『日本の童話名作選 戦後篇』講談社文芸文庫編(講談社文芸文庫)★★★★☆

「ノンちゃん雲に乗る(抄)」石井桃子 ★★★★☆
 ――「おかあさんは?」ノンちゃんの目がパッとあきました。「あの……おかあさんはね、ちょっと東京へいらっしゃったの……」「にい……ちゃん……は?」「タケちゃんもいったの……」ノンちゃんは泣き出しました。「あた、あた、あたしにだま、だまっていっちゃったあ……」

 えぇと。雲に乗る前のお話です。駄々っ子の感情を、そのままセリフにしてしまっていながら、それがいかにも駄々っ子らしいのだからすごい。「うわあッ! わあわあわあ」「うそつきだあ……」「ですよう!」
 

「原始林あらし」前川康男 ★☆☆☆☆
 ――村役場では。原始林をあらした者がいるというので、大さわぎしていました。ことわりもなしに、二、三十人の人間が、原始林にしのびこんだというのです。

 道徳の教科書のような優等生的子どもだまし。開拓というのを言い訳に使っているのが許せない。創作者としては最低だろう。例えば〈戦後〉というのを言い訳にしないのが優れた作品だと思う。宮沢賢治っぽいといえばぽくはある作品なのだが。
 

「一つの花」今西祐行 ★★★★☆
 ――「一つだけちょうだい」これが、ゆみ子のはっきりおぼえた、最初のことばでした。まだ戦争のはげしかったころのことです。

 何よりまず、冒頭の一文がうまい。途中でお父さんがやたらと説明的な台詞をしゃべりながらも、作品自体は説明ではなく構成で締めるのもうまい。「コスモスのトンネル」だなんていう、ほとんどやりすぎとも思える童話的な風景に、底抜けの夢を託したかったのが伝わってくる。
 

「風信器」大石真 ★★★☆☆
 ――「じつはねえ……」井川君はとんでもなくたいへんなことをしゃべりはじめた。ピストル強盗の犯人を見たというのだ。そして、その犯人は今、学校の屋根裏に隠れているというのだ。

 比較的長めの、内容も普通の小説風の作品。童話にしか存在しない世界を期待しているともの足りない。
 

「おねえさんといっしょ」筒井敬介 ★★★★★
 ――「ねえ、おにいちゃん」「うん? なんだい?」「あ、またまんがの本、かりてきたの?」「大きな声出すなよ。なんの用だい?」「ぼくのひき出しに、えんぴつ入れといてくれた?」「どんなえんぴつだい? いいえんぴつかい?」

 今読んでも大笑いできるのだからたいしたものです。「なんでも聞けよ。教えてやるからな。聞くはいっときのはじ、聞かぬは――ずうっとはじ、だからな」とか、「あら、うれしい。あたし、もらうの大好き」「ぼくだって、好きだけど――あげるのも好き」とか、テストの点数の場面とか。
 

「ぞうのたまごのたまごやき」寺村輝夫 ★★★★☆
 ――王さまのうちに、赤ちゃんが、生まれました。「おいわいをしよう。ごちそうは、たまごやきにしようではないか。ぞうのたまごをもってくればいい。国じゅうの人が食べられるよ」

 これも好きだった作品。和歌山静子による挿絵も大きな魅力の一つ。本書の解説は、何でもかんでも戦争にこじつけようとするしょーもない解説なのだが、本作品については、「〈王さま〉とはこどものことだよ」という知人の素晴らしい言葉を紹介してくれている。
 

「くじらとり」中川李枝子(『いやいやえん』より)★★★★☆
 ――星組の男の子たちは、つみ木でりっぱな船を造りました。うんてん室の後ろは船室で、てーぶるやいすがならんでいます。「しゅっぱーつ」船いんたちはさかなをつりはじめました。

 おお。これぞ童話というか。なんてシュールなんだ。教室で作った積み木の船でくじらとり(「捕鯨」ではなく「くじらとり」。「虫とり」なんかと一緒かと思った。いやでも調べたら「鯨取り」という言葉もあるんだね。)に出かけてしまう。
 

「きばをなくすと」小沢正(『目をさませトラゴロウ』より)★★★★☆
 ――トラゴロウはおなかがぺこぺこになってしまった。「おかあさん、なんかちょうだい」ところが「おや、あんた、どこのとらの子だい?」なんていうんだ。「うちのトラゴロウには右にも左にもきばがあるのに、あんたは一本しかないじゃないか」

 これも久しぶりに読みました。宝探し(ならぬ牙探し)に出かけていろんな人たちに出会って話をする――ところまでは昔話風なんだけど、その後がすごい。挿し絵を見ると結末がわかっちゃうのが残念。
 

「ちょうちょむすび」今江祥智 ★★★★☆
 ――ヒョウのとうさんはげんきがありません。かあさんとかおをみあわせては、ためいきばかりついているのです。ふたりがしんぱいするのも、むりはない。むすこのペポネには、ヒゲがちっともはえてこないのです。

 ファンタジーで始まりながら、さらなるファンタジーに昇華するところが光る。センスとしかいいようがない。
 

「神かくしの山」岩崎京子 ★★★★☆
 ――あたしら六年生は、薬草とりに山にはいってきたのだ。あたしらはかけまわった。チョウのように……。「おい、ここ、どこだ」幸助のことばに、あたしらははじめてまわりを見まわした。

 堂々たるちょっとした冒険もの。こういう、日常と地続きの冒険ものというのも、児童文学の醍醐味だと思う。本書はたぶん〈童話〉というくくり&長さの関係でこういうのが少ないけれど。
 

