『ずっとお城で暮らしてる』シャーリイ・ジャクスン/市田泉訳(創元推理文庫F)★★★★★

 学研のやつの文庫化だと思っていたら新訳でした。学研版は「姉さん」ではなく「お姉ちゃん」になっているため、語り手の幼児性が際立って気持悪さが増幅されています。でもそれだと怖いというよりちょっと不気味すぎるので、好みでは創元版。

 短篇集『くじ』を読むかぎりでは、ジャクスンの本領は悪意とも呼べないような悪意――短篇「くじ」も集団心理の怖さというよりは社交的良識の怖さを、ある面で描いているように思えるのですが、本書でも何かと世話を焼きたがるクラーク夫妻や、こっそりと食べ物を置いていく人々、子どもを都市伝説風の戒めで脅かす親たちに、そうした面を感じることができます。

 だけど問題は、ですね――それを語るのが明らかにおかしな語り手だということなんですよね。。。

 代表作『たたり』も、徐々に屋敷に取り憑かれてゆく語り手の一人称でしたが、本書の語り手も明らかに歪んでます。だけど徐々に徐々にわからないくらい少しずつ不安から狂気に変わっていった『たたり』と違って、本書の場合は初めっからぶっ壊れてます。読むときに拠って立つ場所がないというか、イカレタ主観でイカレタ世界を描写されてもどうしていいかわからないというか、何でこんなことを考えるかなっていうくらい異様な小説です。

 ところがですね。

 空想の自分たちだけの世界を持っていた語り手が、現実の自分たちだけの世界を手に入れるという点だけに着目すれば、ある意味でハッピーエンドなんですよね、本書は。

 それどころか、共同体にとってもどうやら丸く収まってしまったようです。

 この構図って、あれです。異人を迫害して殺したあとで祠を建てたというか、亀田親子を猛攻撃したあとで謝罪すればよしとするというか、「大人の対応」「良識ある対応」というやつに近いように感じます。やりすぎたという罪悪感による罪滅ぼしというよりは、そうすれば社会的にチャラね、という見えない社会の約束事。

 もちろんこんなの本当のハッピーエンドじゃありません。ところが、病んだ語り手を設定することで、あたかも本当のハッピーエンドであるかのような結末になってしまうんですよね。しかも語り手は単純な被迫害者というわけでもない。

 これって、皮肉や諷刺を通り越してもの凄く歪んでいるというか悪意がある書き方のように感じられます。さすがシャーリイ・ジャクスン。

 『We Have Always Lived in the Catsle』Shirley Jackson,1962年。

 あたしはメアリ・キャサリン・ブラックウッド。ほかの家族が殺されたこの屋敷で、姉のコニーと暮らしている……。悪意に満ちた外界に背を向け、空想が彩る閉じた世界で過ごす幸せな日々。しかし従兄チャールズの来訪が、美しく病んだ世界に大きな変化をもたらそうとしていた。“魔女”と呼ばれた女流作家が、超自然的要素を排し、少女の視線から人間心理に潜む邪悪を描いた傑作。(裏表紙あらすじより)
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