『虹をつかむ男 異色作家短篇集14』ジェイムズ・サーバー/鳴海四郎訳(早川書房)★★★★★

「虹をつかむ男」(The Secret Life of Walter Mitty)★★★★☆
 ――「行くと言ったら行くんだ!」中佐の声は割れるような響きだった。「とても無理です。艦長」シリンダーの音が速さを増す。タ・ポケタ・ポケタ・ポケタ……「そんなに飛ばさないで!」妻の声で我に返ったウォルター・ミティ氏は黙って車を運転した。

 妄想癖ではなく空想癖。少年の夢を持ったまま大人になっちゃったんだね。そら奥さんに「うちへ帰ったらお熱を計ってあげましょうね」だなんて言われるわな(^^;。ちょっとずれてるような、純粋なような、どこか憎めない人たちばかりです。

 邦題はダニー・ケイ主演の映画版からだが、わたしなどはむしろ本書の旧版解説で映画版『虹を掴む男』の存在を知った口である。よほどの映画マニアでもないかぎりそういう人が増えていると思うんだけども。
 

「世界最大の英雄」(The Greatest Man in the World)★★★★★
 ――スマーチが二万五千マイル無着陸飛行の計画を発表したときは、誰も本気にはしなかった。しかしいざ飛び立ったとあっては本気にしないわけにはいかなかった。飛行のことは毎日報道されたが、飛行士のことは触れられなかった。材料がなかったのではなく、ありすぎた――ろくでなしだったのである。

 こんなブラックな話を全然ブラックに感じさせないところがすごい。なんでこれでこんなにおしゃれな話になってしまうんだろう。げらげら笑った(^^)。スマーチのキャラといい、議員や大統領の反応といい、最高のコミック・ストーリー。
 

「空の歩道」(The Curb in the Sky)★★★★☆
 ――チャーリーがドロシーと結婚すると発表したとき、チャーリーのやつたちまち気が変になるぞと言ったひとがある。ドロシーという女は、男たちの言葉遣いを正さずにはいられなかったのだ。

 もしかするとサーバーのまわりに実際にこういう人がいたんじゃないだろうか。その人の頭の中だけで通用する理屈を持っているツワモノってけっこういるからな……。イヤな女の話なんだけど、最後にいたってほとんど天上の世界の出来事である。イヤとかどうとかいう理屈を越えてしまった一言。「空の歩道」というタイトルの意味がわかった途端に笑い転げるか、いい加減にしてくれよと脱力して崩れ落ちるか。
 

カフスボタンの謎」(The Topaz Cufflinks Mystery)★★★★★
 ――白バイ警官がやってきたときには、男は道ばたに四つんばいになってワンワンと吠えていた。「なにをしているんだ?」女がクスクス笑った。「どうも、その――カフスボタンが――見つからなくて」と男が言った。「眼鏡をかけない方が探しやすいのかね?」

 どこかピントのずれた人たちを描くのがサーバーはほんとうにうまい。核心をはずしたまま、論点だけがひたすらずれてゆく。本篇なんかだと、はじめのうちは警官をごまかすためにわざとピントのずれたことを言っているわけだから、さらにその傾向が強くなってます。警官がいなくなってからもピントがずれつづけてるからなおおかしい。
 

「ブルール氏異聞」(The Remarkable Case of Mr. Bruhl)★★★☆☆
 ――ブルールはそこらにザラにいる平凡なふうさいの一市民である。ただ、左の頬にクツの形をした傷あとがあった。ブルールはクリニガンとうり二つだった。クリニガンが天下に悪名をはせなかったら、それが気づかれることもなかっただろう。

 まわりが妄想を作りあげてしまった。本人だけじゃない。誰もが空想に恋いこがれているのだ。これはほかの作品と違ってちょっとシリアスでほろりとする。
 

マクベス殺人事件」(The Macbeth Murder Mystery)★★★★★
 ――泊まっていたホテルで知り合いになったアメリカ人の女がこんなことを言いだした。「つまらなかったわ。第一、マクベスがやったとはとても考えられない」

