『萬葉集(一) 日本古典文学全集2』小島憲之他校注(小学館)

 読みながら気に入った歌や気になった歌をチェックしていたのだけれど、あとで読み返してみると、どこが気になったのか自分でも思い出せない歌もいくつかあった。しょうがないけど取りあえずメモ。

 8「熟田津に舟乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」額田王

 教科書で読んだときには、だから何なんだと思ったものですが、改めて読むと、この一首のなかに時間の経過がぎゅっと詰まっていて、好きなタイプの歌でした。

 13「香具山は畝傍ををしと耳梨と相争ひき神代よりかくにあるらし古も然にあれこそうつせみも妻を争ふらしき中大兄皇子

 14「香具山と耳梨山とあひし時立ちて見に来し印南国原」中大兄

 山のけんかの歌。

 16「冬ごもり春さり来れば鳴かざりし鳥も来鳴きぬ咲かざりし花も咲けれど山をしみ入りても取らず草深み取りても見ず秋山の木の葉を見ては黄葉をば取りてそしのふ青きをば置きてそ嘆くそこし恨めし秋山そ我は額田王

 春には鳥や花がきれいだけれど草深いので実際に手に取りに行くことはできない……だから秋が好き。発想の転換・逆説的な短歌の技法の萌芽ですね。

 20「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る額田王

 上の句の流れるような言葉の並びが印象的な作品。しかも「紫野」「標野」というのだからドキッとします。

 21「紫のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも」皇太子(天武天皇

 歌自体の出来はともかく、これが20への返事だとすると「憎く」というのがやや唐突な気もします。辞書を引くと「気に入らない/嫌だ」という語義があるので、「好きじゃなかったらアプローチするもんか」くらいの意味でしょうか。

 25「み吉野の耳我の嶺に時なくそ雪は降りける間なくそ雨は降りけるその雪の時なきがごとその雨の間なきがごとく隈もおちず思ひつつぞ来しその山道を天武天皇

 27「よき人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よよき人よく見天武天皇

 ことば遊び歌。

 29の人麻呂の長歌、その反歌30「楽浪の志賀の唐崎幸くあれど大宮人の舟待ちかねつ」、31「楽浪の志賀の大わだ淀むとも昔の人にまたも逢はめやも」、32「古の人に我あれや楽浪の古き京を見れば悲しき」といった旧都に対する望郷の歌で歌われているのは、現代人にもわかりやすい感情です。

 48「東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ柿本人麻呂

 有名な歌ですが、明らかに誤読でしょうね。前後三首の反歌と比べて、歌われている内容が違いすぎるし、そもそも軽皇子の歌に対する反歌にすらなってないような。しかもこのスケール感は現代短歌並みで、とても萬葉集の歌だとは思えません。

 51「采女の袖吹きかへす明日香風京を遠みいたづらに吹く志貴皇子

 頭注によると「吹きかへす」は「歴史的現在」用法だそうです。「(かつて)采女の袖吹きかへす明日香風(も、今は)京《みやこ》を遠みいたづらに吹く」ってことか。29〜32の素朴な歌と比べると、同じく懐郷の歌でも技巧的な面が光ります。

 69「草枕旅行く君と知らませば岸の埴生ににほはさましを」清江の娘子

 72「玉藻刈る沖辺は漕がじしきたへの枕のあたり忘れかねつも」式部卿藤原宇合

 「沖辺」がわからないので確認してみると、「沖の方/沖の辺り」というそのまんまの意味でした。つまり「枕のあたり」を忘れられないから「沖のあたり」は漕がないってことでしょうか……?

 73「我妹子を早み浜風大和なる我松椿吹かざるなゆめ」長皇子

 萬葉集収録歌の掛詞には、まだ使いこなせていない下手な駄洒落のようなものが見受けられるのですが、これは比較的スマートな一首。

 78「飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば君があたりは見えずかもあらむ元明天皇

 82「うらさぶる心さまねしひさかたの天のしぐれの流れあふ見れば」長田王

 86「かくばかり恋ひつつあらずは高山の岩根しまきて死なましものを」磐姫皇后

 「岩を枕にして死んでしまった方がましだ」という表現に、怖いくらいの凄みを感じてびっくりしたのですが、頭注によると、「古代では死後、死体を山頂や樹上に遺棄することがあったといわれる。その習俗にもとづいていったのだろう」とのこと。

