バリンジャーに何を期待しているか、といったら、トリッキーなミステリなどではなく、こういう話を期待しているのである。
ファム・ファタル。女にからめとられ破滅してゆく刑事の思いは、惚れるとか焦がれるとかいう生やさしいものではなくて、『歯と爪』の復讐のような、止むに止まれぬ妄念。惰性と言っては彼らに失礼だが、すべて失って空っぽになってなお、幸せだったころの記憶が突き動かすにすぎない。だから、哀しい。
バリンジャーは男も女もまた魅力的に描くんだよね。。。どちらかがどうしようもないやつだったなら、まだ救いがあったのに。悪人に破滅させられる善人の物語として。
読んでいるあいだじゅう、どうにかならないのかな、何とかしてあげられないのかな、って何度も思った。だけど物語はすでに終わったところから始まっている。何もかもお終いになってしまっているのは読者にも初めからよくわかっている。もう取り返しはつかない。だから余計に哀しかった。
『歯と爪』が巻末袋綴じで売られたせいで、どうもバリンジャーには大どんでん返しのトリッキーな作家というイメージがつきまとっているのだが、実は『歯と爪』自体もそういう話ではない。「技巧派」はともかく「トリッキー」という謳い文句はやめてほしいな。トリックものだと思って手に取った初読者が、期待はずれからバリンジャーを過小評価することにもなりかねない。
第二次大戦後しばらくして、ニューヨークに帰郷した“ぼく”が目にしたのは、旧友についての信じがたい新聞記事だった。エメット・ラファティ――あの魅力的な刑事が、なぜこんなひどいトラブルに巻き込まれてしまったのか。彼の順風満帆だった人生は、あるショウガールと出会ったことから突如狂いはじめた……。元ジャーナリストの“ぼく”が関係者から集めた断片的な情報を組み合わせて、記事の裏にある真相を再構築した狂おしくも哀しい愛のかたち。バリンジャーならではの技巧が冴え渡るトリッキーなクライム・ノヴェル、ついに邦訳なる!(裏表紙あらすじより)
『Rafferty』Bill S. Ballinger,1953年。
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