 問答無用の大爆笑名作。原題だとMMMなんだ(^^)。それだけでおかしいなぁ。迷探偵もののよしあしにも言えることだけど、あくまで作者の目はあたたかい。
 

「大衝突」(Smashup)★★★☆☆
 ――トミー・トリンウェイは十五歳のとき馬にひかせた馬車のランプを落としたことがある。そのショックは今も胸に残っていた。自動車は妻が選んでくれたけれど、運転するのは嫌だった。

 ちょっと後味がこれまでと違う。ウォルター・ミティ氏やブルール氏は、平凡な人物ながら空想の世界に逃げ場を見つけた愛すべき負け犬たちだった。トミーは空想を描くことすらできない小心者。だからこの結末はものすごく可哀相というか、みじめ。トミーはようやく空想を描けるようになっただけ。なのにそれが現実だと信じてしまった。
 

「142列車の女」(The Lady on 142)★★★★☆
 ―― 私がタバコの箱をあけているとき、駅長が「手配の御婦人は一四二号に乗せてます」と電話しているのが聞こえてきた。「だれか女の人が病気になったのよ」「違うな。当局が捜していた女を発見したんだよ」

 「マクベス殺人事件」と同じく、何もないところに何事かを見てしまう迷探偵の物語。もしくは非日常の出来事にも現実を見てしまう主婦の物語。この話は極端だけど、男と女ってわりとこんな感じ。こうしてみると、これだけ違うのによく夫婦なんてやってるよなあと感心というか複雑な気持になる。
 

ツグミの巣ごもり」(The Catbird Seat)★★★★★
 ――マーチン氏が、社長付特別顧問のバローズ夫人を消そうと決めたのは一週間前だった。夫人はロバのように笑いアヒルのようにのべつくまなししゃべり続け、誰彼かまわず馘首にした。

 いみじくもマーチン氏が述べているとおり、「消す」という表現が気に入りました。これ、悪意のある側から描けばマシスン「種子まく男」みたいな話になるんだけれど、やりこめられるのがキョーレツなおばあちゃんであるため実に爽快な話になっています。しかしこの社長、こんなに素直で大丈夫なのか(^^;。
 

「妻を処分する男」(Mr. Preble Gets Rid of His Wife)★★★★★
 ――プレブル氏は夕食のあとこう言いだした。「地下室へ行こうよ」「なにしに?」と細君は聞き返した。「近頃は地下室に行ってないじゃないか、以前みたいに」「わたしたち、一ぺんも地下室に行ったことなかったわよ」

 もう旦那のことはわかってるっていう感じの奥さんといい、本題よりも瑣末な事実の方が大事な女というものといい、普段と違うことをやろうと思ってみてもやることなすことうまくいかないお間抜けな旦那さん=男といい、とにもかくにもことごとくツボを押さえたとぼけた殺人計画。
 

「クイズあそび」(Guessing Game)★★★★☆
 ――「貴殿御出立後、遺失物発見致候。御心当リノ有無ヲ御一報下サイ。遺失物係デーリー」。「デーリー様。この一件はご想像以上に複雑なものになりそうです。何を忘れてきたのか思い出せないのです。精神科の先生は、思い切ってあなたと直接この問題を話し合えといってくれました。」

 これは笑えるというより、いらいらするなあ(^^;。これまで描かれたのが空想癖のある愉快な人たちだとすれば、本篇の主人公は神経症的偏執狂。空想の方向性がおおらかじゃない。精神科医の判で押したようなアドバイスには大爆笑しましたが。そりゃ直接話し合う以外ないでしょう(^^)。
 

「ビドウェル氏の私生活」(The Private Life of Mr. Bidwell)★★★☆☆
 ――夫がなにかをたくらんでいる。「なにしてらっしゃるの、ジョージ?」「パアアアアハア」とビドウェル氏は気持ちよさそうに長い息を吐いた。「息をとめていたんだ」

