『一角獣・多角獣 異色作家短篇集3』シオドア・スタージョン(早川書房)★★★★★

いわずと知れた『異色作家短篇集』の新装版。装丁が凝りまくっていていかにもコンプリートしたくなる。原題『E Pluribus Unicorn』。

「一角獣の泉」(The Silken-Swift)
――デルはリタに夢中だった。リタにからかわれているとも知らずに。バーバラは一角獣を見た。絹のきらめきを持つ美しい獣だった。

 センス・オブ・ワンダーとか常識の転覆を描くのがSFだとするならば、これこそSFである。ファンタジーでありながらも、ジャンル・ファンタジーとしては反=ファンタジー。独特の文体が神話みたいで忘れがたい。

 ※再読時の感想は→こちら
 

「熊人形」(The Professor's Teddy Bear)
――ジェレミーは夢を見ていた。夢の中で生徒を相手に講義をしている。怪物にささやかれて、生徒の一人を金髪にした。後ろの席の子が驚いて段差を転がり落ちる。

 「それ」なんかが好きな人なら絶対に好きになること間違いなしの幻想ホラーのウルトラ傑作です。〈見えないもの〉と会話をする孤独な少年の空想が現実になるという、“孤独な子ども”ものとでもいうべき一篇。このタイプの話には傑作が多い。

ビアンカの手」(Bianca's Hands)
――ランはすっかりぼうっとしてしまった。美しい二本の手。持ち主の意思とは無関係に嫋やかに動き回る。持ち主の名はビアンカ。その日からランは、ビアンカの家で暮らし始めた。

 「ビアンカのことは誰も問題にしていなかった」という一文が象徴的な、〈ビアンカの手〉の物語。ビアンカのことなどまったく描かれていない。

 青年が美しい手に魅かれたのではなく、手が青年を誘惑したのだ。そう考えてみるとこれは「監房ともだち」のような話だったりもする。誘惑した目的とは何か。「ビアンカは化けもの」なのである。

 ※再読時の感想は→こちら
 

「孤独の円盤」(A Saucer of Loneliness)
――彼の目の前には女がいた。彼女は海に消えた。女は有名人だった。町を歩いているときに円盤に言葉をささやかれ、殴られたのだ。

 海である必然。宇宙もまた海である。異文化とのコミュニケーションは不可能なのではない。異文化とのコミュニケーションという幻想を抱いていると、現実とのギャップにしっぺ返しをくらうのだ。しっぺ返しをくらうのはこの本の読者。感動というしっぺ返しならいくらでもほしくはあるが。

「めぐりあい」(It Wasn't Syzygy)
――グローリアを見た瞬間にわかった。彼女こそがそうなのだ。グローリアの方でも同じように思ってくれたらしい。何も言う必要はなかった。お互いのことならすべてわかっていた。最高の生活が始まるはずだった。

 『海を失った男』[bk1amazon]には「シジジイじゃない」の邦題で収録。ディズニー映画のアニメのような首。理想の恋愛ということばを耳にした場合、一般的に、女にとって理想的な恋愛相手、とはリアルに付き合いたい相手のことらしい。一方、男にとって理想の恋愛相手、とは、手の届かない夢物語の世界に存在する相手であるようです。――と、いうことを踏まえて読んでみるならば、この話の語り手は男でなくてはならなかったことがよくわかる。

「ふわふわちゃん」(Fluffy)
――口先ひとつで生計を立てている男、ランサム。今日の訪問先はベネデット夫人だ。夜中に寝ていると、夫人の飼い猫バブルズ(ふわふわちゃん)が部屋にやってきて……。

 スタージョンがネコ派かどうかは知らないが、猫は孤高で自由なんだとか猫は飼われてるんじゃなくて自立してるのだとか猫は高貴な動物なのだとかいう共通認識があるからこその作品なのは間違いない。

「反対側のセックス」(The Sex Opposite)
――公園で殺人があり、遺体はミューレンバーグ医師のもとに運ばれた。新聞記者のバジーが取材に来たが、あまりにも残酷だからと医師は取材を拒絶する。

 なんだかX−FILEみたいに始まります。反対側のセックス(性)とは、有性生殖と無性生殖のことであり、かつ男性性と女性性のことでもあります。男と女が反目する存在ではないのと同様に、人類とは反対側のセックスである彼らも、反人類ではなく共生する存在なのである。ユートピアとしての反=人類ではなく共生する存在として描かれているのが興味深い。

「死ね、名演奏家、死ね」(Die, Maestro, Die)
――ゴン・ギーズは最高のバンドだ。おれはリーダーのラッチ・クロフォードが憎くて仕方がなかった。だから殺そうとした。一度は正攻法で。二度目はこっそりと。だがどちらも失敗した。

 ジャズは聴くより読むほうが傑作なんじゃないか。と思ってしまう作品。ウールリッチの「パパ・ベンジャミン」を読んだときもそう思ったな。ラッチならどうするか? そう考えて実行する人間がいるかぎり、ラッチは死なない。たとえ演奏が止まっても。音楽のことだけではない。歩くとき、生きるとき、行動するとき、ラッチならどうするか? そう考えて実行する人間を皆殺しにしないかぎり、ラッチは死なない。近いところでいえば、『Monster』4巻[bk1amazon]に出て来るヴォルフ教授の完全な孤独というのが、ラッチを殺すことに似ているかもしれない。

「監房ともだち」(Cellmate)
――同じ監房に入れられたクローリーは、馬鹿でかい胸にひょろ長い手足の蜘蛛みたいなやつだった。自分じゃ何にもできやがらないから、仕方なくおれが世話してやる羽目になる。

 ミュータントものですがSFというよりもホラーです。ちょっとこの不気味さは類がない。

「考え方」(A Way of Thinking)
――船乗り仲間のケリーはおかしなやつだった。心棒からどうしても歯車がはずれないとき、やつはあっさりと歯車から心棒をはずしてしまった。独特の考え方をするやつなのである。久しぶりにあったとき、ケリーの弟が原因不明の難病で苦しんでいた。

 逆説といえばチェスタトンチェスタトンに負けず劣らずの衝撃度。逆説が積み上げられたはてに、もはや常軌を逸しているとしかいいようのない結末を迎えます。読み終えたときに地面が揺れるような衝撃を受けました。
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[honto]
 


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