『法月綸太郎の冒険』法月綸太郎(講談社文庫)★★★☆☆

法月綸太郎の冒険』法月綸太郎講談社文庫)

「死刑囚パズル」(1992)★★★★☆
 ――有明省二の死刑執行日だった。非番だった中里刑務官は怪我をした同僚に代わって松山所長に呼び出された。松山は死刑囚へのはなむけとして、自分のポケットから最後の一服を勧めることにしていた。「そういえば有明は煙草がだめだったな」。甘党である有明のために饅頭とお茶を用意させた。いよいよ執行の時間が来た。中里たちがボタンを押そうとする直前、有明から苦悶の叫びが洩れ、体が激しく痙攣しはじめた。痙攣が収まり動かなくなった体に駆け寄り、保安課長が脈を探った。「もう死んでいる」

 初期の法月綸太郎ロス・マクの影響も強い作品を書いていたことを忘れていました。まえがきにある「寓話」や「悲劇」が単なる言葉の綾ではなく、事件の真相そのものであり、また真相に至るヒントにもなっていたことに驚愕します【オイディプス】。探偵が謎を解いて犯人を暴いた瞬間「なぜだ? 何が起こっているのだ?」と自問する場面には頭がくらくらしました。謎を解いた探偵当人がわけがわからず揺らいでいるというのは衝撃です。探偵が介入してしまったがゆえに悲劇が暴露されるというのも、クイーンやロス・マクを思わせます。この事件の場合は探偵が介入しなくとも遅かれ早かれ犯人は判明したであろうとはいえ。消去法による推理自体は型通りのものでしたが、執行直前の死刑囚をなぜ殺すのかという謎と動機が強烈でした。
 

「黒衣の家」(1990)★★★☆☆
 ――当麻規介が末期の直腸ガンで亡くなった。妻の佐代は葬儀の日も相変わらず、献身的に看病してきた嫁の朝子に冷たく、二十代のころ大げんかして出ていった次男の克樹を激しく罵倒した。克樹も譲らず、「今度この家に来るのはあんたがくたばって線香を上げに来る時だ」と言って実家をあとにした。そして葬式から三週間が過ぎたころ、佐代が殺された。佐代もさすがにこたえたのか病身の妹の部屋から出て来なくなっており、孫の澄雄がごはんを運んでゆく習慣となっていた。その味噌汁に農薬が入れられていたのだ。状況から澄雄がやったとした思えない。葬式にも出席していた規介の甥・法月警視は綸太郎に相談する。

 あとがきによると、この作品を書いた当初はあの型【=八百屋お七】の存在自体を知らなかったというから驚きです。意外な動機という観点からミステリと相性のよい型ではあるのですが。佐代の屑っぷりや家族との確執が描かれているためそこに目が行ってしまうところを、動機はそこにはなかったというのが意外性でした。著者が意識して書いた著名作品というのは【『Yの悲劇』】で、ただ単に【子どもが犯人】というだけでなく、克樹の言葉を文字通りに受け取ってしまうところや、【想い人への】正直な手紙を渡すという残虐性と純粋性の同居など、そういった要素を援用した結果のあの型なのだと納得しました。
 

カニバリズム小論」(1991)★★☆☆☆
 ――「ある夜、大久保はささいな喧嘩から淑子を絞め殺してしまった。ところが、彼は一晩かけて、淑子の死体をアパートの浴室でバラバラに切り刻んだ。そして、五日間にわたって、女の死肉を食い続けていたんだ。ぼくはある結論に達したが、どうも自信が持てない。そこで君の意見を聞きたくて」学生時代から付き合いのある法月が私を訪ねて来たのは、同じ大学に通っていた大久保信の起こした事件のことだった。「確かに俺は以前カニバリズムの研究に凝ったこともある。俺に動機を当てさせようというのか?」