 これもまた笑えないというか、困ったちゃんのお話です。空想にはまだ夢がありますがこれは無駄無意味無価値。だからこそやめられないのかもしれませんが。
 

「愛犬物語」(Josephine Has Her Day)★★★★☆
 ――ディキンソン家の子犬は失敗だった。ブルテリアで、しかもメスで、その上衰弱しているときている。「どこか近所のうちへくれてやろうよ」

 本書収録作のなかではちょっと長めの、スケッチというよりはストーリーもちゃんとある短篇小説。そこがかえってものたりなくもない。犬をめぐる夫婦の絶妙の会話が楽しい。
 

「機械に弱い男」(Mr. Pendly and the Poindexter)★★★★☆
 ――ペンドリー氏はもう五年間というもの自動車を運転していなかった。正確には一九三〇年、池を道路と間違えてハンドルを切って以来である。ある日、妻が古い車を下取りに出して別の車に買い替えるべきだという意見をもらした。

 機械に弱いだけで人間性まで否定されたんじゃあたまらない。ちっぽけなトラウマが原因で、(おそらく)車以外でもやることなすこと尻に敷かれているのだ。
 

「決闘」(A Friend of Alexander)★★★★★
 ――「どうもこのごろ、昔副大統領だったエアロン・バーの夢をみるようになっちゃってね」「なァぜ?」「知るもんか。おれはバーに決闘を挑まれて射殺されたアレキサンダー・ハミルトンと立ち話をしてたんだ」

 冒頭のとぼけた会話こそサーバー節全開だが、オチが(サーバーにしては)意外と普通の異色短篇ぽい作品。それだけに、異色作家短篇集ファンには本書中で一番安心して楽しめる作品だろうか。ほのぼのした読後感が多い作品にあって、本篇は少しさみしかった。
 

「人間のはいる箱」(A Box to Hide In)★★★★☆
 ――私は店員にたずねた。「箱はありませんか? 大きな箱は? 中に隠れたいんだけど」「ありませんな。どういうつもりです」「まあ、逃避の一形式ですね。不安を遮断し、悩みの範囲を制限しようってわけです」

 空想癖を自覚しているヘンな人が主人公。アブナイ奴といえばアブナイ奴だし、深読みしようとすればいくらでもできるのだけれど、これまでの作品同様、無邪気にほのぼの楽しめる。箱に入らなくとも箱に入りたいという願望だけですでに空想がふくらんで逃避が始まっているのがおかしい(^^)。

 旧版ではここまでは「小説ふうのもの」、次からが「回想ふうのもの」と区切られていた。
 

「寝台さわぎ」(The Night the Bed Fell)★★★★★
 ――私の少年時代の最高をマークする出来事といえば、ベッドが父の上に倒れてきた夜のことだろう。たまたま父は、屋根裏部屋に寝ることに決めた。母はこの案にひどく反対した。屋根裏の古い木製ベッドは危険だというのだ。

 なんだこりゃε=(>ε<)! 「回想ふう」なんていうからあんまし期待していなかったのに、「小説ふうのもの」よりも面白いじゃないか。思い込みだけでものごとが進んでゆく空想力ゆたかなドタバタ家族。「カフスボタンの謎」や「マクベス殺人事件」を地で行く人たちです。
 

「ダム決壊の日」(The Day the Dam Broke)★★★★★
 ――一九一三年の洪水のときに私たちが経験したことの記憶などは、きれいサッパリ忘れてしまいたいと思う。その日の午後にダムが決壊したのだ。いや正確にいうと、町じゅうの人がダムが決壊したと思ったのだ。

 家族だけでなく町の人たちまでが……(^^;。こういった、現実世界に生きながら空想の世界に住んでいる人たちの物語を読むと、岸本佐知子のエッセイを思い出した。おんなじ血が流れているのに違いない。
 

「オバケの出た夜」(The Night the Ghost Got In)★★★★★
 ――一九一五年のある夜、わが家に忍び込んで来た幽霊は、誤解が誤解を生んでとてつもない騒動をまき起こしてしまった。なにしろオバケが出たために、祖父が巡査をピストルで撃つという大事件にまでなってしまったのだ。

