『パニックの手』ジョナサン・キャロル/浅羽莢子訳(創元推理文庫)★★★☆☆

 恥ずかしながらジョナサン・キャロル初読書。意外とポップでライトな文章なので驚いた。もっとハードな幻想体質の作品なのかと思ってました。すごく読みやすい。モダンホラーやサスペンスを読むような感じですいすい読めます。それはもちろん、そういうとっつきやすさからは想像もできないようなとびっきりの残酷さが待ち受けていたりするわけですが。最初の何作かを読んだ段階では、残酷さのタイプはシャーリイ・ジャクスンに近いように思った。何気ないところからひょいと顔を出す悪意。ジャクスンの場合は自分もこんな風に思っていることがあるんじゃないかと感じて背筋がぞくりとなるのだけれど、キャロルの場合はあくまでエンタメ・ホラーというか、悪意が襲いかかってくるのは登場人物にかぎられているので読者は安心して読める(気がする)。それだけに悪意の形は傍若無人な形をとったりもするのだけれど。

 カバーイラストがいい。『黒いカクテル』もほしくなりました。『The Panic Hand』Jonathan Carroll,1966年。
 

フィドルヘッド氏」(Mr.Fiddlehead)★★★☆☆
 ――わたしがエリックのプロポーズに「はい」と答えた六か月後に、レナもエリックの弟マイケルにそう答えたのだ。幸運を引き当てたのはレナの方だった。離婚したあともわたしはレナたちの家に遊びに行った。レナが自分で作ったというとても美しいイヤリングをくれた。

 ジョナサン・キャロル作品の登場人物はものすごく俗っぽい。特別なヒーローでもなければ悲劇の渦中のヒロインでもない。たとえ私小説や日常小説の登場人物であっても普通は、主人公として光が当てられた途端に、特別な存在になるものです。ところがキャロル作品の登場人物たちは、ほんとうにそこらへんにいそうなくらいに俗っぽい。だから作品内で起こることすべてが、実際にそこらへんで起こっているように肌にじっとりからみついて気持ち悪い。描かれている内容は荒唐無稽なはずなのに、喜劇を見せられたというよりは殺人現場を見せられたような不快感をもたらす。この作品の最後に描かれている悪意はとんでもないものです。背筋がぞくぞくするような恐怖ではなく、胃がきりきり痛むような嫌悪を感じさせるような悪意でした。
 

「おやおや町」(Uh-Ho City)★★☆☆☆
 ――新しい掃除婦ビーニィの仕事ぶりは完璧だった。犬の皿はぴかぴか、カーテンは洗われ、洗面所の下にはしみ一つない。地下室で何かを見つけては、捨ててもいいかとたずねた。ところがある日、原稿の束を持ってきた。作文講座の受講生アネットが書いたものだった。ずっと昔に、アネットの家族に送り届けたはずだったのだが。

 ジョナサン・キャロルって実はライトノベルなのかもって思った。「神は否定した。あっさりと。」なんて結びのセンスなんかがいかにもそんな感じ。神さまなんか登場させて無駄に大風呂敷広げる感じとかも。語り手の苦悩こそ深刻なものだけれど、アネットなんてただの駄々っ子だし。
 

「秋物コレクション」(The Fall Collection)★★★☆☆
 ――死にかけているとわかったときに男は、それを世間から隠し通すことにした。世を去ろうとしていたとはまったくわからなかったことに、死んだあとに感心してくれる人間がいないともかぎらない。

 切ないというか残酷というか。幸せなのに死ななければならないのが切ないor残酷、というのであればまだわかりやすいのだが。男がわがままなやつに思えてしまう。一人で(または二人で)勝手に盛り上がんないで下さいよぉ。誰にも知られずにやり通していたのならかっこよかったんだけどな。ま、それこそやせ我慢か。クールぶってたけど人間らしく生きられてよかったね、と思いたい。
 

「友の最良の人間」(Friend's Best Man)★★☆☆☆
 ――フレンドは七歳になるテリアだ。線路の真ん中で動かないフレンドを助けようとしてぼくは片脚を切断されてしまった。病院でヤゼンカ、通称ジャズと知り合いになった。ジャズは七歳で、おかしな物語を話し、フレンドと話ができた。

 無茶苦茶な話である。なんだこの展開はとずっこけたっておかしくない。無茶苦茶であるはずなのだけれど、不思議と緊迫感がどんどん盛り上がって最後は恐怖に至る。一見ヘンな話なんだけれど、天災とはいつ起こるかわからないから天災なのであって、何かが起こるぞ起こるぞって作者が盛り上げている小説というのは、実はフェアじゃないのかもしれない。そう思ってみればこれはヘンな話ではなくて、読者も登場人物も予期せぬ厄災が突然やってくるというのを真っ正直に描いた作品なのかもと思った。フシギちゃん系の話が概して苦手なので点が辛くなるけれど、不安定でエキセントリックなジャズはたぶんけっこう魅力的なのだろうと思う。
 

「細部の悲しさ」(The Sadness of Detail)★★★☆☆
 ――カフェで出会ったお爺さんは、あたしやうちの家族が写っている写真を持っていた。九年後の息子、離婚したあとの夫……。彼は言った。未来は変わる可能性がある。二、三日前に描いた子どもの絵を持ってきてくれたら助けてやる。

 ジョナサン・キャロルは神をこけにしてるのだか、特別視せずにフランクに説こうと試みているのだか、ギャグみたいに神様がぽんぽん顔を出す、とまずは思うわけです。で、そういう冗談みたいな設定を踏まえたうえで、現実的な戦慄が待ってるところが、きっとキャロルの持ち味なんだろうな。カムフラージュに無関係の人まで殺す連続殺人みたいな怖さ。ある一つの記憶を消すためにすべての記憶を消す、なんてことはそりゃあ神でも持ち出さないかぎり不可能なんですが、実際に持ち出してきちゃうところがすごいし、苦笑じゃなくてちゃんと戦慄を誘う作品になっているところもすごい。最後は素晴らしいんだけどな。
 

「手を振る時を」(Waiting to Wave)

ジェーン・フォンダの部屋」(The Jane Fonda Room)

「きみを四分の一過ぎて」(A Quarter Past You)

「ぼくのズーンデル」(My Zoondel)

「去ることを学んで」(Learning to Love)
 

「パニックの手」(The Panic Hand)★★★★☆
 ――食堂車に座ってセリーヌのことを考えていると、美女二人の母娘が相席を求めてきた。娘は吃音癖があり、『パニックの手』というゲームが好きらしい。

 思わせぶりの手法が頂点を極めた表題作。もちろんはっきり書かれていなくたって、事実に疑う余地はないのだけれど。本書は原書を二分冊したものだから、作品配列は著者の意向ではなくただの偶然なのだろうけれど、はからずも巻頭と巻末に空想の人間が収められることになった。大人の空想が描かれていて気持ち悪い「フィドルヘッド氏」よりは、子どもの空想が描かれている本篇の方が自然で違和感がなくよいと思う。

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 ジョナサン・キャロルは(というか本書は)少し苦手だなーと感じたので、面白いと感じている人はどこらへんを面白いと感じているのか知りたくなって、感想・評論サイトを探してみました。

 そしたらこんなサイトを見つけた! なんかすごいツボな作品ばかり取り上げられてます。「埋もれた短篇発掘」なんてカテゴリーが泣かせます。

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