『太陽の塔』森見登美彦(新潮文庫)★★★★★

 何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。なぜなら、私が間違っているはずがないからだ。この手記を始めるにあたって、私はどこで生まれたとか、どんな愛すべき幼稚園児だったかとか、高校時代の初恋はいかにして始まりいかにして終わったかとか、いわゆるデビッド・カッパーフィールド式のくだんないことから始めねばならないのかもしれないが、あまり長くなると読者も退屈されると思うので手短にすませよう。恥をしのんで書けば、私はいわゆる「恋人」を作ってしまったのである。彼女の名前は水尾さんという。

 栄えある第15回日本ファンタジーノベル大賞受賞作。『電車男』の大ヒットでオタクの純愛が社会現象になる一年前にこの作品は出版されたのだ。いま読んでみると、すぐれた文学作品というものは否応なく時代を映し、斬り、向き合っているのだなということがよくわかる。

 「私にとって彼女は断じて恋の対象などではなく、私の人生の中で固有の地位を占めた一つの謎と言うことができた。その謎に興味を持つことは、知的人間として当然である。したがって、この研究は昨今よく話題になる「ストーカー犯罪」とは根本的に異なるものであるということについて、あらかじめ読者の注意を喚起しておきたい」という部分に象徴されるように、ここには自分の妄想を遠くから客観的に見つめているもう一人の自分がいる。それ自体も妄想じみているのが笑いを誘うのだが。

 イタイ自分を自覚して自嘲的に自己分析する自分という二重構造が、そのさらに外側にいる読者には面白くて仕方がない。単なる自嘲ではない。あくまで自嘲的、である。ダメな自分を嘲笑うだけでもなく、正当化するだけでもなく、傲慢なだけでもなく、捨て鉢なだけでもなく、そのバランスが絶妙なのだ。ひねくれ具合が堂に入っていて、くだらない言い回しが最高におかしい。『電車男』に素直に感動した一般人、滝本竜彦作品に身をつまされ共感したオタクたちなら、本書のこの素直じゃなさにいらいらするかもしれない。でも。でも。小説とは決して応援ソングでもラブレターでもお悩み相談でも日記でもない。

 この物語がもしストレートに書かれていたなら、それこそ反吐が出るような甘ったるい自己肯定妄想恋愛小説になっていただろう。自意識過剰とかいうのではなくって、人に見られること・人に読まれることを、きちんと自覚してコントロールしてる感じ。まあ天然かもしれないが。

 もちろん、デートのときに彼女を置いて一人で観覧車に乗った友人とか、クリスマス・プレゼントに招き猫を贈ったりとかいう、アホネタも満載だ。「ええじゃないか騒動」なんてアホらしさの極致だろう。

 そんなアホネタとひねくれた語りの果てに、ちょっとだけ甘い結末が待ってます。京都という街に住んでいないわたしにとっては、まさに異世界の物語でした。『三丁目の夕日』の三丁目とか、『るきさん』の住む町とか、『シザーハンズ』の町とか、ここではないどこかの、架空の町。もしかしたらどこかにあるかもしれない、語り手の頭のなかの町。「我々の日常の九〇パーセントは、頭の中で起こっている」のです。

 解説は本上まなみさん。主演で映画化されるのか、女優ではなくエッセイストとしての抜擢なのかと思ったら、愛車「まなみ号」の由来だそうな。なるほど。すごく的確でわかりやすい解説でした。ヘタなプロ解説者よりもよっぽど優れてます。
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太陽の塔
森見 登美彦著
新潮社 (2006.6)
ISBN : 4101290512
価格 : ¥420
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