 ここまで読んで気づいたけど、サーバーは「ベッドが倒れてきた」「ダムが決壊した」「オバケの出た」と、すべて完了した過去の形で書いている。これがサーバーの空想とユーモアの秘密の一端だろうか。「もし〜だったら」と書くべきところ/思うべきところを「〜だった」「〜なのだ」と書く/行動する。それでなんとも言えないズレたおかしみが生まれる。
 

「虫のしらせ」(The Luck of Jad Peters)★★★★☆
 ――エマ・ピーターズおばさんの客間には、ジャド・ピーターズの数々の幸運の記念品が並べてあった。何でも船が出る直前に電報が届き、彼を乗せずに出航した船は、九時間後に沈没してしまったそうなのである。それ以来、幸運の記念品を収集するようになった。

 これもブラックな話なんだけど、なぜか嫌味はなくてほのぼのしてしまう。何となくこんな人が知り合いにいるような気になってしまう。どこの町内にもいる名物オヤジ/オバサンだと思わずにはいられないのだ。
 

「訣別」(The Departure of Emma Inch)★★★☆☆
 ――料理女のエマ・インチはどこにでもいそうな中年女である。フィーリというボストンテリアをつれていた。旅行に出かけようというときになって、扇風機がカバンにはいらないという。「扇風機をまわしておけば、フィーリのおしゃべりが気にならないんです」

 常人にはよく理解できないこだわりを持っているという点も含めて、まさに「どこにでもいそうな」おばちゃんです。最後の不可解な微笑みを読むと、もしや天使か何かこの世ならざる場所の住人だったのではと勘ぐりたくなってきます。
 

「ウィルマおばさんの勘定」(The Figgerin' of Aunt Wilma)★★★★☆
 ――ウィルマおばさんは昼の光のごとく明けっぴろげな性格で、そのかわりひとたびお金の勘定のこととなると、夜の闇のごとくまっくらだった。

 これは比較的まっとう(?)な困り者のお話。彼女の頭のなかでは自分の計算に100%間違いはないのだから、まわりの人間すべてが頓珍漢に見えるに違いない。こういう人にはきっと世界がSFやファンタジーのように見えているのだろう。
 

「ホテル・メトロポール午前二時」(Two O'Clock at the Metropole)★★★☆☆
 ――車から四人の男が飛び出して、ハーマンに六発浴びせた。史上に名高い一連の殺人事件の始まりである。彼らはナンバープレートをはずしていなかった。「サツとは話がついている」からだそうだ。だが『ワールド』誌と地方検事のことを計算に入れていなかった。

 ここから二篇は「犯罪実話もの」。なんだか禁酒法時代のギャング映画みたいな話だと思ったら、それどころか禁酒法以前の話だった。
 

「一種の天才」(A Sort of Genius)★★★☆☆
 ――あの裁判のなかで、今読んでもクッキリと印象に残る部分がある。ウィリー・スチーブンスの証言だ。ウィリーの証言をくずしてみせるという検察側の意気込みも、ついに失敗に終わった。

 天才といおうか、一癖も二癖もある人物である。アメリカ型裁判の長所と短所をうまく表わしているような事件だなあ。陪審員にいい印象を与えるかどうか。
 

「本箱の上の女性」(The Lady on the Bookcase)★★★★☆
 ――二十年ばかり前のことである。ある漫画家が漫画を没にされて、カンカンに怒って編集長室へ怒鳴り込んできた。「一体全体どうしてぼくの作品を没にしといて、五流のサーバーなんてやつの絵をのせるんです?」編集長はすかさずぼくの弁護に立った。「三流の間違いでしょ?」

 漫画家でもあった著者の一こま漫画と自作解説。もとの漫画のユーモア感覚は日本人にはわかりかねるが、それについての自作解説(?)がとんでもなく面白い。言い回しがいちいちおかしいのだ。
 

 『The Middle-Aged Man on the Flying Trapeze and More Stories』James Thurber。

 中年男よ、いじけるな!/現実に押しひしがれ/空想の世界に逃避する/力弱気男たちの哀歓を謳う!(旧改訂版帯惹句)
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