 87「ありつつも君をば待たむうちなびく我が黒髪に霜の置くまでに」磐姫皇后

 やっぱりこの人は怖い――と思ったのですが、頭注によるとこれは89「居明かして君をば待つたむぬばたまの我が黒髪に霜は降るとも」という古歌を踏まえて、「黒髪に霜の置くまで=黒髪が白髪になるまで」と歌った歌らしい。いずれにしても88の歌では「秋の田の穂の上に霧らふ朝霞いつへの方に我が恋やまむ(朝霞のように霞んでいる私の恋はいつ晴れるんだろう)」と歌っているので、作者も自分の思いがただごとではないという自覚はあるようです。

 96「みこも刈る信濃の真弓我が引かばうま人さびて否と言はむかも」久米禅師、97「みこも刈る信濃の真弓引かずして強作留わざを知るといはなくに石川郎女、98「梓弓引かばまにまに寄らめども後の心を知りかてぬかも石川郎女、99「梓弓弦緒取りはけ引く人は後の心を知る人そ引く」久米禅師、100「東人の荷前の箱の荷の緒にも妹は心に乗りにけるかも」久米禅師

 やはり実際のやりとりは面白い。探り合いというか気の引き合いというか、「好きだ」と言いつつ「そっちも好きなんでしょ」と言わせようとする駆引きが微笑ましい。

 101「玉葛実成らぬ木にはちはやぶる神そつくといふならぬ木ごとに」大伴宿禰、102「玉葛花のみ咲きて成らざるは誰が恋ならめ我は恋ひ思ふを」巨勢郎女

 これも歌のやりとりです。嫌味ったらしい宿禰の歌に対し、ガツンとストレートな郎女の歌が痛快です。宿禰としてはお洒落なつもりだったんだろうな……。

 103「我が里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後天武天皇、104「我が岡のオカミに言ひて降らしめし雪の摧けしそこに散りけむ」藤原夫人

 これも101・102と同趣向の歌。面白いのは、月報に掲載されたこの歌についてのやり取りでもこの歌と同じように、男の木下正俊がロマンティックを気取って、それに女のアン・ヘーリングが冷静につっこんでいるところです。

 105「我が背子を大和へ遣るとさ夜ふけて暁露に我が立ち濡れし」、106「二人行けど行き過ぎかたき秋山をいかにか君がひとり越ゆらむ」大伯皇女

 107「あしひきの山のしづくに妹待つと我立ち濡れぬ山のしづくに大津皇子、108「我を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを石川郎女、109「大舟の津守が占に告らむとはまさしに知りて我が二人寝し大津皇子

 115「後れ居て恋ひつつあらずは追い及かむ道の隈廻に標結へ我が背但馬皇女

 こんな積極的な歌もあるんですね。こういう真っ直ぐな恋の歌って大好きです。

 140「な思ひと君は言へども逢はむ時いつと知りてか我が恋ひざらむ柿本人麻呂の妻依羅娘子

 141「磐代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまたかへりみむ有間皇子

 謀叛の罪で護送されるときに詠んだ歌。

 151「かからむとかねて知りせば大御舟泊てし泊まりに標結はましを額田王

 163「神風の伊勢の国にもあらましをなにしか来けむ君もあらなくに」、164「見まく欲り我がする君おあらなくになにしか来けむ馬疲らしに」、165「うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟と我が見む」、166「磯の上に生ふるあしびを手折らめど見すべき君がありといはなくに」大伯皇女

 大津皇子の死を悼んだ挽歌。

 200「ひさかたの天知らしぬる君故に日月も知らず恋ひ渡るかも柿本人麻呂

 高市皇子の死を悼んだ挽歌。

 203「降る雪はあはにな降りそ吉隠の猪養の岡の寒からまくに」穂積皇子

 115でも歌を贈答していた但馬皇女の死を悼んだ挽歌。吉隠の猪養の岡に、皇女の墓があるのです。

 211「去年見てし秋の月夜は照らせども相見し妹はいや年離る柿本人麻呂

 死んだ妻を偲ぶ挽歌。『伊勢物語』の「月やあらぬ」の歌にも通ずる感じ方があります。

 271「桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟潮干にけらし鶴鳴き渡る高市連黒人

 301「岩が根のこごしき山を越えかねて音には泣くとも色に出でめやも長屋王

 302「児らが家道やや間遠きをぬばたまの夜渡る月に競ひあへむかも中納言安倍広庭卿

 素朴だけど可愛い歌です。

 318「田子の浦ゆうち出でて見ればま白にそ富士の高嶺に雪は降りける」山部宿禰赤人

 有名な歌の原形。絵的な新古今バージョン、リアリティのある萬葉バージョンというところでしょうか。

 338「験なきものを思はずは一圷の濁れる酒を飲むべくあるらし」、343「なかなかに人とあらずは酒壺になりにしてかも酒に染みなむ」、345「価なき宝といふとも一圷の濁れる酒にあにまさめやも」太宰帥大伴卿(大伴宿禰旅人)

