『モップの精は旅に出る』近藤史恵(実業之日本社文庫)★★★★☆

『モップの精は旅に出る』近藤史恵実業之日本社文庫)

 キリコ・シリーズ第五作にして最終巻。以前のイラストレーター(飯田貴子)の描いたキリコの方が作中の描写に忠実だったのですが、別のかたに変わってしまいました。
 

「CLEAN.1 深夜の歌姫」(2014)★★★☆☆
 ――英会話教室の講師にも人気に差があり、イギリス人のハンソンは人気にあぐらをかいてやる気もない。先輩の早野薫子と違ってわたしはそれを割り切れない。「翔子ちゃん宛に郵便きてるよ」同期入社の秋月梨子から封筒を受け取った。封を切ると、中身は婚姻届だった。夫の欄には中沢達紀と書かれた判が押されている。確かに中沢という受講生はいるが、面談で一時間ほど話をしただけだ。ストーカーだろうか。帰宅しようとして忘れ物を取りに会社に戻ると、歌声が聞こえてくる。とても清掃作業員には見えない若い女の子が掃除機をかけていた。「彼氏と一緒ですか? 夜間通用口のところに男性が立ってますけど」

 ほぼ見知らぬ相手からいきなり婚姻届を送りつけられてくるという強烈な謎と恐怖が描かれます。送られたのが早野だったりすれば直接相手に文句を言っていたでしょうし、翔子のところに送りつけるところに犯人の悪意を感じました。忘れ物を取りに戻った夜に中沢と話をしていれば悲劇は起きなかった可能性はあるのですから。それにしても先に性犯罪者だというレッテルを貼って先入観を植えつけることで相手の反論を封じようとする犯人の策士ぶりには恐れ入ります。【※ネタバレ*1
 

「CLEAN.2 先生のお気に入り」(2014)★★★★☆
 ――新しく入ったみなこさんが自己紹介した途端、ハンソンの態度が変わった。ハンソンはジャーナリスト志望だったため、新聞記者のみなこに興味を持ったのだ。ハンソンの取り巻きは面白くないだろう。特別扱いしないようそれとなくハンソンに声をかけたが、ハンソンは素っ気なかった。大人なんだし、嫌ならやめればいい。ハンソンの言うことは正しい。英会話教室は学校ではないのだ。だが実際に嫌がらせがおこなわれているらしい噂も聞こえてくる。だがみなこは逃げなかったし、取り巻きがいるときに限ってラウンジに入ってくる。まるでわざと挑発しているようだ。そしてついに襲撃事件が起こった。

 答えは再三出ていたのでした。【ネタバレ*2】それが出来ない立場の人間が――というのは一種の見えない人でした。引き続き第一話と同じ舞台なのもそうした趣向のためでしょう。よくぞそこまで執念を燃やせるなと呆れるほどの悪意は、ことが凶悪犯罪とはならないだけにフラストレーションが溜まります。だからこそそれに立ち向かい守ろうとする圧倒的な怒りと愛情が救いでした。【※ネタバレ*3
 

「CLEAN.3 重なり合う輪」(2015)★★★★☆
 ――二年前、はじめて投稿した小説で新人賞を受賞した。だが二作目が書けず、焦ったぼくは執筆に集中するため会社をやめた。そんなとき、大学以来の友人である箱崎からコワーキングスペースに誘われた。箱崎は同じビルでギャラリーも運営している。畠山は人気イラストレーターだ。木内はネットショップを経営している。日下は大手出版社に勤めたことがあるらしく若いのにしっかりしていた。ハンサムな清乃は美女の箱崎とつきあっているらしい。朝早くにオフィスに行くと、清掃員のキリコちゃんが飛び出してきた。畠山が倒れて意識がないという。以前に空のペットボトルが捨ててあったことから、糖尿病の畠山の飲み物の中身を何者かがすり替えたのではないか……。

 清掃員ならではの手がかりによってキリコが早々とHowを明らかにしてしまうので、誰(Who)がなぜ(Why)というのがポイントです。いますね、こういう自分の理屈だけでしか物事を考えられない話の通じない人。セクハラ加害者なんかもこういう理屈を持っている印象です。第一話でもストーカーが扱われており、この第三話でも女性ゆえの恐怖がポイントでした。痛い目を見てもわからない人に対して、当の被害者が「畠山くんが助かって、本当によかったと思う」と言えるのが、かろうじて救いでしょうか。【※ネタバレ*4
 

「CLEAN.4 ラストケース」(2015)★★★☆☆
 ――キリコの姉・菜々がくも膜下出血で亡くなった。葬儀が終わり、しばらくの間はそれでもキリコは元気そうにしていた。だが見かねたぼくは、自分の好きなようにしていいんだよ、とキリコに言った。その翌日から、キリコは自分の部屋に閉じこもった。外出中にキリコからメールが入った。「しばらく出かけてきます」。止めるべきだったのかもしれない。けれどぼくはキリコを曲げてしまうのが怖かった。キリコの父親から電話がかかってきた。無神経でキリコとはけんかばかりしているが、何かを押しつけようとはしない。その義父から、菜々の離婚の原因を作ったのがキリコだと聞いた。夫の浮気に感づいたキリコが姉に伝え、その頃から姉妹の間に距離ができはじめたという。けれどキリコには心当たりがないのだ。

 キリコの叔母は、第三話にも登場した自分の理屈だけでしか物事を考えられないタイプの人間です。それでもまだはっきりと口と態度に出すだけマシだと言えるのでしょう。この話の犯人は、キリコと夫が言っているように陰険・陰湿そのものでした。卑劣な策士ぶりでは第一話の犯人に匹敵します。よくぞここまで他人に嫌がらせをすることに全力を尽くせるものです。だからこそ最後に実力行使に出てくれるキリコには胸のすく思いがしました。「最後の事件」にはしたくないという著者の思いにより、シリーズこそこの作品で終わりますが、キリコは掃除を辞めたりはしません。ラストシーンの空のバケツが、【ネタバレ*5】という本来の目的だけでなく、これからバケツ片手に掃除に行くかのようでした。【※ネタバレ*6

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 モップの精は旅に出る 




 

 

 

*1 色仕掛けで営業を取っていた梨子が中沢から本気で迫られてしまい、婚姻届を翔子宛てに偽装。そのことで口論となり階段から突き落としてしまう。

*2 嫌ならやめればいいだけ。

*3 外国人講師と付き合っていた日本人講師をいじめて鬱に追い込んだ受講生一味を記事にして告発するため、友人のみなこが一味を挑発して証拠集めをしていた。被害者がいじめ首謀者を刺そうとしたところを、友人を犯罪者にしたくないみなこがかばって自分が襲われたように見せかけた。

*4 いたずら好きの畠山が学生時代に箱崎の部屋に『デート中』『彼氏滞在中』という札を掛け、何度取り合ってもいたずらをやめなかったため、女性の独り暮らしだと性犯罪者に目を付けられて襲われた。

*5 犯人に水をぶっかける

*6 浮気をばらされたのを逆恨みした菜々の夫が、キリコが自分からのメールを着信拒否しているためキリコには気づかれないのを承知で、自分とキリコが浮気しているようなメールを送り、それを菜々に見せたため、菜々はキリコに裏切られたと信じてしまった。


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