長篇二つのカップリングだというから、短めの長篇二作かと思っていたら、細かい字でみっちり二段組みでした。特に『天の声』。読んでも読んでもページが先に進まない……。めげそうになりました。
つまらなくはないんですけどね。何て言うんでしょうか。すごく頭がよくて哲学的なご隠居が論理的だけど主観的にえんえん人生論を語るのを聞いているといえばいいのか。志ん生の話なら何時間でも聞けるけど、上岡龍太郎は30分でゴメン、みたいな。
それはともかく内容は、というと、次の引用がすべてを言い尽くしています。
マスターズ・ヴォイス計画は、いわゆる〈星からのメッセージ〉と称されるものの全面的な研究であり、それと同時にその解読の試みでもある。
ものすごく下世話に言えば宇宙人からのメッセージをめぐる話です。で、それが老数学者の一人称でつづられた手記の形を取っているわけです。で、この数学者がいたるところで名言を披露します。
たとえばこう。「たいていの者は、さんざん追従を聞かされたらだれだってよろこんで飲みくだすものだと思っている。(中略)ほめることができるのは――それを言うためには――上から下へであって、下から上へむかってではない。」
あるいは――「(憲兵隊の)副官たちがなぜそういうこと(引用者註:酔ったような状態に陥って殴ったり蹴ったりすること)をせざるをえなかったかということまでは理解できた。彼らは犠牲者たちを憎悪することで、己をごまかしていたのだ。そして、残忍なことをしないでは、憎悪をかきたてることができなかったのだ。」
またあるいは――「懐疑主義とは、とめどなく顕微鏡の倍率を上げていくのに似ている。つまり最初は鮮明だった像も、しまいにはぼやけてしまう。極限まで小さい対象は見ることができないからだ。それが存在することはただ推測するしかない。」(※これなどは『枯草熱』にも同じような表現が使われていたことからすると、レムお気に入りのレトリックだったのでしょう。)
これはこれで作品にとって重要な部分も含まれているのですが、「科学的考察」と「人生訓」が入り乱れているため、「科学的考察」が架橋にさしかかったところで「人生訓」が顔を出したりして、読書の流れが中断されてしまいました。
一方――「科学的考察」だけでできているのがカップリングの『枯草熱』です。
中年男ばかりが犠牲になる連続怪死事件の真相を探るべく、自ら囮の実験台になった男の一人称。というわけで余計なことなど考えている暇はありません。考察に考察を重ねて謎を解決しなくてはならない。
前半こそ雰囲気も状況もミステリアスで、何が起きているのか皆目見当がつきませんが、後半からは打って変わって考察、考察、考察。前半はハードボイルドSFみたいなちょっと幻想的でウェットな雰囲気がありましたが、後半は一転本格ミステリです。それも新本格。
惹句には「確率論的ミステリ」なんて書かれていたので、どんな小難しい内容なのかと身構えていたのですが、読んでみれば何のことはない新本格ミステリでした。京極堂みたい? 山口雅也でも殊能将之でもとにかくそういうペダンティック系のミステリを読み慣れている方なら恐るるに足らず、です。
『枯草熱』は一気に読めますが、『天の声』はひと息では難しいので、数時間ずつ何日かにわけて読んだ方がいいかも知れません。
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