 萬葉集ならではの、酒讃歌。343の発想がおちゃめ。

 373「高座の三笠の山に鳴く鳥のやめば継がるる恋もするかも」山部宿禰赤人

 392「ぬばたまのその夜の梅をた忘れて折らず来にけり思ひしものを」大伴宿禰百代

 393「見えずとも誰恋ひざらめ山のはにいさよふ月を外に見てしか」満誓沙弥

 この二首、譬喩歌。

 415「家ならば妹が手まかむ草枕旅に臥やせるこの旅人あはれ」上宮聖徳皇子

 行き倒れの見知らぬ旅人を詠んだ歌です。珍しい題材が印象に残ります。

 417「大君の和魂あへや豊国の鏡の山を宮と定むる」、418「豊国の鏡の山の岩戸立て隠りにけらし待てど来まさず」、419「岩戸割る手力もがも手弱き女にしあればすべの知らなく」手持女王

 これは萬葉集には珍しく、受け身の歌だなあと思ったのかな……?。相手が死んでいるのだから無駄に待つ以外ないのだけれど。

 461「留めえぬ命にしあればしきたへの家ゆは出でて雲隠りにき大伴坂上郎女

 468「出でて行く道知らませばあらかじめ妹を留めむ関も置かまし」、470「かくのみにありけるものを妹も我も千歳のごとく頼みたりけり」大伴宿禰家持

 どうにかしたい、でもどうにもならないことを、詠んだ歌数首。過度な未練に溺れるでもなく、悟りきった諦念でもなく。

 493「置きて行かば妹恋ひむかもしきたへの黒髪敷きて長きこの夜を」田部忌寸櫟子

 どうしたって、のちの「長々し夜」の歌と比べてしまいます。

 531「梓弓爪引く夜音の遠音にも君が御幸を聞かくし良しも海上

 「梓弓」が枕詞として使われているのではないのが面白かったので。

 538「人言を繁みこちたみ逢はざりき心あるごとな思ひ我が背子」高田女王

 546「三香の原旅の宿りに玉ホコの 道の行き逢ひに天雲の 外のみ見つつ言問はむ よしのなければ心のみ むせつつあるに天地の 神言寄せて しきたへの衣手かへて 自妻と 頼める今夜 秋の夜の 百夜の長さ ありこせぬかも」、548「今夜の早く明けなばすべをなみ秋の百夜を願いつるかも」笠朝臣金村

 秋の夜長の寂しさではなく、もっと長くあってほしいという願いを読んだ歌。

 595「我が命の全けむ限り忘れめやいや日に異には思ひますとも」、596「八百日行く浜の沙も我が恋にあにまさらじか沖つ島守」、598「恋にもそ人は死にする水無瀬川下ゆ我痩す月に日に異に」、599「朝霧のおほに相見し人ゆゑに命死ぬべく恋ひ渡るかも」、601「心ゆも我は思はずき山川も隔たらなくにかく恋ひむとは」、603「思ひにし死にするものにあらませば千度そ我は死にかへらまし」、607「皆人を寝よとの鐘は打つなれど君をし思へば寝ねかてぬかも」、609「心ゆも我は思はずきまた更に我が故郷に帰り来むとは」笠郎女

 大伴宿禰家持に贈った24首というのがすごい。もちろん一方的に24首をいっぺんに贈ったわけではないのだろうけど、内容もけっこう一途で強い思いの歌が多いので、情熱的な人だったのでしょうか。599の歌は北村薫『朝霧』に引用されていました。

 616「剣大刀名の惜しけくも我はなし君に逢はずて年の経ぬれば」山口女王

 623「松の葉に月はゆつりぬ黄葉の過ぐれや君が逢はぬ夜の多き」池辺王

 627「我が手本まかむと思はむますらをはをち水求め白髪生ひにたり」娘子

 こんな

 629「なにすとか使ひの来つる君をこそかにもかくにも待ちかてにすれ」大伴四綱

 665「向かひ居て見れども飽かぬ我妹子に立ち離れ行かむたづき知らずも」阿倍朝臣虫麻呂、666「相見ぬは幾久さにもあらなくにここだく我は恋ひつつもあるか」、667「恋ひ恋ひて逢ひたるものを月しあれば夜はこもるらむしましはあり待て大伴坂上郎女

 恋人同士の贈答歌ではなく、幼なじみ同士がふざけて作った歌というのが面白いやり取りです。

 690「照る月を闇に見なして泣く涙衣濡らしつ乾す人なしに」大伴宿禰三依

 何て大げさな。ここまで大げさだとかえって気持ちいい。

 703「我が背子を相見しその日今日までに我が衣手は乾る時もなし」巫部麻蘇娘子
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