「ちいさいモモちゃん」松谷みよ子 ★★★☆☆
 ――モモちゃんが生まれたのは、夏でした。生まれるとすぐ、モモちゃんは、おふろにはいって、くるくるからだをあらってもらいました。

 これは珍しくホント子ども向けファンタジー。童話だという言い訳なしに大人が読んでも面白い作品が多い本書にあっては異質。
 

「ぐず伸のホームラン」山中恒 ★★☆☆☆
 ――殊勲のホーマーであるはずの伸は、みかたのキャプテンのばかづらにむかえられたのです。「おい、あれ見ろよ!」広場の横に駐車していたトラックの前面ガラスがうちくだかれていました。

 子どものころ、こういうのを読んで、ホント腹が立ったなあ。確かに子どもの世界を活写してるんだけど、でも子どもが読んだってクソ面白くもない。飽くまで大人向け。
 

「ちょっこりひょうたん島」井上ひさし山元護久 ★★★★★
 ――「さァさァ、みなさん、この橋を渡るともうひょうたん島です」「カッコいい!」「きれい!」「ステキ!」「ハラヘッタ!」ヘンだぞ。ばかに静かだ! 「誰も住んでないのかなあ」

 へえぇ。知らなかった。ひょうたん島ってこんなふうに漂流し出すんだ。前知識がないと文字だけでは「博士」というのがいったい何者なのか戸惑うのではないだろうか。
 

「そこなし森の話」佐藤さとる ★★★★★
 ――むかし、上州否含山の山すそに、うすぐらいほど木のおいしげった森がありました。ある秋のことです。どこをどうまよいこんだのか、その、そこなし森のまん中で、あせをふいている旅人がいました。

 民話風の桃源郷譚をファンタジーに再構築する手際がよい。この本のなかにはほかにもいくつか作例があるけれど、ファンタジーとして始まりながら、さらなるファンタジーの梯子を駆け上がられると、世界が違って見える。
 

「焼けあとの白鳥」長崎源之助 ★★★★☆
 ――ヤミ市で、わたしは古本屋をはじめることにしたのです。ところが、わりあてられた場所が、浜さんのとなりだったのです。「やあ、復員さん。仲なおりのしるしに、どうです、いっぱい」

 〈白鳥〉というのがあざといが、浜さんのキャラクターだけでも感慨深い。人の意思が何かを確実に変えつつある瞬間を描いていて、力強い。
 

「夜のかげぼうし」★★★★☆
 ――先生たちは、夕方になってから、そろって出かけていかれました。職員会議があるのだそうです。タケシたちは学童疎開でお寺で暮らしていました。「先生たちはなあ、忘年会なんだってさ」ヒデオはにやりと笑いました。

 疎開先を切り取った一風景。ただそれだけのことなのだが、結びに描かれた、往年の学園ものドラマみたいな場面にじーんと来る。
 

「さんしょっ子」安房直子 ★★★★☆
 ――さんしょっ子は、サンショウの木の中に住んでいるのです。サンショウの木の下は、すずなの遊び場でした。遊び相手は、茶店の三太郎でした。

 普通の意味での起承転結のない、こういう作品を読んだとき、子どものころは何だかむずかゆいようなすっきりしない気持になったものだ。すずなはどうなったの?とか、さんしょっ子を振ったのにどうして三太郎は幸せになれるの?とか。
 

「おにたのぼうし」あまんきみこ ★★★★☆
 ――せつぶんの夜のことです。まことくんが、まめまきをはじめました。「ふくはーうち、おにはーそと」まめまきの音を聞きながら、おにたは思いました。(人間っておかしいな。おにはわるいって、きめているんだから)

 こうして見ると、「焼けあとの白鳥」あたりから続けて、〈むくわれない思い〉を描いているような気もする。人の気持が、〈かみさま〉を生み出すのだ。
 

「ウーフは、おしっこでできてるか??」神沢利子(『くまのこウーフ』より)★★★☆☆
 ――「たまごって、ぽんとわったら、いつもきまったものがでてくるんだ。中から、ビー玉なんかでてこないね。ぼくなら、なんでもよくまちがえるのにねえ」ウーフはたまごのきみをすくってなめました。「たまごはなんでできてるの」

 な、なんか……たまごを毎日あげるにわとり、というキャラに衝撃を受けてしまったのだが。いくらファンタジーでもあり得んだろ。我が子を売り飛ばしてるに等しいんだぞ。
 

「白い帆船」庄野英二 ★★★☆☆
 ――白い帆船がとまっていました。「あの船、どこからきたんけ?」「どこからかなあ……外国の船にはきまっとるが……」大風はひと晩中荒れ狂った。翌朝、くだけ散った船材が打ちよせられていた。船員たちは代理店から連絡がないためか、毎日ボートで遊んでいた。

 子どもにとっては船が来ればそれだけで大事件だし、大人はすべて自分たちとは違う異人なのだ。こうして本書を読んでいくと、ことあるごとに〈木に登る〉という、昔の子どもならではの行動がうらやましい。
 

「花かんざし」立原えりか ★★☆☆☆
 ――人形つくりはつぶやいて、そっとほほえみます。もう二十年も、ひな人形を作りながら生きてきました。おとうさんも、おじいさんも、人形つくりでした。

 みゃ。大人の目で読むと、「ああ、桃の花は、去年と(中略)おんなじだ」というのが「月やあらぬ」などの和歌をヘタな言葉に書き改めているだけに感じられて、醒めてしまう。
 

 小説家の三木卓(だと思う)が、何でもかんでも戦争にこじつける解説を書いていて、ある意味おもしろい。当時のリアルタイムな思いではあるのだろう。
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