残念です。「恋牡丹」の前日譚となっていました。
 

「出養生」★★☆☆☆
 ――遊女が病気になって妓楼での勤めが難しくなった時、廓外の寮に移って療養することを、出養生といった。足の骨にひびの入ったお糸を見舞いに惣左衛門が桜屋の寮を訪れると、見るからに高禄の武士二人が隣家を見張っていた。隣家では無理心中未遂の被害者である花魁の浮舟が養生しており、浮舟に執心している旗本の息子・篤之丞が、また誰ぞが無理心中を企てるのを警戒しているのだという。果たして隣家から悲鳴があがり、血塗れの部屋からは浮舟が姿を消していた。だが見張っていた篤之丞は、出て来た者はいないという。目の前に足跡があるというのに。

 前作のほとんどで探偵役を務めたお糸がようやく登場しました。「見えない人」トリック自体が現実的ではないので、やはりこの作品も納得できるとは言いがたいものになっています。当時ならではの「見えない人」が採用され、身分制度という「見えない」フィルターが施され、身分制度が新時代の歩兵制と対比されているというように、うまく作品世界と合致したアレンジが為されてはいるのですが。本家「透明人間(見えない人)」では、目撃者は殺人事件の起こったことを知らないからこそ、「見えない」ことにもぎりぎりで納得できるようになっていることに留意が必要です。
 

「雪旅籠」★★☆☆☆
 ――清之介は大変な苦境に陥っていた。仕事に向かう途中に清之介は、かつて襲われているところを助けた道具屋に再会した。病で痩せて名前も兼八と改めたという。立ち去ってゆく兼八の後をつける男女に気づいた清之介は自分も後を追い、亀屋という旅籠にたどり着いた。雪が積もったこともあり、清之介も旅籠に泊まることにした。翌朝、なかなか起きてこない兼八の部屋の襖を開けると、兼八は胸を刺されて死んでいた。夜四つごろ、「畜生っ!」という兼八の叫び声がして、壺の割れる音がしていたので、犯行はそのころだと考えられた。すでにやんでいた雪の上には旅籠の主人の足跡しかない。状況から考えれば犯人は清之介になってしまう。

 雪密室です。お糸が【ネタバレ*9】に気づくきっかけ自体は過去の襲撃時の傷から論理的に導き出されているのですが、そうした実例があると知っている理由が、遊女時代の客にそういう人がいたからだというのが面白いです。容疑者の一人が呟く、「右も左も分かりませぬ……」という言葉が、ダブル・ミーニングにしてはいささか苦しすぎました。一応「雨上り」の前々日譚ということになるのでしょうか、清之介の後の妻・加絵が登場しています。
 

「天狗松」★★★★☆
 ――殺人と強盗犯の青吉が廃寺に寝泊まりしているという急報がもたらされ、同心の清之介と西村孫太夫は与力に呼び出された。もっとも寺は寺社奉行の管轄ゆえ、町奉行所は境内の外から助勢するほかない。清之介と西村はそれぞれ二つの参道に見張りに立った。やがて境内から銃声が聞こえ、「下に逃げたぞ!」という捕方の叫び声がする。青吉はもう一つの参道に向かったと判断した清之介は西村の助っ人に向かうが、そちらにも青吉の姿はなく、天狗が参詣人を攫うという言い伝えのある天狗松に青い手拭いがかかっているのみだった。五日後、崖の下に落下した青吉が発見された。銃ではなくなぜか竹光の刀を握っていた。

 銃を持っている被害者がなぜか銃を使わずに武器として劣る竹光を握っていたという謎は非常に魅力的です。時代が変わってゆくなかで、「武士の面目」がキーワードとして描かれていました。本書収録作のほとんどは「How」の謎なのですが、この作品は「Why」の謎になっています。状況から考えて被害者を見逃したとしか思えない人物がなぜそんなことをしたのか――それをたどってゆくと被害者が竹光を握っていた謎もわかるようになっており、謎の見せ方が上手い作品だと思いました。犯人のその後の選択や処遇も含め、すべてが武士という様式に関わるものになっていました。「雨上り」の前日譚です。
 

「夕間暮」★★★★☆
 ――歩行目付の佐川慎之助は、碁会所で知り合った北町奉行所の元同心・戸田惣左衛門に、六日前に起きた藩士殺害事件について相談した。大納戸役を務めていた長尾半兵衛は温厚柔和な気性の持ち主だった。御一新の際に旧幕府軍と新政府軍に分かれて戦った岡崎藩が元通りになるために、半兵衛が生贄として詰め腹を切らされることになったのだ。家族水入らずで過ごした切腹前日の夜、長尾邸に賊が押し入り、半兵衛は刀も持たずに賊に向かってゆき袈裟懸けに斬られてしまった。根拠はないが慎之助の勘が、長尾母子が噓をついていると感じていた。

 本書最終話であり、惣左衛門最後の事件でもあります。前話に引き続き、時代に取り残された武士のありようが引き起こした悲劇が描かれていました【※ネタバレ*10】。そしてまた、このシリーズの原点に立ち返って妻と夫の愛情(の齟齬)が描かれているのも、最終話に相応しいと言えるでしょうか。ただし長い年月をかけてようよう愛情を育んできた惣左衛門とは反対に、半兵衛夫妻のあいだにあった愛情は苦いものでした。それにしても夫妻の間のすれ違いは、まるで現代の熟年夫婦のようです。もともと江戸時代に現代的(というか一昔前的)な恋愛観を挿入したシリーズではあったのですが、前七話のあとにこの作品を読むと、突然生々しくなって驚きます。汚れていない足袋から【ネタバレ*11】というミスディレクションを誘い、前半部分にあった【ネタバレ*12】という伏線を拾って【ネタバレ*13】という真相を導く手順は、「天狗松」ともども本書のなかではベスト級のミステリでした。

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*1 狂気によって人を襲うのではなく、正気に戻ったときに仇を襲う

*2 正気のおしげ=おしまに自分のことを思い出してほしい

*3 それぞれ仏壇返しと年の差婚

*4 豆まきの豆が落ちていると妻に叱られるので拾って片付けようと舞台下に潜っていたのを、姿を消したと勘違いされた

*5 自殺後の凶器の隠し方

*6 動物

*7 黒猫の体

*8 一味を壊滅させた惣左衛門に土をつけて晩節を汚させる

*9 内臓逆位

*10 最後になって自由に生きたいと吹っ切れた半兵衛に対し、お家取り潰しを恐れた妻子がそうはさせじと殺害

*11 殺害現場が屋内

*12 印籠

*13 草鞋を履いて旅支度をしていた


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