 三篇つづけて意外な動機が扱われていました。食べる理由にばかり気を取られていると、その反対側に真相があるという、意外性という点では申し分ないはずの作品なのですが、「人間の尊厳を徹底的に貶める冒瀆行為」というのが狂人の論理ですらない大久保だけの屁理屈止まりでした。その後の二段オチ【語り手=大久保。自分をフロイトと思い込んでいる】もさして意外性も洒落っ気もなく、尻すぼみと言わざるを得ません――と書いて、もしや尻つながりでわざと尻すぼみにしているのか?と考えてしまいましたが恐らく考えすぎでしょう。
 

「切り裂き魔」(1990)★★★☆☆
 ――沢田穂波は、綸太郎が図書館司書に抱いていた偏見を打ち破ってしまうような女性だった。その結果、綸太郎の読書量は一気に三倍に増えていた。その穂波から相談を受けた。推理小説ばかり最初のページを切り取られる被害が相次いでいた。犯人も動機も不明だ。

 図書館司書の沢田穂波が相棒を務める、図書館シリーズの第一作。明らかにされてみれば、なるほど推理小説ばかりなのも、最初のページなのも、悪気でしたわけではないというのも納得です。ほかはすべてに印をつけて、あれ【オリエント急行の殺人】だけ切り取ればいいような気もしますが、そう考えるのは野暮というものでしょう。
 

「緑の扉は危険」(1991)★★☆☆☆
 ――本の寄贈を約束していた資産家が書斎で首を吊って自殺した。交渉担当となった穂波が故人の家に出向くが、未亡人はのらりくらりと寄贈するのを渋った。綸太郎はそんな未亡人の様子をいぶかり、殺人を疑うようになる。だが現場は密室状態で、室内に入るには業者に扉を破ってもらうほかなかった。別の世界へ通じるウェルズ「緑の扉」があるのだと綸太郎は主張するのだった。

 角川文庫のアンソロジー『密室殺人事件』で既読。図書館でこそないものの、きっちり書籍ネタが続いています。書籍による神出鬼没可能な密室というアイデアは面白いものの、共犯者が多いことにご都合主義を感じてしまいます。
 

「土曜日の本」(1991)★☆☆☆☆
 ――東京創伝社の凸川編集長から五十円玉二十枚の謎の原稿を依頼されていた綸太郎は途方に暮れていた。そこに「切り裂き魔」事件で知り合った松浦が、大学でゼミが一緒だという倉森詩子を連れて相談にやってきた。聞けば詩子もバイト先の書店で同じ五十円玉二十枚の謎に遭遇しているという。真相の見当が付かない綸太郎は書店を張り込むことにした。

 元本『鮎川哲也と十三の謎』『競作五十円玉二十枚の謎』で既読。かろうじて書店が舞台ではありますが書店でなくとも成立するように、図書館シリーズとしての体をなしていません。そして著者本人も楽屋落ちと認めるように、何の解決もなされていません。当時北村薫覆面作家だったから出来たネタです。作家や作品のもじりのうち、澤木喬がなぜ泪橋幸になるのかわからなかったのですが、なるほど漢字を分解して再構成しているのか。
 

「過ぎにし薔薇は……」(1992)★★☆☆☆
 ――その女は天小口を見るだけで、表紙を開くでもなく本を棚に戻してしまった。そうやって三冊の本を選ぶと貸出カウンターに直行した。綸太郎があとをつけてみると、女はほかの図書館でも同じ坑道を取っていた。女は名の知れた装丁家だったが、半年ほど前から失読症にかかっているという噂があった。返却された本にはどれも、「薔薇は薔薇であり薔薇であり薔薇であり」というガートルード・スタインの言葉の書かれた栞が挟まっていた。

 ほぼ推理も何もなく、知り合いの編集者から事件の背景を聞くというのは工夫がなさすぎますし、【スピンを切り取るという】ネタ自体も「切り裂き魔」と重なる部分があって、とっちらかっているうえにインパクトも薄い作品でした。【臍帯巻絡による死産と不倫相手からの嫌がらせが原因のトラウマ】という重い背景も、編集者がぺらぺらしゃべるという安易な構成のせいで安っぽく感じてしまいます。【スピンを本の「のど」に挟むことが臍帯巻絡を連想するから】という動機も、ぞっとするというよりも駄洒落みたいで、悲劇が喜劇になってしまっていました。

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